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ブギーマンはうたえない〈1〉

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街の劇場で今度行われる舞台公演のことらしい。酒場の入り口には小さいがポスターのようなものもあり、そのイラストにはポップ調なタッチで真っ黒いいでたちをした怪物が描かれている。どちらかというと大人向けではなく、子供向けの公演である雰囲気さえ窺わせるそれらは、だがマスターの話では荒みきった大人にこそ見てほしいと客に勧めているようだった。
着流しの青年はその様子をチラリと横目で見やり、だが何の感慨を持つこともなく目の前にあるグラスに口をつける。ただのオレンジジュースであるそれをチビリと口に含んで青年はまだ量のあるそのグラスをことりとカウンターに置いた。と、手にしていたキセルの雁首を逆さにしてトントンと灰を灰皿へ落としてから、ようようと席を立つ。
立ったところでマスターから「オー、マタオイデーヨ!」と先ほどの客に向けていた笑顔と寸分違わぬ商売人の笑顔を向けられ、青年は少し立ち止まって軽く会釈をしてから店を出る。カランと軽い鈴の音が響き渡り、ふわと外に香る夜のすえた空気が店内に入り込んだ。
カウンターに座っていた茶色いコートの男はその静かな、だが目立つ風貌の青年の後姿を見つめ、そして青年が座っていた席の前にある中身の残ったグラスを見やる。揺らしていたグラスを一口含み少し喉をやいて胃に下る冷やりとした液体を楽しみながら、男は自分がふと思った疑問をマスターに話しかけるでもなく自然と口に乗せていた。


「煙管咥えながらオレンジジュースって、オッサンなのか子供なのかわからん男だねぇ」

















歩き煙草はいけないと教えられたので、葉を継ぎ足したはいいもののそのまま火はつけずに手で持て余しながら暗がりの通りを進んでいる。
街へ入ってから数日あの男と一緒でどこにもいけなかったので、ちょっと気分転換に外へ出てみた。目的を忘れたわけではないけれど、あまりにも何もなく平穏なこの街並みに拍子抜けしたといってもいいかもしれない。
口にしたあのオレンジ色の飲み物は美味しかった。だけど初めて飲んだので、あまり大量に勝手なものを体内に入れるとあの男が口煩くしてしまうだろうからもったいないとは思いつつ残してしまったのだ。聞いてみて、許可がもらえたらまた飲みに行こう。
今は男が待っているであろうホテルへの帰路についている。道は頭の中にインプットされているから迷うことはない。次の角を右に曲がろうかというところで自分の後ろから「あ!」と聞いたような声がした。その聞き覚えのある声音に振り返ったところで、思い浮かべていたその男がこちらに走ってくるのが目に映る。


「あー! あーーー!! あーーーーーーーッもうっ!!! やっとみーつーけーたーッッ!!!!!」


黒ぶちの眼鏡をかけて髪を外側にぴょんぴょん跳ねさせた白衣姿の男が青年の下に駆けて来る。よく見ると白衣の下はスーツを着ていて、まるで学会帰りの科学者か医者のようなそのいでたちは、着流しの男には劣るかもしれないが昼間の通りであればなかなかに人々からは浮いた格好をしているに違いない。青年にも言えることだが今が夜だからこそ誰の目にも留まらぬことが幸いだった。
そして知り合いなのだろうその浮いた格好同士の二人が通りの端の方でやっとの合流となる。着流しの青年はゼエハアと膝に手をついて息を整えている白衣の男を「ん?」という具合に首をやや斜めに傾けながら見下ろして、まるで他人事のようにでも心配そうな調子で「大丈夫か」と男にきいた。
男がそこでガバッと顔を上げて、若干こめかみをひくつかせながら着流しの青年の肩を掴んでくる。


「つーーーがーーーるーーーッ??? 一体全体誰のおかげで僕の大腿二頭筋と下腿三頭筋が悲鳴を上げていると思っているんだい〜〜ッ!? てか黒っ! なにそれは闇にまぎれて僕の追跡を誤魔化そうって腹づもりだったりするの!? 幾ら寛仁大度な僕でもそれはちょっと…、じゃなくてなんで勝手にどっか行っちゃうのさ!」
「…………すまない」
「っ! ぁあ〜! まぁそこで素直に謝っちゃうから僕も許しちゃうけどね! でも駄目だよ津軽! 君はこの街では僕の指示に従ってくれなくちゃ…。だいたいメンテナンスすっぽかして君の身体にどこか異常が起きたらどうするんだい! 驕る者久しからずといってね、自分の立場を過信して勝手なことばっかしちゃうといつかはそこから転げ落ちて……」
「…新羅、ごめん。早く帰ってメンテナンスしよう?」
「って、ああ〜! 一寸の光陰軽んずべからずと言いたいのかい?? 酷いよ津軽! 僕がどれだけ君のことを探していたのかも知らないくせに! まさに暗中模索、苦心惨憺、難行苦行、弱り目に祟り目? はちょっと言いすぎかな! ああ、でも確かに君の言うとおりだからね! 明日の夕方のリハまでに君に標的の情報もインストールしなきゃいけないから、じゃあ早く帰ろうか!」
「? 情報掴んだ…のか」
「う〜ん、掴んだ、というよりは。確信に近い推測、かな…。とりあえずその情報を元に君にはまず標的の探索をしてもらわなくちゃいけない。そしてその標的の破壊。…その為に僕らはこの街に来たんだからね」
「……ああ、わかってる」


津軽と呼ばれた着流しの青年と、新羅と呼ばれた白衣の男。
夜闇の中で人通りはないとはいえなにやら物騒な話の内容に、街への危機信号か近くに潜んでいた野良猫がにゃあとひとつ呻きをあげた。
街。ここは『湾岸区』と呼ばれる外とはまた違う法則に縛られた異なる国。
その街にとって津軽と新羅は完全に異邦者であり、だがそんな異物すらも飲み込んで今日も街は静かに月明かりと闇が交差する夜に沈みゆくのだ。
まるでなんのことはない、たかだか小さな虫が迷い込んだとでもいうように。















人造人型爆弾兵器、以降人型兵器と称させていただく。"津軽"と名を与えられたそれは人間と寸分違わぬ容姿を持ち、だが人間ではない。
彼はここ『湾岸区』を調査、そして破壊するために遣わされ、そしてそのためだけに造られた人造人間である。
だが新羅から聞いた話によると、改造される前には津軽は普通の人間であったらしい。"平和島静雄"という『大陸』の軍中央に所属していた人間をベースに改造が行われ、そして誕生したのが津軽である。
鋼も通さぬ特殊セラミック加工の肉体に、尋常ならざる怪力を発するその両腕。動物と同等の五感を持ち、またその眼球には温感・電磁波を視覚的に映すサーチアイが備わっている。
だがそんな人間ではない身体ではあるが、血は人と同じように流れている。元々が人間であるため、どうしても人である部分は残ってしまうのが機械(ロボット)とはまた違うところでもあった。