魔法の力が解ける頃
それからだ。今まではおまけ、としての付き合いであった所から、連絡先を交換し合い、メールに電話、時間が合えば時折2人で出掛けたりする事も。
彼女にとっては友人との日常の一コマなのかもしれないが、俺にしてみれば1つ1つがデートだ。エスコートにも気合が入る。
1・2度程互いに招待し合い、イタリアと日本、それぞれ観光する事もあった。幾度訪れても同じように目を輝かせ感動し、嬉しそうに楽しそうにしている日本の様子を見るのが、とても好きだった。
次第に打ち解けて笑顔が増えるようになってからは、その度に胸を高鳴らせねばならないので苦労もあったが、決して嫌な事では無かったし、自分に心を開いてくれたのだと思えば嬉しくもあった。
それが例え、友人であったからだとしても。今はまだ、早いだろう、そう思っていた。
平行線をなぞっているだけの日々を抜け出す切っ掛けは、またもや唐突に訪れた。
それは、昼休みにばったり出会い、そのまま昼食を共に食べようと、2人だけで廊下を歩いていた日の事。
常の様に穏やかに微笑む彼女だったが、それに陰りがあるように見えたのだ。しかも溜息まで漏れる始末。
何か悩みだろうか、そう思い、何か力になれればと、思い切って聞いてみたのだ。何かあったのかよ?、と。
すれば彼女は俺の言葉に驚いたようでくりくりと大きな瞳を更に瞬かせ、暫く目線を泳がせていた。その様子を見るに、先程の溜息も無意識なのかもしれない。
酸素を求める金魚のように口をパクパクと数度開閉させ、キュッ、と引き結ぶと、緩く口角を上げ、眉根を下げた。
空いた片手が絹糸を弄んでいる。クシャリと軽く握った髪が少し乱れた。
「・・・態度に出てたんですね・・・お恥ずかしい限りです。」
顔を赤らめて俯き恥じらう姿は大層に可愛らしい。知らず上がる心拍数を落ち着けるように、小さく深呼吸をした。
「その、いや、元気なさそうに見えたから。言いたく無いんだったら言わなくても全然良いぞ!?」
ハッ、と秘密を暴きかねない事実に気付き慌てて弁解すると、彼女はキョトンと俺を見て苦笑した。
そして首を横に振った。大した事では無いんです、と。
微かに躊躇いを見せた後、彼女は俺を手招きして、人気の無い廊下へと誘った。それだけで正直に反応してしまう俺はもう末期だった。都合の良い妄想だけが脳内を幸せにしている。
周囲に気配を感じない事を確認して、彼女はポツリ、と小さな声で零した。
「実は・・・、その、先日告白、されまして・・・」
どう返事をしたら良いか、ずっと考えているんです、と。困ったように彼女は笑った。
その顔すらいつもなら可愛いと素直に思える心も、その時ばかりは凍り付き固まってしまっていた。
彼女は恐らく相手の名誉の為に名を決して出す事は無いのだろう。そして返答に窮している、と言う事はまだどうにかなった訳では無い。
だが、告白を受けた、と言う事実は、俺にとってみれば大きな衝撃だ。ずっと覚悟していた事が、現実となってとうとう俺に襲い掛かって来た訳だ。
まだ早い、もう少し彼女との仲を縮めて、打算の裏に臆病な心を隠して長い間正当化してきた。恋に落ちてから幸せを噛み締めるに至るまで、それなりの時を経てきていたから、ゆっくりの付き合いも出来るのだと思っていた。
しかし、こう言うと彼女は必ず謙遜し否定するが、国としても彼女自身としても、とても魅力的な女性なのだ。神秘的に艶めく黒いとも烏珠の瞳も、華奢な体躯も、仄かに香る柑橘の香りも。人となりを知ってしまえば更に、彼女に好意を持つ者だって増える。分かっていながら、踏み出せなかった。
なんてヘタレなんだろう、知っている。いつも全力で恋をしてきた弟と違って、表面上でしか恋を体験してこなかった俺には、本気の恋が怖かったのだ。
だからこそ、本気の今は、負けられない、そう強く心を固めている。何所ぞの馬の骨に取られるなど、況してやイギリスやじゃが芋野郎、弟や親分に取られるなど、あってはならない事だった。
丁度彼女が選んでくれたのは人気の無い廊下。これならば、他人の目を気にしなくて済む。俺に有利なこの状況を作り出してくれた彼女は、やはり俺だけの女神だった。
廊下の壁際を歩いていた彼女の顔の横に手を付き、頬を薄紅に染めはにかむ彼女の顎を掬い上げる。俺の突然の行動を不思議そうに見返す純真無垢な瞳を見詰めて、徐に唇を押し当てた。
初めて味わった感触は柔らかく、心地よく、甘く、この瞬間だけで眩暈がしそうだった。
時間にして数秒、時が止まれば良いのに、そう思いながらも俺自身緊張と感激で沸騰しそうになる頭を振り切るように名残惜しんで離れると、まん丸に瞳を開いて俺を見る彼女と視線が絡まった。
彼女は何が起こったのか、理解しがたいように、今の出来事を徐々に処理し、漸く現実として受け止めた瞬間、茹で蛸も吃驚な程首から上を真っ赤に染め上げた。
「なっ、なっ・・・、なっ・・・!!」
言葉にならない言葉を紡ぐように、彼女は必死に口を動かしている。
その様子に笑いそうになったが何とか堪え、キリと顔を引き締める。紅潮し潤んだ瞳に、俺の酷く真剣そうな顔が映ってそれはそれで似合わないな、と自嘲した。
「俺だって、お前が好きなんだよ、このやろー。いい加減気付けよ。」
ニマリ、悪そうに笑んだ俺の言葉の意味を解してか、対応に困り視線の矛先に惑う彼女の肩に手を置く。途端に身体がピクリと跳ねた。
おずおずと俺を伺い見る彼女の瞳に浮かぶのは羞恥と微かな恐怖と、戸惑い。それらは凡そ予測の範囲内な訳だからそれらの感情に対する感傷は湧かない。
「俺の事、嫌いかよ。」
笑んだかと思えば少し悲しげな顔を作って彼女に問う。綿密な計算が無意識に為される辺り、俺も一応イタリア男だったと言う訳だ。
そう問えば彼女が否定的な答えを返す訳が無い。「そう言う言い方はズルいです!!」、と、震えの混じった声が響いた。
「嫌い、な訳、無いじゃないですか・・・。でも・・・」
続きを紡ごうとする唇に、人差し指を充てる。先はまだ、聞かなくても良い。
「別に、今直ぐ返事が欲しい訳じゃねーし。長期戦でも構わねぇよ。どうせ今までだって待ったんだしな。」
ツイ、と瞳を細めて彼女の髪を一房掬い、口付ける。
そうした動作1つにも彼女は大袈裟な反応を示した。前言撤回、確かに苦労もするだろうが、これはこれで可愛いし楽しい。
「そう言う訳で、どうあってもてめーには落ちて貰うから、覚悟しとけよ、このやろー。」
何も言えない彼女に満足げに笑って、恭しく彼女の手を取り歩き出す。
覚束ない足取りの彼女は、始終顔を真っ赤に染めて、俯いて後をついてくるしか無かったようだった。
宣戦布告は完了した。
これからが、俺の本領発揮。