透きとおるシャボン色
設楽先輩は夏が苦手だ。ついでに言うと冬も苦手だ。暑いのと寒いのが苦手で、あんまり大きな声じゃ言えないけど、運動もにが・・・そんなに得意ではない、の、です。
ただでさえ暑がりな先輩をこの炎天下の中外に連れ出したのは紛れもなく私。折角の夏休みなんだから、と強く押せば、一見我儘で強情のように見える先輩は案外優しく紳士でもあるので、私が本当に行きたい、と強く申し出れば、それを無下に断るような人ではない。言うなればつまり、私は先輩の優しさに浸けこんだのだ。
「・・・暑い」
「暑いって思うから余計に暑く感じるんですよ」
「暑いから暑いと言ってるんだ、事実を口にして何が悪い。それに、そんな根拠のない屁理屈は聞いていない」
あからさまに不機嫌な態度にカチンとくるものの、無理を言って連れだしたのは私だから、と強く自分に言い聞かせて不満はぐっと喉の奥に飲み込む。どんな小さな日陰にも身体を縮めて入り込む設楽先輩の姿は、普段の先輩が見たら嫌悪を覚えるに違いないけれど、背に腹は変えられないのだろう。いかなる涼も見落とさずに入り込む先輩の姿は正直とてもかっこわるい。
今日この森林公園にいる人たちの足の矛先はその殆どが一か所に向かっている、と断言しても過言ではないだろう。元気に辺りを走り回る子供やその親たちをはじめ、私の周りにいる人たちの進行方向は確実に噴水へと連なっている。子供たちは突然目の前に姿を現したと思ったら、次の瞬間には全然別の場所に移動しているなど、子供の動きというのは本当に予測がつかない。容赦なく降り注ぐ太陽光と、それを受けて地面から反射する熱が加算しあって足の裏がかーっと強く火照っているのがわかる。体感する熱が上昇していくにつれ、隣の先輩の堪忍袋も徐々に確実に限界へと向かっているのも手に取る様にわかった。
「先輩、えと、ほら、アイス!アイス屋さんがありますよ!」
「アイス、だと・・・・」
目の前にぴょんっと突然現れた子供を焼き殺さんとばかりに睨みつけていた先輩の機嫌をどうにか宥めようと、私は先輩の肩を叩いて向こうのトラックを指さした。パラソルの下ではためく『アイスクリーム』の文字を目にした瞬間、先輩の瞳がきらりと輝いたのを私は見逃さなかった。よし、これだ。
「私、買ってきますね。先輩はそこの木陰で待っててください!」
私は半ば小走りでそのアイスクリーム屋さんへと向かった。この炎天下もあってアイスクリーム屋さんの前にはそこそこの行列が出来ていたけど、ほんのり漂うドライアイスの冷気が僅かながらに肌に触れただけで、逆立っていた気持ちがいくらか緩和される。はー、ちょっとだけだけど涼しくて気持ちいい。ぱたぱたと手で顔を扇ぎながら木陰の先輩の姿を伺うと、先輩は花壇の淵に腰を下ろして休んでいた。これで少しは先輩の機嫌がよくなるといいなあ。
列はスムーズに進んで行き、5分も待たない内に自分の番までやってきた。バニラとチョコをひとつずつ買って、私は先輩のいる木陰へと戻っていった。
「お待たせしました。先輩、バニラとチョコどっちがいいですか?」
「・・・バニラ」
「はい、どーぞ」
「ん、その、」
「はい?」
「ありがとう。その、わざわざ買って来て貰って、悪いな」
悪いな、を言い終えてすぐ先輩は自分の口をアイスで塞いでしまった。無心でアイスを頬張る先輩の耳が赤らんでいるのは暑さのせい、ということにしておこう。じゃないと私の中でふつふつと沸き立ち始めた熱の正体の言い訳が見つからなくなってしまう。先輩の隣に座って、二人で黙々とアイスを頬張っていたら、べしゃり、と何かが潰れたような音がして、自然と音がした方へと目が動いた。
「あー・・・やっちゃった」
「なんだ、何かあったのか?」
「はい、ちょっと」
すみません、と告げて私は先輩の隣を後にした。木陰を出てすぐのところで、小学校低学年くらいの男の子が腹ばいになって寝ている。その傍らでひっくり返ったアイスのコーンが、無残な形となってじわじわと地面に吸い込まれていた。
「ねえきみ、大丈夫?」
「う、あ」
どうやら顔から転んだらしく、地面に伏せたまま顔を上げた男の子の額にはすり傷が出来ていた。皮膚を破ってじわりと血が滲み出てきている。男の子は呆然とした様子で傍らのコーンを眺め、やがてその顔はくしゃりと歪んでいき、やがて何かスイッチが入ったかのように唐突にわっと泣き始めた。
「えと、えーと、どーどーどー」
「それは馬をあやすときに使うやつだろうが」
