あんこと私
Scene.2 【brother】
最初にノルウェーが、視える、と言ったのを、まだ気にしていたらしい。図体に似合わぬ繊細な神経の持ち主と分かって、ノルウェーは顔をしかめた。ああ、面倒くさい。
「霊感のあるやつに視てもらったんだがなぁ、別になんにも憑いてねぇそうなんだが、やっぱりノルの見間違いか何かけ?」
「違う。悪いモン……は、憑いてねぇ」
彼を護っているモノ、はついているのだが。悪影響は及ぼしていないようなので、ノルウェーも敢えて深入りはしていない。――のだが。
彼とキスをしてから、どうにも彼女――デンマークについているモノは何となく《女性》であるとノルウェーは判断した――の、ノルウェーに対する風当たりが悪くなったようである。なんとなく、じっと見られている気がする。
国語準備室で、彼とキスをした。
彼女の通う高校はそれなりに名門の私立校だ。豊富な資金で、教員にはそれぞれ《準備室》と名のついた個室が与えられていた。そこを根城にして、授業のかたわら研究に明け暮れている教員もいるという。同じ部屋でも使用者によって個性が色濃く現れるものだ。
存外に整然と片付いているその部屋で、昼食一食分をお駄賃に、彼女はデンマークの資料整理を手伝っていた。今日はフィンランドが欠席しているからその変わり、ほんの気まぐれだ。
取り留めもない会話をしていて、何となくそんな雰囲気になって、どちらからともなくふらりと近寄って、キスをした。はじめからノルウェーにとって、デンマークをは《教師》という存在ではなかった。うっとうしくてやかましい、それだけのレッテルをつけていた、ひとりの人間でしかなかった。
だから、何の抵抗もなく唇を重ねられたのだろう。
ややあって、デンマークはぽつりと言った。
「俺はな、学校で威張りたくて先生になったんじゃねぇんだ」
それはなんとなく分かる。どんな生徒にでも、フランクに接しているから。
「みんなの、《あんこ》になりたかったんだ」
あんこ。――お兄ちゃん。
それが、妹ほどの歳の差の女子生徒と。自分の教え子とコンナコトを。
「あんこ、」
呼んでやったら、ワイシャツの肩がびくりと震えた。
ぺろりと唇を舐めて、ノルウェーは微笑む。悪い顔をしているという自覚はある。デンマークは、なんとも言えない顔をしている。葛藤が見て取れた。
「あんこ、もっとキスしてぇ」
「ノルっ、おめぇはもう、そげな顔すんでねぇべ!」
ヤケクソのように、デンマークは彼女を抱きよせる。
結局、ノルウェーがねだっただけ、彼はキスをくれた。とても巧かった。
ノルウェーは味をしめた。特にこういうことをしている時を選んで、敢えて「あんこ」と呼んでやった。ノルウェーなりのささやかな嫌がらせだ。
ずっと沈黙を守っていたデンマークの守護霊が、いよいよ行動に出た。といっても、ふわりとノルウェーの前に姿を見せて、じっと彼女に訴えかけるのである。無言で、目とも鼻とも判別のつかぬ顔をこちらに向けて、じぃっと。――戯れもたいがいになさいな。そんな声が聞こえた気がした。
キッ、とノルウェーは、デンマークの背後の彼女をにらむ。強い視線を向けられたデンマークは、「ノ、ノル?」とたじろぐ。ぐいっと彼のネクタイを引っ張って、顔を引きよせて、強引に唇を重ねた。
「ノル、おわっ、っ!」
がちん、歯と歯がぶつかりあった。彼の咥内に舌をねじこむと、今の衝撃で口の中を切ったのか、飲み込んだ唾液は血の味がした。腰が引けていたのは最初だけで、デンマークの方からも舌を絡めてきた。
鉄くさいキスだった。
息を荒らしたままデンマークの首に腕を回す。視えた彼女は――やはり、どこか笑っていた。間違いない、たかが小娘が、とあなどられている。
「……子ども扱い、すんでねぇ」
「ノル……このあと職員会議があっから、もうちっと辛抱してくんねぇか?」
デンマークは自分の守護霊の存在を知らない。だから目を白黒させている。
デンマークの意思を理解したのか、それから《彼女》の方からノルウェーに接触してくることはなかった。
ノルウェーの腰を腕をまわして抱きしめて、デンマークはささやく。別に、彼に言ったわけではないのだけれど。――災い転じて福となす、だろうか?「ん、」とうなずいて、見せつけるように強く彼に抱きついた。
*