ブギーマンはうたえない〈1〉
ADXX年。
世界が一度滅んでから久しい年月が経っていた。
大きな戦争を重ね、最後には星の怒りを買ったような地殻変動の嵐に大津波。世界地図は一変する。今では人間という種が認知している大きな大陸と小さな島々が広大な海原へ散り散りと点在し、その縮まれた箱庭の中で人々は今も尚生き続けていた。
文明は最盛期よりも二世紀程後退し、また独自の進化を遂げる。人間は強かな生き物だ。一度けつまずいてもただでは起き上がらない。その生命力と種の向上せんとする能力は、地球上での王者を冠する一役を担ってもいたのだろう。いまだ人間以上の強種は台頭を顕にしてはいなかった。
その中でのひとつの国の話をしよう。
『大陸』という広大な土地を有する国は一度痛い目を見たにも関わらず紛争を重ね、だが最後には統一を果たし強大な一大軍事国家を築き上げていた。
国民は十五になると一度軍の兵役につき、そこから適材適所と労役につくか学舎に詰め込まれ国のために生活を余儀無くされる、今で言う共産主義の体制が敷かれた。その部分についていえば、各思想から始まった国間紛争を防ぐためのいわば苦肉の策であったのかもしれない。
だがその『大陸』の中にある特別な地域があった。『湾岸区』と呼ばれる東沿岸部に属する一区域である。
この区域には『大陸』も手を出せない特殊な事情がある。だがその理由は一般には知られていない。ただ『大陸』の中にあって尚そこは独自の統率制を司る地域であり、ある意味治外法権と似たような区域でもあった。
だが『大陸』としてはそれを寛容しているわけにはいかない。度重なる血流の末手に入れたやっとの国内統一という平和。その区域だけ例外にするという選択肢は『大陸』には許されていない事実であった。幾度となくその区域を手にいれようと『大陸』は動くが、それもあえなく失敗に終わる。武力をもってしてもそれは敵わぬことであった。
だが軍内部のある者のある計画の発案により、その問題に光明が見えることとなる。
その計画の名を、"ヒューマニック・バン"。英訳して"Humanic・Bang"と表記されるそれはいわゆる人型爆弾と意味づけられた。だが人型の爆弾をそのまま区域へ物理的に投下というわけではない。概要を説明すると外からの攻撃ではなく内からの攻撃。区域へ刺客を差し向け、区域の中心になる存在を破壊することにある。
人型ととるだけあって、刺客は人間ではない。では何故刺客は人間ではないのか。それは『湾岸区』の中心にある存在がまた人ではないモノであったからだ。人ではないそれを破壊するのはまた人ではない怪物の仕事。そのためにある一人の人間をベースに兵器と称される存在が製造される。
人により、人から生み出した人ではないそれ。彼らは得てしてその存在を、畏敬を込めてこう呼んでいる。
人造人型爆弾兵器(ヒューマニック・バン・アンドロイドアームス)"津軽"――と。
***
淡い橙の照明に照射され、グラスの氷がカラリと揺れる。だがグラスの中身は雰囲気にそぐわずオレンジ色をしていた。照明の光ではない。液体そのものがオレンジ色だ。そういう色のウイスキーやブランデーではけっしてないのであしからず。ちなみにオレンジジュースだ。
そのグラスの前に居座るは異様な男である。異様ととるのは姿かたちではない。いや、一方には姿かたちともいえるが彼自身の形態が異様なのではなく身に纏っている衣服が異様と言えた。
随分前に滅び去った和国で見るような着流し。だが紋も模様もひとつもないただ闇を映したようなその色合いは珍しい。そして金糸の髪を首元までぶらさげて象るその容貌はパッと見るだけにはそれなりに整っているようにも思えるが、その顔の一部にまたこれも闇色に映るサングラスをかけているのでその全容が知れない。おそらく青年ととるぐらいには若い男のようだ。しかしどこのヤクザの若頭ですかと言いたくなるようなその風体に、だが飲んでいるものはオレンジジュース。なんともアンバランスなこの組み合わせは見るものが見れば「しっ、見ちゃいけません!」と子供の目を押さえながらそそくさと立ち去ってしまうであろう。酒場という場所にはたして小さな子供を連れた母親が訪れるかは甚だ疑問であるが。
だが青年はそれをどうとも思うこともなく、(その張本人が客観から見ての感想を疑問に思うことはまずない)手にした細長い管を口元に寄せると、その先から刻み煙草を燃やした煙をすぅと吸い込みしばらくしてふぅと白く吐き出した。
「やあマスター、何か景気のいい話はねぇかい」
そう声が聴こえた。発したのは着流しの青年が座るカウンター席の二つ隣の茶色いコートに身を包んだ男だった。口元には無精ひげを生やし、同じ色のつばの少し突き出たキャップを被りこちらはウイスキーが注がれたグラスをカラカラと揺らしながら目の前にいるマスターに話しかけている。マスターはマスターで上の棚に磨いたグラスを乗せ、その褐色の肌に大振りの体躯を振り返らせながら話しかけた男ににこやかな笑顔を向けてこう言った。
「オ客サーン、ケイキわるいネー? デモそんなケイキわるいナラコンナトコデお酒ノンデチャダメダメよー? デモ男ならノマナキャヤッテラレナイ時もアルネー。ダカラホラ、ググットイッチャイナヨー! コンドはドンペリイッチョか? マイドアリー!」
「それこそ俺の財布の景気が悪くなるでしょーがッ! てかこんなさびれた酒場にドンペリ!?」
「サビレター?? ノンノン! ふぜいアルッテイウネー。ダカラホラググットググットー! ピンクノドンペリイッチョー!」
「いやムリですって!」
なんともにこやかに押し売りされてはいるが、男も男で財布の紐は固いようだ。あのカタコト胡散臭い売り文句では当たり前といえる。
だがマスターもマスターでハハハと白い歯むき出しで笑いながら「冗談ヨー、デモコンドはオカネモッテキテドンペリーニョヨロシクネー」と念押しだけは負けていない。ある意味商売根性が座っているとでもいえばいいのだろうか。
「ソイエバ今度コノチカクのゲキジョーで舞台、ヤルラシーヨー? オオムカーシにホロンダ西洋ノ童話をモトニシタオハナシでイイハナシラシイヨーミルトイイネー」
「童話、ねぇ。どんな話なんだい?」
「ソレハミテカラノオタノシミヨー」
「はは…、それってあんた知らないだけでショ…」
「OH、シッツレイネー! チャント知テルヨー! 怪物のオハナシネー」
「怪物?」
「ソウソウ。マチのハズレにスンデルカイブツがマチのニンゲンをドウニカコウニカシヨートスッタモンダオマツリサワギー! デモカイブツハトッテモヤサシーイ! トモダチがホシイカイブツのオハナシネー」
「?? えーっと、本当は優しい怪物が友達が欲しくてなにか奮闘する話かね。なんだかどっかで聞いたことのあるような話だなぁ」
「イイハナシヨー。オ客サーンミタイなサイフのヒモもココロモセマーイヒトはゼヒ見ルベキネー」
「ちょっとちょっと! 財布と心は関係ないでしょ!」
作品名:ブギーマンはうたえない〈1〉 作家名:七枝