木陰に置いてきたはずの設楽先輩がいつの間にか私の隣で一緒にしゃがみ込んで、泣きじゃくる男の子をじっと見つめている。さっきの殺気立った様子で子供を睨む先輩の姿が脳裏をよぎって、これは何かまずいことが起こるのでは、と懸念しはじめた矢先に、先輩のおおきな手のひらが男の子の頭にぽふんと置かれた。
「男が人前で簡単に泣くんじゃない、みっともない」
「ちょっと、先輩っ」
「だ、だってっ、ぼくのアイ、アイスがぁっ・・・」
「お前が慌てて駆け回るからだ。ほら、立て」
設楽先輩の指が男の子の頬を強く擦り、こびりついていた砂を落とす。あ、ゆび。先輩の真っ白で傷一つない指が砂と涙で汚れてしまった。見ていた私の方が何故かドキリとしてしまい、けれど先輩は顔色一つ変えず、男の子を立つように促している。
「アイスなら俺のをやる。といっても食べかけだが・・・」
「ほ、ほんとに!?」
「これでいいなら、やる」
「いるっ、ほしいっ、ぼく、食べたい!」
「わかった。だったら、いつまでもそうやってぐずぐずするな。格好悪いぞ」
「わ、あー・・・えへへ!」
拭ってもらったとはいえ、まだまだ涙と砂でぐしゃぐしゃな顔の男の子は、そんなの一切構わずといった様子で、貰ったアイスを嬉しそうに掲げながら、眩しいくらいにきらきらと無邪気なえがおで笑って見せた。
「アイスを食べるのは顔と手を洗ってからだ。今度は走るなよ、次また転んでも俺はもう知らないからな」
「うん!おにーちゃんおねーちゃんありがとう!」
今度は慎重な動作で、手元のアイスをじっと見つめながら、ゆっくりと地面を踏みしめて男の子は向こうの方へと歩いて行った。男の子が両親と合流したのを見届けてから、立ちあがろうとした私より先に先輩が「戻るぞ、」と告げて先の木陰へと戻っていった。私も先輩の後に続いて、さっきと同じ場所、先輩の隣に改めて座り直す。先輩って、子供嫌いなのかと思ってた、けど。
「設楽先輩」
「なんだ」
「アイス、一緒に食べましょう?」
私も少し食べちゃってますけど、と付け足すと、先輩は困ったようにうすくわらって、
「生憎俺は今手を使えなくてな。お前が食べさせてくれるのか?」
「はい、どうぞ」
手の中のアイスを先輩に向かって差し出すと、先輩は薄く眉間にしわを寄せて、私までは届かない声量で何かをぼそっと呟いた。
「え、今なにか言いましたか?」
「なんでもない!いいから寄越せ!」
ただでさえ暑がりな先輩をこの炎天下の中外に連れ出したのは紛れもなく私。折角の夏休みなんだから、と強く押せば、一見我儘で強情のように見える先輩は案外優しく紳士でもあるので、私が本当に行きたい、と強く申し出れば、それを無下に断るような人ではない。言うなればつまり、私は先輩の優しさに浸けこんだのだ。
「・・・暑い」
「暑いって思うから余計に暑く感じるんですよ」
「暑いから暑いと言ってるんだ、事実を口にして何が悪い。それに、そんな根拠のない屁理屈は聞いていない」
あからさまに不機嫌な態度にカチンとくるものの、無理を言って連れだしたのは私だから、と強く自分に言い聞かせて不満はぐっと喉の奥に飲み込む。どんな小さな日陰にも身体を縮めて入り込む設楽先輩の姿は、普段の先輩が見たら嫌悪を覚えるに違いないけれど、背に腹は変えられないのだろう。いかなる涼も見落とさずに入り込む先輩の姿は正直とてもかっこわるい。
今日この森林公園にいる人たちの足の矛先はその殆どが一か所に向かっている、と断言しても過言ではないだろう。元気に辺りを走り回る子供やその親たちをはじめ、私の周りにいる人たちの進行方向は確実に噴水へと連なっている。子供たちは突然目の前に姿を現したと思ったら、次の瞬間には全然別の場所に移動しているなど、子供の動きというのは本当に予測がつかない。容赦なく降り注ぐ太陽光と、それを受けて地面から反射する熱が加算しあって足の裏がかーっと強く火照っているのがわかる。体感する熱が上昇していくにつれ、隣の先輩の堪忍袋も徐々に確実に限界へと向かっているのも手に取る様にわかった。
「先輩、えと、ほら、アイス!アイス屋さんがありますよ!」
「アイス、だと・・・・」
目の前にぴょんっと突然現れた子供を焼き殺さんとばかりに睨みつけていた先輩の機嫌をどうにか宥めようと、私は先輩の肩を叩いて向こうのトラックを指さした。パラソルの下ではためく『アイスクリーム』の文字を目にした瞬間、先輩の瞳がきらりと輝いたのを私は見逃さなかった。よし、これだ。
「私、買ってきますね。先輩はそこの木陰で待っててください!」
