それは刹那にも似た
伊作が黙って濡らした手ぬぐいを差し出してくる。それを受け取って顔を拭いてやれば、くすぐったそうに身じろぐ。それは、忍術学園で小平太に見せる顔と大差ない。
「ひとりでは、強くなれない。そう仰いましたよね」
「ああ……」
「……囮でつかまったときも、自分たち安全をなにひとつ疑いませんでした。先輩方が助けてくださるまでの間も、辛くなどなかったんです。本当は、嫌で嫌で仕方ない行為だというのに、不思議ですね―」
ねぎらいの言葉と、心配と、褒め言葉と。そういうものを与えてくれる人たちがいるとわかっているだけで、辛くなどない。
滝夜叉丸は、そう言って笑う。
それがあまりに痛ましい。でも、それを嘆くことなど、だれにも出来ない笑みだった。
* * *
「―無事でよかった。よくがんばったな、滝夜叉丸」
「もちろんです。私は優秀な忍たまですから、どんなに任務でも完璧にこなして見せますよ」
治療を終え、身なりを整えた滝夜叉丸が長次と伊作に付き添われ小屋に戻る。それを小平太はいつも通りの笑顔でもって労い、滝夜叉丸も胸を張って答える。
ここからは伝蔵の指示で、さらわれた子供たちを守り忍術学園に戻るチームと、このままここに残り人さらい集団の壊滅に従事するチームとに振りわけられる。
六年生は留三郎を除いた全員が、残留組となる。日が昇る前に出立した撤収組を見送りながら、隣に立つ友の顔も見ずに話しかける。
「―小平太」
「どうした、長次?」
すっかりいつもの自分という仮面を被りきった男は、首を傾げる。仮面は最初こそ異物であっても、すぐにそれが本物となる。そういう器用な性格を少しばかりうらやんで、消えた背の残像を見る。
「愛しいと、思う」
音として紡げば、それはなんとも軽く聞こえる。この矛盾ばかりを抱える心の中で生まれた感情を、ひとつの単語にすることなど最初から愚かな行為なのかもしれない。
「―私は、滝夜叉丸を愛しいと思う」
武道大会ではじめて出会ったときから、そう、ずっと。
―気の毒で、哀れで、そして。
「いとしい、か」
小平太の掌が、肩にぽんと置かれる。
「私もあの子が愛しいよ。だけど、長次は、多分私の愛しいとは違う『愛しい』だろう?」
いや、違ってくれないと困るな。控え目に笑う声は、耳朶をくすぐる。
―確かに違わないと、困るだろう。
この親友とよもや後輩を取りあってのケンカなどごめんこうむる。また傷跡の残る大けがなどしたくもない。
「……だが、お前には一度ぐらい殴られるかもしれんな」
「おお。私の大事なものを奪う奴には、それぐらい受けてもらわないとな」
また、小平太が笑う。その声を聞きながら、集合をかける伝蔵の元へと歩き出す。
―愛しいと、思うのだ。
忍たまとして残り少ない時間の中で、溺愛してやりたいほどに。そのためには、この忍務を手早く片付けて学園に戻らなくては。
それをきっと誰よりもわかっている友は、背中を思いっきり叩き駆けて行った。