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Rainbow

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進藤はその日、間違っても暇だったわけではない。
未成年であるにも関わらず、自分は大変勤勉な部類だという自負もある。
但し、あくせくして働く社会人のそれとは全く種類の異なるもので、今までの所は好きなことに対して打ち込んでいるだけなので、傍目にはあまりそうは受け取ってもらえないようだ。

どちらにせよ、進藤が曲がりなりにも社会人として働く身の上なのは事実だ。
だからこそ、偶の休日にこうして家でごろごろするのは意味のあることで、決して無為に過ごしているわけではない。……と、少なくとも進藤本人は思っている。

――――こういうのを、英気を養う…、って言うんだっけ?

だが母親にしてみたら、普段はあまり家に寄り付かない息子が珍しく一日中家にいて、何をするでもなく怠惰にしているのを見るのは、少々鬱陶しいものらしい。
根を詰めすぎじゃないの、と日頃は何かと世話を焼いて要らぬ心配するくせに、いざ休んでいるとそれはそれで文句を言うというのだから、納得がいかない。

「そうやってるとお父さん見ているみたいだわ」

リビングのソファで寝転がって雑誌を読んでいると、掃除機をかけていた母親が、傍らで溜め息交じりにそう言った。
進藤はそれに対しては特に反論もせず、ふぅん、と薄い反応を示しただけだった。

「そういや、何でこんな時間に掃除機かけてんの?」

確か母親はいつも、午前の内に家の掃除を済ませてしまうはずだが、部屋の時計は既に午後二時を回っている。
そういえば今日の朝だって、掃除をするからと言って部屋を追い出されたのだった。
掃除機なんて一日二回もかけるものだろうか、と進藤は不思議に思った。

母親は息子の問いかけに、掃除機をかけながら答えた。

「今からお客様が来るからね」
「え、何だって?」
「だから、お客様よ」

旧式の掃除機がブンブンと唸るので、声がよく聞こえずに問い返すと、母は掃除機を止めた。
スン、と小さな音を立ててモーター音が止む。

「藤崎さんの奥さんをお茶に呼んだのよ」

進藤は読んでいた雑誌を置き、顔を上げた。

「藤崎って、あかりの家のおばさん?」
「そうよ」
「母さん、よく家に呼んでお茶とかしてるんだ?」
「よく…って言うほどじゃないわよ。それに呼ぶばっかりじゃなくて、私がお邪魔することもあるし」

ご近所で仲が良いのは知っていたが、まさか母親同士にそんな行き来があるとは知らなかった。
一体何の話をしているのだろう、と少しだけ興味が湧いたが、思えば女のお喋りというものは、説明に困るような他愛のない内容であることが多い。
以前仲間内で集まっていたときにそんな話をしたことがあったが、その場にいた女性陣には大顰蹙を買ったものだ。

「……ふーん」

何にせよ自分には関係のないことだ、という結論にたどりついた進藤は、雑誌を持って、のそりとソファから起き上がった。

「あら、どこか出掛けるの?」

部屋を出て行こうとする息子の背中に、母親が問いかける。

「どこにも行かねぇよ。ココいたら邪魔だろ。部屋に行く」

振り返らずに答えると、進藤は階段を上って自分の部屋に移動した。
雑誌は床の上に適当に放り投げ、自分はベッドの上に仰向けに転がった。
見慣れた天井を見上げていると、次第に睡魔が襲ってくる。とろんと重たくなった目蓋に逆らわず、進藤はそのまま眼を閉じた。

――――少しだけ……。

ゆるゆると意識が沈んでいくような、まどろみの時間が好きだ。
意識を手放す前、階下でインターホンが鳴り、母親たちが喋る声が遠くに聞こえた。



*****



目が覚めると同時に、ひどく喉が渇いていることに気づいた。
どのくらい寝ていたのだろうか、と手探りで枕もとの携帯電話を掴むと、三時半。

――――大体、一時間くらい、か?

寝惚けた頭は、その程度の逆算にも時間がかかるのだから仕様がない。
耳を澄ますまでもなく、階下ではまだ母親たちが楽しくお茶をしているのはわかった。
しばらく面倒くさくてベッドの上で何度か寝返りを打っていた進藤だが、どうにも喉の渇きが気になって仕方なく、観念して起き上がった。

階段はもっと静かに降りなさい、と昔から母親には顰め面で叱られてきたが、未だに直らない。
どん、どん、どん、と乱暴に一段飛ばしで一階に降りると、進藤はキッチンに入った。

「ヒカル。あなた、階段は静かに降りなさいって言ってるでしょ。音が響くのよ」

リビングの方から、母親がいつものように小言を言う。
見ると、その斜向かいには、確かに藤崎あかりの母親がいた。

「……こんちは」

軽くぺこりと頭だけ下げて挨拶をする。
あちらも、進藤を見てにっこりと微笑んで会釈した。

「ヒカルくん、大きくなったわねぇ。本当に、男の子って少し見ないだけで随分変わっちゃうから、びっくりするわ」
「はぁ……」

確かにこの一、二年はかなり身長も伸びている。
娘の方には時々会っているけれど、そういえば母親の方に会うのは中学の卒業式以来だろうか。
昔は互いの家にもよく遊びに行ったものだが、小学校高学年になった頃からか、すっかりそんな行き来はなくなってしまっている。

男と女の幼馴染なんてそんなものだろう、と思うけれど、比較する相手もいないのでわからない。
あかりが時々メールをしてくれるから、辛うじてまだ繋がっていられるようなものだ。

進藤は冷蔵庫からペットボトルの烏龍茶を取り出し、コップに注いだ。
そのまま口をつけて飲んでも良かったのだが、一応客が来ている手前、行儀よくしてみた。
キンと冷えた烏龍茶を一気に飲み干すと、ぷは、と小さく息を吐く。眠気もようやく醒めたな、と思っていたところで、リビングにいる母親が素っ頓狂な声を上げた。

「あらっ、雨だわ」

進藤もつられて思わず窓の外を見てしまった。
雨脚は強く、この季節特有の夕立のように思われた。

「あらやだ、傘持ってきてない」
「大丈夫よ、この感じならすぐ止むんじゃない?もし帰るときまで降ってたら貸すわよ」
「そうね…、もし止まなかったら、お願いするわ。近所だから、走って帰ればすぐなんだけどね」
「でもこの雨じゃあ、すぐにずぶ濡れになっちゃうでしょう」

そんな呑気な会話をしていた二人だが、あかりの母親の方が、何かに気づいたように、あっと短い声を上げた。進藤の母親が、すかさず訊ねる。

「どうかした?」
「あかりが、丁度学校から帰ってきてる時間だわ。あの子、傘を持って行ってなかった」
「まぁ……」
「どうしたかしら。ごめんなさい、少し失礼して電話してもいい?」

えぇ勿論、と答えるのを待って、あかりの母親は自分の携帯電話を取り出し、娘に電話をかけた。
もうキッチンでの用事は済んでしまった進藤だが、二人の会話に、何となくそのまま聞き耳を立てた。

電話はすぐに繋がったようだった。
どうやら話の流れから、あかりは下校途中で雨に降られてしまったらしい、ということがわかった。
すぐ近くの軒先に滑り込んで、何とか濡れ鼠にはならずに済んだが、そのまま出るに出られず往生してしまっているようだった。
すぐに雨が止むのならいいが、雨脚は強いままで、まだしばらくは止む気配はない。
作品名:Rainbow 作家名:あらた