きみは神さま
悪かったな、邪魔しちまって」
ぐしゃぐしゃとフード越しに頭を撫でれば
わぁあああ、という悲鳴と何か、妙な感覚。
短い髪の中に何か柔らかな感触がする。
「?頭に何かついてんのか」
ひょいとフードを取ってみればそこには猫の耳がついている。
「ああ、なんだお前耳付きだったのか」
「あ、……!」
ばっと急いでフードを被りなおす少年は怖れを含んだ瞳を向けてきた。
それに少し傷つく自分がいる。
「心配すんな。俺はお前に耳付いてようがあんまし気にしねえからよ」
「……」
今度は不思議そうな視線を投げかけられる。
蒼い、蒼い大きな瞳が自分をまっすぐに写していた。
そんなに変なことを言っただろうか?
「…あなたは、少し不思議です」
「そうか?それより、その、良かったらその耳もっかい触っていいか?」
あのふかふかとした感触は非常に気持ちがよかった。
そういえば最近動物に触れていない。
何か癒しのようなものに飢えていたのかもしれない、
普段の自分ならば決して言わないようなことを目の前の少年に言ってしまう。
「え、えと、」
拒絶の意思がないことを良いことにそろりと手を伸ばす。
そのときだった。
もう一度フードを外そうとする自分の咽喉を目がけて何かが空気を切り裂いて飛んでくる。
「…っ!」
間一髪、少年と距離を開けることでかわしたが、ぎりぎりを掠めていったのは鋭い細身のナイフだった。
「平和島事務官。現時点を以ってその少年は対象から外された。
速やかに本部に戻り報告をするように」
投げつけてきた男は冷淡な声で自分にそう告げる。
霧が濃くてぼんやりした姿しか見えない。辛うじて服の作りがわかる。
濃い灰色の制服。紅い腕章。目深に被った制帽。徽章は無い。
誰だ、同じ軍人か?
目の前の少年が「臨也くん」と呟くのが聞こえた。
イザヤ?イザヤなんて名前、一人しか知らない。
「てめえ、折原か!いきなりナイフなんざ投げやがって…!」
「黙れ」
その言葉と同時に間近にナイフを突きつけられた。
奴は普段の飄々とした雰囲気をかなぐり捨ててただただ冷酷な視線を突き刺してくる。
その腕は少年をしっかりと抱きかかえて離さない。
少年にどういうことかを尋ねようとしても
まるで俺を見せないように奴の手で顔が覆い隠されている。
「失せろ、この子にそれ以上近づいたら殺す」
「……ってめえ」
あまりに理不尽な仕打ちにぶちぶちと堪忍袋の緒が切れていく。
「い、臨也くん!いきなりなんてことを…!」
「帝人くんは黙ってて」
「でもナイフを投げるなんて」
「大丈夫、この男はナイフが刺さったぐらいじゃ死んでくれない。
なあ、そうだろ?」
「…好き勝手言いやがんなこの野郎…!!」
もう怒りが限界だった。
手近にあるものを思い切り奴にぶつけようとした瞬間、けたたましいコールが鳴り響く。
強い振動を伝えているのは自分の胸ポケットの中。緊急回線からのコールだった。
苛立ちを隠さずに通話にする。だが向こうから聞こえてきたのは面倒見の良い上司の声だった。
『ああ、静雄か!今どこだ?』
「トムさん…指定された場所っすけど」
『いや、そうか、悪いなその指令はついさっき撤回されたんだ。
無駄足踏ませちまって本当に申し訳ないが戻ってきてくれないか』
「ああ、はい、わかりました」
しゅるしゅると自分の怒りが静まっていくのを感じる。
ピ、と通話を切ると同時にちらりと折原を見やれば
相変わらず戦闘態勢を崩さずにこちらを威嚇し続けていた。その様はまるで子供を守る動物のようだ。
なんだか毒気を抜かれてしまい、それ以上関わることも億劫になる。
「邪魔したなちびすけ。じゃあな」
くるりと身を翻して坂の道を下っていく。
下るにつれて霧が晴れていくのが何だかおかしかった。
そう、まるで本当にあそこが魔女の家だったみたいじゃないか。
後に残されたのは前衛的な芸術のように捻じれ歪んだ郵便ポストの支柱と
親の仇を見たような表情を崩さない青年と、そして未だに状況が把握できていない少年だった。
「良かった…本当に間に合って良かった」
突然の来客の姿が霧に紛れて見えなくなった途端、青年の両肩からどっと力が抜かれ、吐息のように
前述の台詞を吐いた後全く口を開かないまま家の中に戻される。
無言と言うのが図りがたい不安を募らせていく。
口数こそ多くないものの、彼はいつも不機嫌とは対極の空気を纏っていた。
それが全くの無表情、全くの無言でいるのでどう対処していいか本気でわからない。
先ほどから何回か声をかけてはいるものの、返ってくるのは拗ねた子どものような口元と
一向に解かれない腕の拘束だった。
とにかく疲れているだろう彼を休ませようとソファになんとか辿りつく。
(おんぶおばけよろしく背中にしがみ付いて離れなかったので必死で前進した。一月分の労働をした気分だった)
そのままソファに払い落そうとすれば渾身の力で抵抗され、そのままコアラの子どものように抱きしめてくる。その身体は若干震えているように思えた。
いつも余裕の笑みを浮かべている姿しか見たことがない少年にとってそれは異常事態ともいえる光景だ。
「何があったの?あの平和島さんて人は事務官って言ってたけど保険か何かで問題があったの?」
「違うよ。あいつダラーズがどうとか、テロリストがどうとか言ってたでしょう?
あの平和島って言う男はね、確かに事務官なんだけど時折上層部の命令でテロ組織や火種の抹殺に利用されてるバケモノなんだよ」
バケモノ。
少年は風変わりな来客の顔を思い浮かべる。
染めたような金髪に、穏やかな瞳。口調はいささか荒っぽく感じたけれど決して危なげな印象はなかった。
あの、大人しそうな男の人が?
「…ちょっと怖かったけど悪い人には思えなかったよ。
僕の耳を見ても怖がったり気持ち悪がったりしなかったし」
「そりゃアイツが他の国の出身だからだよ。ものを知らないのさ」
そう言いながら後ろから頬を擦り寄せ、僕の頬や額にキスをしてくる。
彼が不安を覚えているときによくする癖だ。
「そんな人がどうして僕のところに?」
「…ちょっと俺の根回しが足りなかったみたいだ。
帝人くんがダラーズの創始者だってことが
手柄を立てようと虎視眈々と狙ってるヤツにバレちゃった。
幸いなことにそいつがほぼ単独で動いてくれたから情報はそれ以上
流出してないし、そいつの処分も適当にしたからもう大丈夫だよ!」
つまり、職場のライバルが情報を占有しようとしたということだろうか。
この人が出し抜かれるなんて珍しい。
それにしても彼に一矢報いようとするとは何たる不幸だろう。
この人は一度敵だと見なせば徹底的に潰す人だ、しかも婉曲的に。
一番ありうるのが自滅を狙うパターンだけれど一体どんな手を使って『適当に処分』したのか恐ろしい。
そっと下から顔色をうかがうと、元々白く細い輪郭がさらに削げている。
軽く『潰した』とはいうものの、その苦労は余りあったのだろう。
「…ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「だって、お仕事忙しいのに、僕を助けに来てくれて…」
「俺の最優先事項は君だからね。怪我がなくてほんとによかったよ」
にこっと微笑む兄は幼いころから変わらずとても綺麗だ。