きみといっしょ
「貴方の名で私を王宮に通して貰い、貴方は私のマネージメントの要領で王宮仕えになる。国の主が私達一族の価値を知らない訳がありませんからね。」
菊が国抱えの現人神の民となれば、戦の平定も間近だろう。また、国が栄えると言われる彼等なので、その待遇は良いに決まっている。
「幸い貴方は頭の回転も良い。私を売り込んで王宮に名を知って貰えば、恐らく直ぐ上位の役に就けるでしょう。」
そして、国を変えて下さい、争いの無い、平和な国へ。
続けようとした言葉は、けたたまましい音に掻き消された。椅子を蹴倒し立ち上がったギルベルトの瞳が、怒りに燃えていた。
「ざけんなよ!!俺がお前をアイツ等に渡せる訳ねーだろ!!」
「有難う御座います。私は、そのお気持ちだけがあれば十分です。」
「全然分かってねーじゃねーか!お前はもう、俺達にとって家族に等しい存在なんだ。家族を売ったりするかよ!」
2人の間を隔てるのは小さなテーブルだ。数歩行けば回れてしまう程度の大きさである。その距離すらもどかしいと、ギルベルトは身を乗り出して菊の華奢な身体を抱き締めた。慌てふためき押し返そうとする菊をそれ以上の力で抑え込んで、ギルベルトは菊の肩に顔を埋めた。その逞しい腕が小刻みに震えている事に気付いた菊は、一切の抵抗を止めた。漏れるのは吐息のみで、ギルベルトの行動を咎め諫める筈の文言がちらとも出てこない。
「お前が、俺、俺達の前から消えるなんて、そんな事、許さない。なぁ、キク。頼むから、そんな事言わないでくれよ。」
吐息にも似た囁き声が、菊の耳尻に滑り込む。押し殺した声は、そのままギルベルトの不安の表れだった。
「・・・・・・」
「もういっそ、逃げちまうか?3人で。どうせ出兵まで1週間猶予がある。そうだ、それが良い。こんな国の為に死ぬなんざ真っ平御免だ!」
グッ、と一際力を込めて菊を開放したギルベルトは笑顔だった。踏み躙られ壊された幸福の欠片に縋り、彼は笑った。菊は、是とも非とも、言わなかった。
翌日、ギルベルトは入り込む眩い光に暗い淵の底から意識を引き上げた。机上に突っ伏す形で寝ており、起きぬけの体が節々痛んだ。鈍痛に呻き、それによって戻ってきた脳が本格的に覚醒する。そうだ、深夜、キクに見っとも無く縋って泣いてしまったんだ、思い出してギルベルトは頬を朱に染めた。そのまま疲れて眠ってしまったのだろう。肩にはタオルケットが掛けられていた。
件のキクは何処だろう、ギルベルトはのっそりと起き上がり、家の中を見渡した。が、姿が何処にも無い。それどころか気配すら残っていない。嫌な予感が背筋を冷たく這う。ふと、机上に真白い何かが置かれている事に気付いた。それが目を背けたい現実を肯定するモノなのだと体中が警鐘を鳴らした。それは、紙。滑らかな手触りのソレの上に、人柄そのままが現れた美しい文字が躍っている。震える腕を伸ばし、手に取った。
「・・・・・・・・・っ、あの・・・、馬鹿!!!」
押し寄せた憤怒と悲哀の波の置場に惑い、為す術もなくギルベルトは床に崩落ちた。
『ギルベルトさん・ルート君へ。
今まで有難う御座いました。滞在の謝礼も御挨拶も無く去ろう私の無礼には心から申し訳無いと思っています。
お2人の心遣いや優しさに十分に癒され、素晴らしい日々を過ごす事が出来ました。
貴方達に会えた事は私の宝です。たとえ貴方達が忘れてしまったとしても、私の心から褪せて消えてしまう事は無いでしょう。
まだまだ伝えたい事やお教えしたい事は山程御座いますが、一身上の都合により、私はこの地を去らねばならなくなりました。
きっと、戦争は終わります。すれば貴方達にも安寧が齎される事でしょう。
したらば是非、お2人には更なる高見を目指して頂きたく思います。
お2人の賢さは私が保証します。国の役人でも事業を起こすでも、その行く末は成功と言う2文字で彩られているに違いありません。
どうか、安らかに、末長くお幸せに。遠く離れた地から貴方達の幸せを願っています。
ルート君、お兄さんを助けてあげて下さい。
ギルベルトさん、あまり無理をなさってはいけません。ルート君に心配を掛けてしまいますよ。
それでは、短い書では御座いますが、これにて。
追伸:私は貴方達に会えて、本当に幸せでした。』
ギルベルト出兵予定前日、突如戦は収束と言う結果を迎えた。
誰もが首を傾げる中、ギルベルトだけが、その裏側を知っていた。
ルートヴィッヒは嘆き悲しみ、菊の言葉を胸に強く、そして賢く育った。
そして、数年後。
血の滲むような努力の末王宮騎士団の団長に上り詰めたギルベルトは、漸く焦がれに焦がれた愛しい黒を、その腕に抱いたのだった。