私は半ば小走りでそのアイスクリーム屋さんへと向かった。この炎天下もあってアイスクリーム屋さんの前にはそこそこの行列が出来ていたけど、ほんのり漂うドライアイスの冷気が僅かながらに肌に触れただけで、逆立っていた気持ちがいくらか緩和される。はー、ちょっとだけだけど涼しくて気持ちいい。ぱたぱたと手で顔を扇ぎながら木陰の先輩の姿を伺うと、先輩は花壇の淵に腰を下ろして休んでいた。これで少しは先輩の機嫌がよくなるといいなあ。
列はスムーズに進んで行き、5分も待たない内に自分の番までやってきた。バニラとチョコをひとつずつ買って、私は先輩のいる木陰へと戻っていった。
「お待たせしました。先輩、バニラとチョコどっちがいいですか?」
「・・・バニラ」
「はい、どーぞ」
「ん、その、」
「はい?」
「ありがとう。その、わざわざ買って来て貰って、悪いな」
悪いな、を言い終えてすぐ先輩は自分の口をアイスで塞いでしまった。無心でアイスを頬張る先輩の耳が赤らんでいるのは暑さのせい、ということにしておこう。じゃないと私の中でふつふつと沸き立ち始めた熱の正体の言い訳が見つからなくなってしまう。先輩の隣に座って、二人で黙々とアイスを頬張っていたら、べしゃり、と何かが潰れたような音がして、自然と音がした方へと目が動いた。
「あー・・・やっちゃった」
「なんだ、何かあったのか?」
「はい、ちょっと」
すみません、と告げて私は先輩の隣を後にした。木陰を出てすぐのところで、小学校低学年くらいの男の子が腹ばいになって寝ている。その傍らでひっくり返ったアイスのコーンが、無残な形となってじわじわと地面に吸い込まれていた。
「ねえきみ、大丈夫?」
「う、あ」
どうやら顔から転んだらしく、地面に伏せたまま顔を上げた男の子の額にはすり傷が出来ていた。皮膚を破ってじわりと血が滲み出てきている。男の子は呆然とした様子で傍らのコーンを眺め、やがてその顔はくしゃりと歪んでいき、やがて何かスイッチが入ったかのように唐突にわっと泣き始めた。
「えと、えーと、どーどーどー」
「それは馬をあやすときに使うやつだろうが」
木陰に置いてきたはずの設楽先輩がいつの間にか私の隣で一緒にしゃがみ込んで、泣きじゃくる男の子をじっと見つめている。さっきの殺気立った様子で子供を睨む先輩の姿が脳裏をよぎって、これは何かまずいことが起こるのでは、と懸念しはじめた矢先に、先輩のおおきな手のひらが男の子の頭にぽふんと置かれた。
「男が人前で簡単に泣くんじゃない、みっともない」
「ちょっと、先輩っ」
「だ、だってっ、ぼくのアイ、アイスがぁっ・・・」
「お前が慌てて駆け回るからだ。ほら、立て」
設楽先輩の指が男の子の頬を強く擦り、こびりついていた砂を落とす。あ、ゆび。先輩の真っ白で傷一つない指が砂と涙で汚れてしまった。見ていた私の方が何故かドキリとしてしまい、けれど先輩は顔色一つ変えず、男の子を立つように促している。
「アイスなら俺のをやる。といっても食べかけだが・・・」
「ほ、ほんとに!?」
「これでいいなら、やる」
「いるっ、ほしいっ、ぼく、食べたい!」
「わかった。だったら、いつまでもそうやってぐずぐずするな。格好悪いぞ」
「わ、あー・・・えへへ!」
拭ってもらったとはいえ、まだまだ涙と砂でぐしゃぐしゃな顔の男の子は、そんなの一切構わずといった様子で、貰ったアイスを嬉しそうに掲げながら、眩しいくらいにきらきらと無邪気なえがおで笑って見せた。
「アイスを食べるのは顔と手を洗ってからだ。今度は走るなよ、次また転んでも俺はもう知らないからな」
「うん!おにーちゃんおねーちゃんありがとう!」
今度は慎重な動作で、手元のアイスをじっと見つめながら、ゆっくりと地面を踏みしめて男の子は向こうの方へと歩いて行った。男の子が両親と合流したのを見届けてから、立ちあがろうとした私より先に先輩が「戻るぞ、」と告げて先の木陰へと戻っていった。私も先輩の後に続いて、さっきと同じ場所、先輩の隣に改めて座り直す。先輩って、子供嫌いなのかと思ってた、けど。
「設楽先輩」
「なんだ」
「アイス、一緒に食べましょう?」
私も少し食べちゃってますけど、と付け足すと、先輩は困ったようにうすくわらって、
「生憎俺は今手を使えなくてな。お前が食べさせてくれるのか?」
「はい、どうぞ」
手の中のアイスを先輩に向かって差し出すと、先輩は薄く眉間にしわを寄せて、私までは届かない声量で何かをぼそっと呟いた。
「え、今なにか言いましたか?」
「なんでもない!いいから寄越せ!」
作品名:透きとおるシャボン色 作家名:ばる