さても彼の糸
水門長を固有技で倒した徳川は、マップに記された最短ルートを無視して動き出した。このプレイヤーは特別恩賞を狙うつもりらしい。伊達もまた徳川の背を追って走り出す。時折近寄ってくる赤いバーの記された上田の敵兵を薙ぎ払い、倒れてはすぐに消えてゆく亡骸を見送る。CGで表現された桜のはなびらが伊達の頬に貼りついて、すぐに消えた。上田の桜は常に満開だ。はなびらはいくら散ってもその花が尽きることはない。今の徳川のようにプレイヤーキャラとして操作されているときの意識はおぼろげだが、こうしてお供武将としてついて行くとき、敵大将として配置されたときにはそれなりの自己意識が働いている。どれだけの時間が経とうと散りやまない桜は、それなりに物悲しい。今は真っ青の晴天だが、己がこの上田城に敵総大将として配置されるときは上田城は夕暮れどきだ。プレイヤーキャラを待ちながら、兜を脱ぎ、満開の桜のもとに腰を下ろして待つのが常だった。動かない雲を眺め、前立ての弦月が夕陽を浴びて橙に染まるのを視界にとらえる。己の感覚がどれだけ機能しているかを考える時間だ。夕暮れの桜吹雪を視覚にとらえることはあっても、このからだはその枝木を揺らしているはずの風をとらえることはない。
水の引いた堀へ入り、いくつか青いつづらを壊す。わらわらとわいてきた赤い敵武将を倒し、伊達は徳川の黄色い背を追いかけた。真田が槍を構えて待つ大舞台を横目に、背後の陣大将を倒す。プレイヤーの視界に入ったことでCPUによって固定された真田は動くことがない。その長い後ろ髪と鉢巻きが風になびくのみだ。あれはよくござらん、とよく真田はこぼしていた。待っておる間に鍛錬をしておっても、いきなりからだが硬直して言うことを聞かなくなる、動こうという意思そのものも薄れていって、じきに目の前が真っ暗になり申す、あれはよくござらん。それを聞いたとき、伊達と真田でもどうやら作りは違うようだと気づいた。伊達はプレイヤーキャラと剣を打ちあっている間も意識が飛ぶことはない。確かに自分の思い通りには動かないが、伊達の自己意識は薄いながらも残っている。だが、なんにせよCPUに意識をほぼ支配されて、己の思うままに暴れられないのは気分がいいことではない。……跳ね橋が下がってゆく。奇襲は成功だ。大舞台に躍り出る。あくまでここのプレイヤーキャラは徳川だ。伊達は一歩引いて彼らの討ちあう様子を眺めている。寄ってくる足軽兵を切り捨て、刀で肩を叩いた。彼らは伊達の対角線上で接近戦を繰り広げている。真田の頭上に表示された赤いバーも残り少ない。徳川がBASARA技を発動させた。アシストをせねばなるまい。伊達は一足飛びで真田に向かってゆく。バリバリと雷電を撒き散らし、大舞台が黄と青に染まる。そうして、ゆっくりと真田が崩れ落ちるのを見守った。プレイヤーキャラである徳川の姿がじきに薄れてゆく。ステージは一瞬時を止め、そしてまたじわじわと動き始める。伊達はまだ寝転がっている真田の肩を爪先でつついた。おい、いつまで寝てやがる。……起きてござる。真田の声は幾分か低い。ゆっくりとうつ伏せていたからだを返し、大舞台に大の字に転がった。伊達はその傍らに腰を下ろす。兜を外し、横に置いた。桜吹雪はこの大舞台には届かないはずだが、その前立てにひとひら貼りついているのを見る。摘みあげようとすると、そのすんでですっと消えていった。
今日は早かったな。にやにやと笑いながらそう問いかけると、今日は普通の某であったゆえ、と返ってくる。究極だったら容赦しねえって?ぶすりとくちびるを尖らせたまま、真田は伊達の問いかけを無視してなにゆえ……と呟いた。なにゆえ、この御仁は某にも伊達殿をつけてくださらぬのだろう。
真田の言うことを理解するのに少し時間がかかった。……だってお前、西軍だろ、なんで東軍の俺がつかなきゃなんねえの、それに俺のアシストは雷属性じゃねえと意味ねえし。……徳川殿は光属性でござろう。でも東軍だし、とりあえず信頼度を上げておこうって腹じゃねえの。肘をついていまだ寝転がったままの真田を見下ろすが、彼はからだを起こす気はないらしい。槍を投げだし、両手で顔をごしごしと擦っている。そうしてまた大の字にからだを広げる。眉は不機嫌にひそめられたままだ。……お前、俺と一緒に出陣できないからすねてんの?……すねてござる。そこだけ素直になられてもな……。後ろに腕をついて、まじまじと真田を見つめる。そのからだに桜吹雪が降りかかる。真田はその一枚を摘みあげて、指の間でそれが消えてゆくのを眺めている。もともと某はこの桜のはなびらとそう変わらぬあり方のものでござろう、それがなんの因果がこうして意識を保てており申す、ならば少しぐらいはこの世界を楽しみたいと思うても……。
世界といっても、ここがCPUがほとんど支配している場であることに違いはない。こうして伊達と真田が会話をしているのも、彼らの目こぼれに過ぎぬ。いつプレイヤーキャラとして、敵大将として、お供として呼び出されるか判らない。いや、そもそも時間の感覚さえ薄い。この上田城は夜を迎えることなく、桜の咲いた春で時間が止まっているのだ。……伊達はそっと腕を伸ばした。真田のはだけた上着の下にそっとてのひらを滑り込ませる。皮膚の下でどくどくと脈打つのを感じる。政宗殿? あんたの心の臓は、動いてるな。止まっているとでも? いや、そもそも俺たちにそういうものがあるのかと思ってな。
伊達の六爪はそれなりの攻撃力を持っているが、それで斬りかかっても敵武将たちが血をしぶいて倒れることはない。なまくらかと思えばそうでもない。そういう場なのだ。すべてそういうふうにCPUが操作している。伊達は真田の心臓においていたてのひらを一端下げる。籠手をはぎ取り素手でもう一度そこに触れた。その手首に真田のそれが絡む。……なあ、あんたはどう思う。なにをでござろう。俺の意識は本当に俺のものだろうか、俺が勝手にそう思っているだけで、本当は奴らが操作しているものじゃないだろうか。本来、キャラクタの自己意識など生まれるべきものではないはずだ。だが、それすらCPUの意図したものであったら?
ぐっと手を引かれた。真田の体の上に覆い被さるかっこうになる。真田の熱いてのひらが伊達の背中を撫で、髪を梳く。伊達殿が不安になるのも判り申す、時折この世界に俺はいるべきではないのだと、そう……。伊達の髪を梳く手は止まることがない。伊達は舞台に手を突いて少しだけからだを浮かせた。彼の肩口に顔を埋める。真田が少し笑う気配がする。