覚えていたい唯一の
「僕は今ほど自分の愚かさを呪ったことはないよ」
彼は俯きポツリと呟いた。
──幸福の基準──
「やあ。久し振り、だね」
もう死ぬのかと観念して崩れる石柱に頭をもたれさせていると、どこからか彼が現れた。
傍らのセラは、既に何の反応も返してはこない。そろそろ自分もかと、そう思った矢先だった。
今にも死にそうな人間に久し振りとは、いささか感覚がズレているような気もしたが、正直今はそんなことを言っている場合ではなくて。
「どうしたのさ、ルック。元気がないみたいだけど」
勿論彼が冗談で言ったわけではないことは分かる。ならば何故彼の口振りが冷たいかと言えば、思い当たる理由は一つしかない。
「…………どうして、そんなに怒ってるのさ……?」
問えば図星だったようで、彼は拗ねたようにそっぽを向くとボソボソと言った。
「別に、怒ってはいない」
「だったらどうして」
「怒ってるわけじゃないっ、ただあまりに理不尽だから、少し腹を立ててるだけだ」
思わず吹き出しそうになるのを必死で我慢して、僕は言い返してみる。
「それって、意味は怒ってることと、一緒だよね?」
すると彼は予想通り、しかしそっぽを向いたまま
「意味は同じでも言葉は違う」
「言葉が違っても意味は同じだ」
不思議だった。先程までは本当に死ぬかと思っていたのに、まだこれほどまでに口が動くとは。ともすれば散り散りになりそうな思考とは裏腹に、口は正確に、彼への対応をそつなくこなす。
だけど、人間誰しも限界とは存在するもので。
「……そうだね、確かに理不尽だったかもしれないよ。僕はさっきまで'一人'だったからね」
ああ、もう彼の顔が見えない。彼はそのことに気付いているのかいないのか、今は恐らく僕の右手を見ているだろう。何故、彼のことはこんなにも分かるのか。やがて彼はポツリと呟いた。
「僕は今ほど自分の愚かさを呪ったことはないよ」
何のことだと問う前に感覚がなくなり、世界の音が遠のいていく。
「ルック」
最後に聞いた彼の声は、聞いているこちらがどうしてと思うほど悲哀に満ちていた。
────……
ティルはルックの前で静かに立ち尽くしたまま、涙を流していた。
「僕の望みはどれも叶うはずがないって、そんなことはとうに知ってたさ」