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No Rail No Life

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【山形と東海道】


 無口なのの何割かは確実に自分に原因があるはずだから、責めるのは筋が違うと、確かに理解はするのだけれど。
 だが感情と理性は必ずしも整合性が取れるものではないし、それに時として理性は感情に駆逐されてしまうものだ。なぜなら感情の方がしばしば核心に近いものだから。

「山形」
 呼べば、一応は視線がこちらを向いた。
 そうしてほんのわずかだけ、微かに目が細められる。その角度はきっと優しさで出来ている。その目で見られると、どした、なんて言葉と頭をそっと撫でる手を連想するのだから。
「…なんでもない」
 ふい、と顔をそらせば小さな瞬き、そしてささやかな笑い。恐らくは自分のこの無意味な行動に対してのものにちがいない。確かめるのは怖いから聞かないけれど。
「…、」
 唇を噛んで、本当は何か言葉を探している。引き止める理由、そばにいるための言い訳を。
 既に目を通して理解している書類をことさらゆっくり読み返すのも、テーブルの上、指でリズムを刻むのも、一秒でも長く今を引き留めたいからに過ぎない。
 けれどうまく行かないもので、そんな時に限って書類も仕事もないのだ。
 折角他に誰もいないというのに。
「…東海道」
 と、のんびりとした声が自分を呼ぶので。それが突然だったので、東海道はびくりと肩をはねさせ固まった。
 バサバサと書類が落ちる。
 立ち上がった山形がそれらを丁寧に拾い上げ、とんとん、と整えテーブルに置く。
 ただし、東海道とは離して。
「…山形…?」
 ぽかん、ときょとん、とを足して割って、そこに恥じらいみたいなものを溶かしこんだ、多分かわいい顔で東海道は山形を見上げる。
 無口な男は小さく笑い、東海道、もう一度そう呼んだ。
 そして。
「…!」
 無造作に東海道の額をなでると、そのままこつり、と指で弾く。
「二人ん時くれぇ俺にかまってくんろ」
「……。…!?」
 一瞬はぽかんとした東海道だったが、台詞が脳まで回った途端、ぼ、と顔を真っ赤にさせた。
「…なんで、な。おめぇは働きすぎだべ、ちぃっとくれぇ休みなっせ」
 呆然としている東海道の頭をくしゃりと、些か不器用に撫でて、紅茶でえぇな?、そう尋ねる。
 その、背中に。
 単に心配してくれたのだ、という事実以上の物を期待していた東海道は唇を噛んで頷くしかなかった。



 普段は嫌味なくらいに自信に溢れているくせに、ふたりきりになると様子がおかしくなる。
 いきなり落ち込んだりいきなり怒ったり、泣いたり、…照れたり。
 彼から自分に向かう好意は、こう言ってはなんだが子供のように一途でひたむきだ。

 恋は盲目。

 強いて言えばそういうことなのかもしれない。
 だが、恋だのなんだの、もう少し若い時分なら、あるいは何の紆余曲折もなかったなら感じられたかもしれないが、今となっては、最高に難解な暗号のように厄介なものだ。
 それは目には見えず、もちろん触ることもできず、言葉で定義するのも難しいもの。
 そういう観点でいえば、恋とは神のようなものなのかもしれない。
 つまり、信じる者が救われる、というわけだ。
 
 喜んでいたらしいのが落ち込んでしまったので、山形は、困ったなぁ…、と少しも困ったようではない顔の下で思っていた。
 何が彼の気に障ったのかわからない。しかも、途中までは特に問題もなかったのに。
 難しい。実に難解だ。
「…東海道」
 考えてもわからないことには別の解き方を試すしかない。
 山形は考えるのをやめ、ゆっくりと口を開いた。
 拗ねたような目がこちらを伺いちらりと上げられたので、思わず目を細めていた。自分としては微笑の範疇だが、さて、どう見えるかはわからない。
 わからないけれど、微かに色を増した東海道の目許から考えると、案外通じているのかもしれないとも思う。
「なぁ。なして怒っでんの」
「…怒ってなどいない。馬鹿なことをいうな」
 ぷい、とそっぽを向かれた。しかし山形は頬杖をついて、マイペースに続ける。
「ほだら、おめさはなんで機嫌悪いだよ」
「別に機嫌なんか悪くない」
 山形は一度だけ瞬きした。そして、何事もなかったかのように続けた。
「そだら…なんで、拗ねでんの」
 きっ、と泣きそうな顔のくせに怒り心頭の様子で眉を跳ね上げ、東海道は怒鳴りながらとうとう立ち上がった。
「うるさい!」
 ガタン、と立ち上がった東海道を、山形は瞬きもせず見上げた。
 東海道はそれを見返しながら唇を噛み締めている。
「……」
 しばしそのまま、ふたりは見つめ合っていたのだが。
「東海道」
 山形は少し背を引いて、テーブルとの間に隙間を作ってから、ちょいちょいと手招きした。
 東海道はぶるぶると震えていたが、…じわり、とその目がにじんだ瞬間だった。その隙間に入り込んで、背中を丸めて山形の頭を抱きしめたのは。
「なーんで泣ぐがな」
 背中を反らして、薄い背中を宥めるように撫でながら山形は微苦笑。
 それに応えたのは、強まった腕の力だ。縋るような、甘えるような。
「おめさはほんと泣き虫だなや」
 ぽんぽん、と背中をたたきながら山形は笑う。ず、と鼻をすする音に、なんともいえない気持ちになる。
 この腕は自分を必要としている。
 強い顔をし、過剰なまでに厳格であろうとするこの男が、なにもかもをかなぐり捨てこうして縋ってくる。
 危なっかしいようでさえある細い体で、ただ必死に。
「…東海道」
 この距離なら大きな声など必要ない。聞いているかと確かめることもない。
「泣いでも、えぇけど」
「…?」
「俺だけにしでな」
「……、…!?」
 びっくりしたように顔を上げると、彼はまじまじと自分を見つめてきたので、山形は目を笑みの形に細めて手を延ばし、指先で今は潤んだ目元をなぞったのだった。

「…お前は、ひどい」
山形の肩に頭を預けて、東海道は口を尖らせる。
「お前は、わたしを振り回してめちゃめちゃにする」
それはお前だろう、なんて自明のことは言わず、山形はそっと東海道の頭を撫でた。
東海道が少しだけ口を閉ざす。
そうして、ミーティングルームは一時静寂に満たされる。
「…お前は、ひどい」
 けれども甘えたような繰り言は終わらなくて、東海道は姿勢を変えずに続けるのだ。
 しかし山形は何も言わない。
 頭を撫でる手も、止めない。
「わたしは…わたしが、いつも、どんな…」
 そこまで言って、東海道は口ごもってしまった。
 部屋にはまた静けさが満ちる。
 けれども、今度は山形が口を開いた。
「…おめさは、まぶしぃんだず」
「…?」
 東海道は怪訝そうな顔で山形を見上げた。頭を少し浮かせて。
 その視線を掬い上げて、山形はふっと目を細めた。
 少し困っているようにも見える笑い方だった。
「…わがっでな。眩しくて、まっすぐ見れないんだず」
「……?」
 東海道は素直に不思議そうな顔をした。
 山形はそれ以上は言う気もなく、少し強い力で東海道の肩を抱いた。
 東海道を疑うわけではないけれど、彼の本質が、自分といる時の甘えたような、縋るようなものだけではないと思うから、迷ってしまうのだ。

 恋をしているのは、多分きっと、自分もなのだろう。
作品名:No Rail No Life 作家名:スサ