二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

あの椅子を埋めるもの

INDEX|2ページ/3ページ|

次のページ前のページ
 


男は一日に十枚からスケッチをしてくる。
人だったり、景色だったり、それは様々だ。
絵に起こすときは人物ばかりなのに、スケッチは寧ろ人物が少ない。
正式に絵を習ったわけでもないそうだが、スケッチから起こされた絵の人物はどれも得てして魅力的だ。
恐らく、スケッチの段階でその眼に映して留めたいと思うのは魅力的な人間だけなのだ。
あの男は本当に、眼には素直に映すのだ、その本質を。
そして、その眼鏡に適う人間とは数が少ないらしい。
大体、この男は人の顔を覚えないが、それは興味が湧かないからなのだ。
雑踏を描いても個人を描くことは週に幾つもない。
と、手が止まってしまった。

数多のスケッチの中で、一つ、白と黒しかない色彩にも分かる、光。
光彩を浴びた、そのままに美しい人が、いた。
美しい、という形容の基準などそれぞれだ。
財力を象徴するような衣装、遺伝だろう髪や瞳の色彩、鮮やかな表情。
しかし、そこにある姿態はそんなものとは無縁で、かつ美しい。
珍しい人物のデッサンの中でも、一際意識を奪われる、その容姿。
酷く切なく懐かしい、一見そうと分からない女性のスケッチ。
前後するスケッチから、城の一角で描いたものだと知れる。
―彼女、だ。
瞬間、情動が胸を駆け巡った。
ああ、何て懐かしい。そうか、来てしまったのか。
そうだな、彼女の性格ならば在り得ることだ。
さぞ、僕の策略の結果に驚いたろう。
城に居るのか。彼らとは仲良く出来ているのだろうか。
知る限りの彼女なら出来るだろう。
容姿が少し成長して、風姿に拘らない様も相変わらず。
―ああ、ただ切ない。
大事にしたいと思っていた。今もまだ思っている。
いっそ苦しいばかりの切なさの中で、どうしても看過できない、その光。
正しく、あの胡散臭いばかりの画家の眼力は正しい。
見る目がないと言い続けて久しいけれど、あの男の眼力を認めてもいいかもしれない。
彼女は光だ。
まぶしく、あざやかで、ただ笑顔でいるだけで、まるで僕を圧搾するように存在する光。
目まぐるしく思い出が脳裏を過ぎる横で、不意に実感する。
身体が、重い。
これはきっと、母さんと同じなんだろう。
重いと感じ初めて随分経つけれど、最近は重さの中に軽さもある。
心が、軽い。
きっと今ならどんな無鉄砲だって無茶だって、途中で失敗することが無いと感じる。
それくらい、軽い。きっと彼女に駆けつけられるくらい。
花を沢山降らせることも、賞金を手に薬を山ほど贈ることも、なんだってできそうな。
あの明るい光を思い出すだけで、どんなことだってできるだろう。
ああ、そして、光を。求めることだって。
ああ、光が、眩しすぎる。

ぱたり、とその眩しすぎるスケッチを隠すように閉じる。
男は、何故わざわざこのスケッチの管理を僕に任せると言った?
きっと男は何かしら勘付いている。
それはそうだ。僕と今上陛下の関係を穿っているくらいだ。
扉を開ければ、男はぼんやりと煙管を吹かして一服していた。
こちらを一瞥して浮かぶ、仮面の下からでも分かる苦笑の雰囲気。
ああ、馬鹿だな、僕はスケッチを抱えたままだ。
こんな感情を露にするようなこと、今までしたことなかったのに。
男もそう思って、苦笑したのだろう。
でも大体が、茶番だ。
お互いに、お互いが見過ごした振りしていることを知っている。
今ならきっと、何を訊いても男は答えるだろう。
このスケッチは、それだけの効果をもたらした。
差し込む夕日の陰影が深い。
長い陽光で、テーブルに肩肘をついた男は苦笑したまま、まるで独り言のように呟いた。
「・・・バジに、ね。格別、弱かった男がいた。本を読むのがとにかく好きで、私の暗殺現場でずっと本を読み続けて、何が起きたか分からなかった間抜けだ。大層、困ったことに、この男にとっても私にとっても、お互いが唯一の友人というやつになってしまった。」
その弱かった男を、恐らく僕は知っている。会ったことが、ある。
「あるとき、人が変わった。バジとしては有能、といわれる人間になって、あれよあれよというまに、王家にとってもバジにとっても無視できない人間になった。そうなったとき、奴はぽつりと言った。お前画家になりたいのか?ってね。」
煙管のタバコがなくなったのだろう。男はくるくると手遊びに手元を回す。
「まあ、体力的に続けられなくなったというわけじゃないけど、先が見えていて飽きた商売ではあった。だから私も曖昧に頷いた。そしたら、奴は全ての手配を整えてくれてね。なんて言ったと思う?」
これは恐らく、全て独り言の昔話だ。だから僕は水を指すなんてことはせず、黙って首を傾げる。
男は目端でそれをちらりと留め、溜息を吐いた。
「どれだけの我侭が許される立場か試したい、とこうだ。昔守れなかった憧れの人の代わりに、守れる相手がいるかどうか確かめられるのなら上々だって、さ。それだけのために、暗殺者を大々的に画家にしてしまった。名ばかりが売れてしまって大層苦労したよ。随分と、人を蔑ろにした話だと思わないか?」
僕はなんと答えても間違いだと思って、苦笑した。
初めて聞く、僕をただ殴り続けた男の話。どうしてか、あの恐ろしい男もこの仮面の口からは親近感を感じさせる。
「どうにもやりきれなくってねえ。だから画家として本格的に働く前に、ひとつあの男に内緒の叛意を持つことにした。正直、それが転がり込んで初めて、私も画家になると決めてね。あの男も、多分、本当に親切のつもりだったんだろうけど。だからこそ、私も気持ちのやり場が無くってね。」
くすくすと、楽しげに笑う夕日の男。ああ、似てるな。この男と、初めて会ったあのときに。あれも夕暮れでのことだった。
セツと別れたのも。バジに脅されたのも。この男に会ったのも。
みんな、みんな、緋色に染まった夕暮れ時でのことだった。
「そのスケッチは、本当にお前の管理に任せるよ。私物にしたって構わない。どうせ会えないだろう?」
それは、たかが助手では城に上がれない身の上だというのか、誘われても一度も城に足を入れないことをいっているのか、それとも、彼女との関係をいっているのか。
いくつもの意味はあったが、やはり、ここは従来どおり、曖昧に。
ゆっくりと、わらって。ただ一言だけ、
「ありがとう。」
それは、普段と変わらないつもりだったのに、どういう笑顔だったのだろうか。
ぼんやりと画家が固まって。
それからおもむろに僕の手のスケッチから白紙を一枚引き抜いて。
・・・仮面の少年の絵を描き出した。
流石にまずいと男の頭を殴ったのは言うまでもない。
僕はその存在を、認められるわけにも残すわけにもいかないのだ、少なくとも今は。






⇒POST SCRIPT
作品名:あの椅子を埋めるもの 作家名:八十草子