とある黒猫の一日
そろそろ家に入ろうかと思った時、間近できく、と名前を呼ばれました。驚いて顔を上げると、もう帰った筈のあーさーさんの顔がすぐ傍にありました。どうして?そう聞く事は出来ませんでした。その前に口を塞がれてしまったからです。口と口を付ける行為は、確か接吻と言った行為だった気がします。近所の酒屋さんに住んでいるみけ姉さんがそんな事を言っていたような気がします。
呆然としている私を残して、あーさーさんは全速力で走っていってしまいました。その耳が真っ赤な事真っ赤な事。それでやっとどういう事をされたのか気付いた私は嬉しさと恥ずかしさで心臓が壊れてしまいそうなぐらいでした。
ふわふわした気持ちのまま家の中に入りますと、ご主人様の機嫌は底辺まで落ちてしまっていらっしゃいました。私の居ない間に何が起きたのでしょうか。薬箱を閉める手はとても乱暴で、大きく鳴った音に思わずびくりと体が跳ねました。
私の姿を見つけてご主人様は声を掛けてくれたのですが、やはりその声は不機嫌さを隠しきれていません。ご主人様が私やぽちさんに八つ当たりする事なんてありませんが、それでもやはり、少し怖いです。
何があったのかとぽちさんに聞くと、お客さんが来ていたのだと教えてくれました。言われてみると、なんだか部屋に嗅いだ事のない花の匂いが薄っすら残っているような気がします。部屋を見渡した時に短い金髪が落ちているのを見つけたのは内緒にしておこうとぽちさんと決めました。
けれど私は思うのです。実はご主人様も私達と同じなのでは、と。
怪我をしたのか分かりませんが、出掛ける前は無かった首の絆創膏を手で押さえながら怒るご主人様の耳は、あの時のあーさーさんの耳のようにそれはそれはとても鮮やかな赤い色をしていたのです。
とある黒猫の一日