ブギーマンはうたえない〈1〉
そんな非人道的な処置が普遍的に行われているのかと問われれば答えはNOだ。この"津軽"は特例であり、そして人間から兵器を開発するという反倫理的な実験の被検体の第一号でもある。言うまでもなく一般には知られていない。軍内部の日陰にあたる第一級機密事項であり、知る者は軍上層部と開発にあたった新羅だけ。後にはブラックボックス扱いになるであろうこの計画は、だが『大陸』が『湾岸区』を手にいれるために残された希望でもあり、その大いなる希望のために犠牲になったのが津軽ひいては"平和島静雄"という一個の存在だった。
「じゃあ津軽、これから君の脳に情報を送るからね。楽にしてて」
「ああ」
平和島静雄は、軍内部でも特に素行に問題のある人間だった。任務経歴や戦績を見れば格段に輝かしい功績を持つ男であり地位もそれなりに高いところにあったのだが、いかんせん彼は良くも悪くも"普通の人間"だった。
人の死に心を傷ませ、また理不尽な行為に対しては気に入らないと己の主張を力づくで通す。上から見れば"普通"というよりはただの癇癪持ちの"子供"と捉われる彼の行動であり、戦力にはなるがその力でいつ反乱分子となるかもやぶさかではないとして一部の上層部からは危険視されていた人物でもあった。
そこで持ち上がったのが人型兵器開発計画。計画の被験者に抜擢されたのがその平和島静雄である。計画の根底には『湾岸区』奪取、もしくは破壊が念頭にあるそれではあったが、裏事情を説明すれば持て余していた平和島静雄という因子の体よい厄介払いという側面も有していたことは知る者が知れば察するに易い事実であった。
だが静雄も二つ返事でその要請を受諾したわけではない。むしろ脅しで、彼はやむなく計画の一端に呑み込まれていくことになる。
彼には"平和島幽"という唯一の肉親である弟がいた。静雄は人柄は良くも、その沸点の低さとそれに伴って化物並みの力で全てを破壊してしまう行動により、彼という人間を理解する前に彼の周りには誰も近寄ることすらなかったのだ。
だが幽は違った。弟であるからかはともかく、兄である静雄に、その力に恐れることもなく彼の傍らに存在し理解する人間であった。そして静雄もそんな彼を愛していた。己の持つ至高の宝石であるかのように、それは大切に大切に愛していた。
しかしそれが仇となる。冒頭で説明したように『大陸』は共産主義に近い体制を敷いた国である。個人の力も思想もその個人の有するところではなく、国にある。そして幽を軍は人質に取った。計画の被験者に"平和島幽"の名を挙げてきたのだ。
これは静雄を快く思っていなかった一部の上層部の仕業によるものだが、弟を溺愛する静雄にとってその不条理な要請は断ることができないものになった。改造の末、自分の身に何が起こるか、もしかしたら死ぬかもしれない恐怖よりも弟を守りたいという意識の方が勝ってしまったのだ。
そして"平和島静雄"は"津軽"に、ほとんど別の存在に生まれ変わることになる。
(…シズオは、どうして思わなかったんだろう)
情報が流れ込むヘッドホンに意識を傾けながら、津軽は奥の意識でふと思う。
実は津軽の中には静雄の頃であった記憶はほとんどない。これまでの経緯は、津軽として最初に目覚めた自分に新羅が説明してくれたものだった。
だが最初はそれどころではなかったらしい。どうしてそのような事態に陥ったのかは当事者であるにも関わらず記憶が曖昧なため明確に説明することができないが、自分がナニであるかが分からなくて酷い混乱に陥っていたのだと後から新羅に聞いた。その意識を平定するために、これまでの経緯を、"平和島静雄"という意識を覚醒するために情報を与えられたわけである。
(記憶がないおれは、本当にシズオなのか)
姿かたちは平和島静雄そのものだ。新羅に見せてもらった写真の中の静雄は、津軽と同じ容姿で、だが勝気に笑っているものだった。津軽は笑うことは少なかれど、自分の顔が静雄と同じ容貌であることぐらいは認識できる。
でも、と津軽は思う。どうして平和島静雄はその危険性に気づかなかったのか。
記憶をなくすことによって、"平和島静雄"はこの世から消えた。ここにあるのは、ただ軍のために改造された"津軽"という兵器だけ。曖昧に、おぼろげに浮かぶイメージはあれど、それが本物である確証は津軽にはない。
自分は静雄であるのに、静雄という意識はない。それは結局、静雄の死と同じことではないだろうか。
では自分は一体何者なんだろう。
兵器なのに、不安が残る。これは人間であった時の名残、か。もしくは。
ただ"津軽"として目的を遂行するためにここに存在し、そして行動する。全てはそれだけのことで、それだけが津軽の世界の全て。そこに疑いを持つことは許されず、そして持つことすら津軽の意識にはまったくない。静雄のことですら、こうして思案に浮かぶことはあるが、まるで何かの物語を読んで読み手が主人公の行動に抱くただの感想程度ぐらいの感慨しか持ち合わせていない。そう、"自分"ではなく、"他人"のような。
(…でも、)
その最初にあった時のように混乱に陥ることはなくも。でも時折、そうふとした時に、この足元から崩れていくような覚束ない感覚は。
これが"恐怖"という感情なのだろうか。
〈ブギーマンはうたえない・1〉
※友情出演?
マスター→サイモン
客→贄川さん
作品名:ブギーマンはうたえない〈1〉 作家名:七枝