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きみは神さま

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ああ、まったく何で自分がこんなことをやっているのだろう。
がつがつと軍靴を石畳に打ち付けながら一人の青年が
霧の中を進んでいる。
時刻はまだ夕方と言うには早い。
薄暗い様な、仄明いような、乳白色の霧。
「…チッ、わけわかんねえ街だな」
苛立ちを隠せない様子でポケットの煙草を取り出そうとし、
一応職務中であることを思い出して手を止めた。
青年は元々ここの生まれではない。
もっと遠く、それこそ山どころではなく、
海を越えた場所にある豊かな国の生まれだった。
故郷の街はいつも透明な空気に包まれていた。
こんな数メートル先さえ見えないなんて異世界にも程がある。

自分は荒事を好まない性分であったため、
事務方の職を探して辿りついた先は確かに給料は高く福利厚生も
しっかりしている。不安定な今の世の中にしては破格の労働条件だ。
上司も気の良い人物であるし同僚たちともそこそこうまくやっている。
実際人見知りしがちな自分が知人と呼べるまでの関係を築いているのが
何よりの証拠だと思っている。
ところがだ。
ふとしたことで青年の短所とも呼べる能力が上層にばれてしまった。
いや、元々就職をした時点でわかっていたのかもしれない。
何しろ働き始めてから知ったことだが、
新規に入隊する人物は二次選考を突破した時点で徹底的に身元を洗われるそうだ。
それじゃあ完璧に知られていることだろう。
目的の場所は小高い坂の上、確実に空に向かっていくはずなのに
なぜか霧は薄くなるどころかますます白濁していく。
一体いつになれば着くのだろうか。
「……」
つい、力が入ってしまった。
壁に手をついた際に無意識に掴んだ街灯の鉄がぽきりと飴のように折れる。
「あ、やべやっちまった」
ばれたのはこの異常ともいえる怪力だった。
普通の『力の強さ』ではない。人間の限界を超えた異端とも言える力。
頭にカビが生えたジジイどもに言わせれば「悪魔の子」だそうだ。
冗談じゃない。俺が悪魔ならば世の中はバケモノで溢れかえっている。
外面がいかにも生真面目だったり柔和だったりするくせに
中身が金儲けと戦争にしか興味のないあいつらの方がよっぽど害悪だ。
そんな気持ちを抱いているのもばれていたのだろうか。
事務職であるはずの自分に時々下される命令というのは
そういった血生臭い火種を刈り取るものだったからだ。
何を好き好んで戦争を始めたいのかさっぱり理解はできないが
現状を覆す真似はしてほしくない。
自分が所属しているのは確かに軍隊だが、
現在は血の出る銃撃戦などではなく情報戦が各国の主流となっている。
最後にこの国から出兵したのは自分が物ごころつく前だ。

任務の内容な実にシンプル、それでいて珍しく不確定要素が多々含まれるものだった。
指令を下す人物は毎回違うが、今回は煮え切らぬ説明のまま出された。
「ダラーズ創始者の居所の判明」が告げられ、
「安全上の阻害」により「該当人物の捕縛」を命じられた。
そこには一点注釈があり、「最大限の生命活動を維持させたまま連行するべし」とあった。
つまり無傷で連れてこいということだ。
前時代ならば「速やかに連行せよ、抵抗する場合生死を問わず」と言われただろう。

それにしてもダラーズのボスを突き止めたにしては対処が手緩過ぎる。
ダラーズとは組織の名前であり自由を意味する代名詞でもある。
十数年前、戦争末期の情報が交錯した折にこの国の上層部が生みだした
「存在しない架空の組織」というのが一般に流布している定説だ。
存在しない軍隊の存在しない部隊。
制約がないことが唯一の制約である、と記されている書類にサインをするだけで
どこの国のどんな人間でも入れる無法地帯。
その書類がどう出回っているのか、誰が入っているのか誰にもわからない。
けれども確かに、そう確かに「在る」のだ。

今までのダラーズとは空気のような虚構だった。
それが最近になって、そう、時代が新しい情報と言う武器を
振りかざすようになって急に実体を持ち始めた。
《ダラーズにある部隊が潰された》
《某国の代表もダラーズの一員らしい》
《ダラーズは昔過激な抗争を起こすことで有名だった
ある軍隊の逸脱者どもの集まりらしい》
などなど噂は絶えることなく広がり続ける。

今回の指令だって、今まで通りのダラーズならば
創始者だろうがリーダーだろうが判明したところで
何も問題はなかっただろう。
ところが今のダラーズは一種のテロ組織になっている。
有能と評判高いうちの諜報部の連中が突き止めてきたというのだから信憑性は高いだろう。

諜報部という単語で一つ嫌なことを思い出して
また青年の眉間にしわが寄る。
《有能な諜報員》の定義の一つに名前ばかりが有名になって、
実際どんな容姿をしているのか一切出回らないということがある。
うちの諜報部も実動部隊はその例に漏れず
一人ひとりの氏名はきちんと把握されているが
プロフィールシートには決して写真を添付していない。
その中で唯一、自分が容姿を把握している奴がいる。
折原臨也。
おそらく年はそう変わらないだろう。
黒い髪に赤い瞳をした、いけすかない男だった。
表向きは俺と同じ主計(軍の事務)ということになっているが
あいつがそんな平和的な職に就いているものか。
事実、主計室であいつを見かけたことは一度もない。



そうこう考えながら足を健気に進めていれば与えられた住所に辿りついた。
一応紙片を取り出して確認する。よし、間違いない。
相変わらず霧は立ち込めたまま夕闇を孕んで暗くなっており
辺りをまるで古い魔女の集落のように覆い隠している。

創始者の潜伏先、と聞いていたがこれはまるで普通の民家に見える。
テロリストのリーダーが籠もっているのは
ホテルとか繁華街の地下とかを想像していたのに。
綺麗な観葉植物と、見苦しくない程度に整えられた蔦の壁の中へ手を伸ばし
肩すかしをくらった青年はそれでも律儀に呼び鈴を鳴らした。

数拍のち、ドアの向こうに気配が近づいてくる。
そして躊躇いがちな声音で「どちらさまでしょうか」と問いかけられた。
その声は酷く幼かった。
一瞬思考が停止する。
どういうことだ、意味がわからない、ダラーズの創始者というからには
もっと年上の男を想像していた、それが少年の声だと?
「あ、あの…」
続いてなおも幼げな声が聞こえる。
「ああ、えっと、すみません俺は国軍事務官の平和島と言います。
少々お話を聞かせて頂きたく伺ったのですが、
ご主人様はご在宅でしょうか?」
そうだ、扉越しの少年は創始者の子どもかもしれない。
もしくは考えたくないが少年の声を保ち続けている中年かもしれない。
個人的には前者であってほしいが、状況としては後者の方がありがたい。
やや躊躇うような間の後、キィ、と扉が軋んだ音を立てて開かれていく。
「あの、ここは僕しか住んでいないです」
おずおずと顔を覗かせたのは
フードを被った小柄な少年だった。

「えと、住所をお間違いじゃないでしょうか?」
「……ああ、そうだな。
こんな子どもがテロリストなわけねえか…」
「テロリスト?」
「ああ。テロ組織のリーダーがここにいるってんで
俺が来たんだがとんだ無駄足だったみたいだな。
作品名:きみは神さま 作家名:おりすけ