No Rail No Life
シークレット×シークレット/再録オムニバス
【有楽町と東上】
いつ見ても、いつ話しかけても、いつでも笑ってくれる。それは勿論嬉しいけれど、不自然だとも思う。
だけど。
「…なに? どうかした?」
笑顔で覗き込まれると何も言えなくなって、ぎゅっとTシャツの胸元を掴んで俯くしか出来なくて。
「なんでもな、」
「東上」
「…!」
手をつかまれ悲鳴を上げるかと思った。顔が近すぎる。熱が勝手にうつってしまう。
有楽町の手は少しひんやりしていて、自分の動揺や何もかもがばれてしまいそうで冷や汗をかく。
「大丈夫か? 顔赤いけど…」
心配そうに言われて目が回った。
「だ、だだだ、大丈夫だ!」
相手はといえば、だ。
そのまったくもって大丈夫ではない様子に瞬きひとつ、にこりと笑って「そうか」とだけ口にすると、一瞬だけ手をぎゅ、と握ってからさらりと離し、じゃあ、また、と身をも離す。
開いた距離に今度は寂しさを覚える現金な胸を押さえて、うん、また、と彼はぎこちなく笑う。
そうしたらさらさらの金髪が揺れて、東上、少しだけ咎めるような、からかうような声音が名を呼んで。びくりと思わず肩を揺らしたら、やっぱりいつもの顔で笑いかけてきて。
「ここ、シワ」
自分の眉間を示して言う、その言い方が穏やかで、つられて額を押さえながら、頬は熱をもっていく。
どちらかといえば穏和で、社交的で協調性があって。多分誰からも好かれて、波風立てずにやっていける。そんな風だからきっと、自分とも呆れずに付き合ってくれるに違いない…
「…っ」
「東上? 本当にどうした? さっきから…」
一度は離れたのに気遣わしげな顔をしてまた近づいてくるから、今度こそ慌てて東上は逃げ出した。
後ろから呼ばれているような気がしたけれど、頭が沸騰したようになってしまって、もう逃げる以外思いつかなかったのだ。
「…う、東上」
「えっ」
呼ばれていることにすぐには気付けなくて、気付いた瞬間どれだけ焦ったか知れない。
顔を上げれば、怪訝そうな目と目が合う。
「なんか最近、どうかした?ぼんやりして」
有楽町はあくまでも心配そうな様子で問うてくる。
「や、そんな、ことはない、ぞ」
「そうか?ならいいけど…東上はすぐ無理するから心配だよ」
当たり前のように言って、愛想のいい男は笑った。
そうして、何事もなかったかのように仕事の話に戻る。
だけれども、心配だ、とあまりにも当然のように言われ、東上はそれどころではない。
必死で俯いて、熱を持った頬を隠す。
「…それで、これが…、て、東上」
なのに。隠しているのに。
東上が下手なのか、有楽町が敏いのか、あるいはその両方か。
やっぱり有楽町は気付いてしまって、東上の額に手を延ばしてくる。
拒みそこねて固まる東上になど構わず、有楽町は眉をひそめて言うのだ。
「お前、熱でもあるんじゃないか?この時期は治りにくいんだから、無理するなよ」
「や、え、そんなじゃな、」
「ダーメだっての、まったく。いいか?東上の代わりはどこにもいないんだぞ」
年下のくせに。
地下しか知らなかったくせに。
都会からきたくせに、東上のことなんかよく知らないくせに。
なのに、やわらかに笑って頭なんて撫でてきて、その優しい手つきが嬉しくて、だから何も言えなくて、こくりと頷いた。それ以外できなくて。
「よし。あ、後でなんか買ってくよ、昼。何がいい?」
ニコニコと笑ってそんなことまで言う有楽町の顔がまともに見られなくて、俯いたままにぼそぼそと答えた。
「…のり弁」
え、もっと奮発させてよ、と言いながらも、うん、了解、よく休むんだぞ、そう締めて、彼は東上の分まで書類を片付け立ち上がったのだった。
見た事もないような顔で腕を掴まれて、東上はびっくりして固まってしまった。
もしかしたら少し怖くさえあったかもしれない。
「オレといる時に、あいつの話をしないでくれる?」
淡々とした声に、東上は思わず息を飲んだ。
別に機嫌を損ねる要素なんてなかったはずだ。ただ、武蔵野に随分手をやかされた、そんな話をしただけで。
しかし、有楽町の単調な台詞は続く。
「越生はいい。でも、それ以外の奴の話はしないで。そんな、楽しそうな顔で」
「……」
そんなのお前はいつもだろ、とか、なんでそんなこと言うんだよ、とか、色んな反論が東上の胸中には渦巻いたのだけれど、結局はどれ一つとして言葉にならなかった。
有楽町の目が強すぎたせいかもしれないし、感情があちこちに行き過ぎてまとまらなかったせいかもしれない。
「…東上」
そして、トドメとばかり、白いワイシャツの腕に引っ張られ抱きしめられてはもはや言語中枢など運休決定だ。
かき抱かれて髪の感触や肌の温度を知る。息遣いは耳元を撫で、呼ばれた名前は普段とはまるで別の物のように響く。
目を回しそうになりながら、わずかな身長差のせいで背伸びさせられている体勢をどうにか整えようとするのだが、誰より気遣いの上手いはずの男はどうしたことかそれを無視してくれて。
どころか。
「…ぅ、ひゃっ」
首筋に鼻先を宛てられた、と感じた次の瞬間だ。濡れた感触に思わず声を上げてしまった。
「な、な、な…っ」
もがいて有楽町を突き飛ばし、けれどあんまりびっくりしたもので、ズルズルと崩れ落ち尻餅をつく。
見上げる有楽町の顔は逆光でよく見えない。
「な、なに、」
多分キスされたあたりを隠すように押さえて、東上はじっと有楽町を見る。驚きに潤んだ目で、真っすぐに。
「東上、オレは…」
線路を渡る電車の、その車輪の音が近づいてきて、有楽町の台詞の最後は風圧にまぎれてしまった。
――それはまだ、地上を走り始めて間もない頃。
見たこともない小さな花を線路脇に見つけて、その可憐さに顔が綻んだ。
そうしたらどうしたってそれを見せたくなって、無造作に摘んで持っていったら、相手は眉を曇らせた。
どうして、と思った。
花なんて、そう言うのかと。
けれど彼の答えは違った。想像したどれとも、東上の答えは違ったのだ。
かわいそうだろ。
彼は確かにそう言った。
え?と首を傾げた自分は、どんな顔をしていたのだろう。東上はちょっとだけ笑って、越生にするように、けれどほんの少しだけ背伸びをして、そうして有楽町の頭を一度だけ撫でてくれた。
ちいさくても、一生懸命咲いてるのに。仲間と一緒に咲いてるのに、これじゃ一人ぼっちだ。
言われた言葉に息を飲んだ。そんなことは考えたことがなかった。
東上は困ったように、もしかしたら少し恥ずかしげに俯いて、あ、でもこれ根がついてるな、と呟いた。
それから。
どうしたらいいかわからず途方に暮れている有楽町を見上げはにかむと、じゃ、植えるか、そんな風に聞いてきた。
植える?
と首を傾げた有楽町の手を、いくらかの逡巡の後、東上がそっと掴んできた。
ひんやりと固くて、少し小さな手をしていた。
一緒に植えよう、このままじゃかわいそうだ。
そう繰り返し言われて、有楽町は頷いていた。
そうしたら、それまで見たこともなかったような顔で、東上が嬉しそうに笑った。
作品名:No Rail No Life 作家名:スサ