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溺死宣言

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 今日が猛暑だなんて、初めて知った。なかなか涼しくならない室内で、モニタ前の文字列がそう告げている。頬杖をつきながら菓子を齧る背後では、未だ課題に片の付かない正臣が必死で数学の問題を解いている。
 ――はず、だ。
「……」
 首は回さずに目をやった帝人と、視線を合わせてくれたのは一台の扇風機だった。ぶわ、と、強風が顔面を叩き、思わず目を閉じる。彼はすぐにそっぽを向き、蒸し暑い自室に風を配って回る。冷風ならば良かったのに、残念ながら巡るのは生暖かい何かだ。
 炎天下よりはまだましと、こうして忙しく働いて貰っているのだが、一時の涼しさにもいい加減慣れてくるというものである。しかし、いくら生暖かいと言えど、中にはきちんと酸素も入っているだろうに、この息苦しさは何だろう、と、薄い呼吸をしながら考えた。気に留めた瞬間から、屋外ではさして気にならなかった別の不快感が彼を取り巻いていく。息が出来ないのではない、苦しいのだ。酸素って、暑いところが嫌いなんだっけ。在り得ない事を浮かべては鈍く否定をした。
 だからと言って電源を切る気はないし、改めて外に出る気もさらさらない。死にかねない。まだ死にたくはない。ひとり肩を落とし、問題の正臣を探す作業に取り掛かる。実際には探す、など大層な事をせずとも、視界の隅には既にだらしなく伸びた足が入っていたのだが。
 予想出来ていた結果ではあるが、こうも見事に的中してしまうと溜息も出て来ない。仰向けに寝そべって、時折思い出したように瞬きをする虚ろな瞳を確認する。取り敢えず、熱中症にはなっていないようで、安堵した。そして、白紙に近いノートを見てから、傍らのコップを眺めた。泡が上っている。

 それを見た瞬間、彼の中で大きな変化がわき起こった。何か声をかけてやろう、それから、そろそろ解き方でも教えてやろう。そんな思考が緩やかに消えていく。
 傍から見れば、帝人はごく自然に視線をパソコンに戻したと、そう取られていたかもしれない。ただし、本人の心は乱れに乱れていた。これにも、たぶん、なんて曖昧な言葉が文頭に付くのだろう。ぼんやりと考える。解らないことが多すぎる。考える事を放棄しているのも、原因のうちだ。けれどそれを知った上で、叱咤する気も起きず、ただ異常な熱に全てを押し付けている。今だって。半ば自棄になりつつ、大量の汗を掻いている自分のグラスを引っ掴んだ。
「…あま、」
 氷の破片が浮かぶ、甘ったるい飲料。硝子の容器に注がれたそいつが、ぱちぱちと泡を弾けさせて空気を喰らっている。違うと喚く一方で、強引に確定させようとする、溶けかけの思考にも、二酸化炭素が充満しているのだろうか。もうほとんど気の抜けてしまったそいつを飲み干しながら、飲んだ事もないくせ酒みたいだと思う。酔ってしまいたい。そうして自我を失くせば、ここから脱出出来るかもしれないのだから。
「お前、それ好きだったのにな」
 不意に、正臣の声がした。妙に擦れている。
「…そうだっけ」
「違ったっけ」
 視線が頬に突き刺さっているのを感じた。先程の台詞がひどく感傷に浸ったものに聞こえて、どうしても振り向く事が出来ず、口元に小さな笑みを乗せる。愛想笑いに似ていた彼の横顔を、正臣がどう受け取ったのかは知らない。が、準備をしないと何も出来ないような気がしたのである。細い深呼吸をしてから、意を決して目を合わせると、彼はしてやったりといった表情で、笑っていた。
「おしえて」
「はいはい」
 断る理由などあるはずもない。ゆっくりと腰を上げると、歩み寄り、畳に張り付いていた正臣の腕を優しく握りこんだ。力はまるで入っておらず、自分で起き上がるつもりは皆無らしい。だが、今度は溜息は出て来なかった。漠然と幸福感を抱え、こちらは段々と力を込めていく。午後の光に照らされて、きらきら光る人工の金色。上下する腹部と、警戒の薄い面。
 鈍い脳を回しながら、少しだけ、扇風機を切りたい衝動に駆られる。それから、泡の立ちこめる液体で、息苦しさで、くらくらする甘さで、空の己を満たそうか。





溺死宣言
(20100808)
作品名:溺死宣言 作家名:佐古