最後の恋人
大切にしていた小鳥が死んだ。ペットショップで見かけて一目惚れしたセキセイインコだ。赤い目にレモンイエローの羽根が美しい雌のインコだった。
何でもない、ごくふつうの愛玩用の小鳥だったが、俺は彼女を愛していた。小さな籠のなかで、よくさえずって俺を楽しませてくれた。落ち込んで帰ってきても、彼女のちゅいちゅいという声が俺を癒してくれたし、朝晩水を換え、餌の表面を吹いて足してやる(彼女の食事は穀物だから、彼女が中身を食べた後は殻が表面に残るのだ)単純なルーチンワークにさえ俺の心は和んだ。
俺はクワガタ、ハムスター、犬、亀、ウサギ、モルモット、とにかく家で飼えるものなら何でも飼ってきた。なぜクワガタがいてカブトムシがいないのか、犬がいて猫がいないのかと言えば、まあそれは俺の好みの問題だ。カブトムシはにおいがひどいし、猫はところかまわず爪を研いで家を荒らすからというようなイメージから、俺はカブトムシや猫は飼わなかったがこれは人それぞれ好みがあるので何とも言えないところではある。やかましいくらい鳴くやつも、静かすぎるくらい静かなやつも、俺にべったりなついたやつもそうでなかったやつも、みんな愛着があった。
だが、どれも死んで、今は庭の隅で眠っている。今も続いているのは熱帯魚くらいのものだ。最初は金魚鉢だったのに、あれよあれよと言う間に増えて今ではでかい水槽がみっつになった。なかには相性が悪いのがいて、住み分けさせないと弱いほうが跡形もなく食われてしまうからだ。跡形もなく、というのは決して誇張ではなく本当のところだ。本当に影も形もない。ある日、水槽を覗いたら、ネオンテトラが何匹か足りない。もし死んだとしたら水面に浮かんでいるはずなのだが、その姿は見えない。フィルターに詰まっている様子もない。考えられる要因はひとつ、このなかのどれかが食べたのだ。
俺はぞっとして、ショップに駆け込んだ。店主に飼っていた魚の種類を告げると、恰幅のいいおやじは言った。エンゼルフィッシュがだめですね、と。エンゼルフィッシュは見た目からは想像もつかないがおそろしく凶暴で、ほかの小さな魚と混ぜておくと危険だということだった。あの平べったく美しい、優雅に泳ぎ回るあいつらが食べたというのか。にわかには信じがたい。
そうするとおやじは俺にある水槽を見せてくれた。名前は知らない、ひれが長い一匹の魚が泳いでいる。その長くドレスのような尾鰭はなぜかぎざぎざになっていた。
「こいつも、あんたんとこと同じように食われちまったんだよ」
こいつの尾鰭がぎざぎざなのは食べられた痕なのだとおやじは言った。こいつの飼い主は俺と同様、知らずに相性の悪いのと一緒に入れてしまって食われかかったのを発見、ショップに預かってくれと頼んだらしい。よくよく見れば元気がない。生気のない魚というのは動きが違うものだ。おそらく長くは生きられないだろう。もしかすると、こいつは弱っているがために補食されかかったのかもしれない。
また、こんなこともあった。ちいさなエビを水槽に入れたところ、翌朝見ると透明なエビのお腹のなかにきれいな色の何かが透けて見えた。見れば、魚の数が昨日より減っている。エビのお腹に収まっているのは昨日まで泳いでいた魚か。俺は泣く泣く昨日ご機嫌で入れたばかりのエビを一匹一匹すくいあげ、隔離したのだった。
食ったの食われたの話が続いてしまったが、別にこのことはさして重要ではない。俺はショックを受けて傷ついた魚をショップに預けてしまうような繊細な感性は持ち合わせちゃいなかったし、食われたら「あーまたか」と肩を落とすのが関の山だった。
もちろん飼っている以上、それなりに愛着はあったが、犬やウサギとは執着の意味合いが違っていたのだろう。水槽の向こうは、俺がまったく関与することのできない世界だった。ひとつの水槽に、たくさんの種類の魚がいる。俺が選んだ、色とりどりの魚が泳ぎ回っている。人工的な水槽のなかであるにも関わらず、確かにそこには自然が生きていた。人間が改良を重ねた魚たちなのに、俺は彼らに野生を見た。
俺の干渉を許さない代わりに、静かに続いていく世界だった。それが、俺がその時々でいろいろな動物を飼うのに、熱帯魚だけは常に飼い続けている理由のひとつかもしれない。冷たいガラスの向こう側にある世界は、触れることができないかわりに、時間の流れから隔絶されたかのように存在していた。疑り深い俺に、わずかでも永遠という言葉を信じさせることができたのは、あとにも先にもこの水槽だけだった。だから、俺は熱帯魚飼いつづけている。
庭に墓がひとつ、またひとつと、増えていく。
俺は美人だったインコを、今まで飼ってきたペットたちの眠る庭の一角に埋めてやることにした。若い頃はレモンイエローの羽根が美しかった彼女も、最後はよぼよぼのおばあさんになって死んだ。きらきら輝いていた赤い目は光を失い、艶を持っていた羽根はくすんで、つんと尖ったくちばしは醜くゆがんで死んでいった。人間の最期と同じだ。
「大往生だな」
今までありがとう、お前ほど美しい声の女は見たことがなかったよと、心のなかでそっと感謝して土をかぶせる。
たまたま欧州で会議があったとかでうちを訪れたアメリカはいつも通り騒がしかったが、俺が庭の隅で黙々と穴を掘っていること、それから玄関先にいた看板娘の不在を見て取って、たちまち黙った。彼は俺の庭から勝手にバラの花を一輪切ってきて、簡素な墓の上に手向けたが、俺は何も言わなかった。
「君は動物が好きだよね。次は何を飼うんだい」
「そうだな…」
俺に絶えずペットを飼わせ続けている男は、実にいけしゃあしゃあと言ってのけた。俺だって本当なら魚や犬を飼いたいわけではない。もちろん愛しているし、大事にしている。だが、彼らはあくまで一時的に寂しさを慰めてくれる、かりそめのものだった。憎らしいこの男はそのことを知っていて、俺にこんな口をきくのだ。
それとも言ってやろうか。
「次のペットはお前だ、アメリカ」
ああ、俺のものになってくれたら、インコよりも犬よりも熱帯魚よりもかわいがってやるのに!
だがそんなことを口にする勇気などあるはずもなく、俺はこっそり心の中でため息を落とした。勇気を振り絞って言ったところで、スルーされるか白い目で見られるかのどちらかに決まっている。まさか、君のペットになれるなんて嬉しいぞ、イギリス! だなんて言ってくれるとはさすがの俺でも思ってはいない。いくら俺がバカでもわかる。
だから俺は、アメリカが何を言ったのか理解できなかった。
「……は?」
アメリカはむっとして、異存でもあるっていうのかいと眉を顰めた。異論も反対意見も、お前が認めないのは知ってるけど、でも。
「それとも、何。俺じゃ役者不足だとでも?」
アメリカは実に高慢に、俺を睨み据えた。だがその表情は、これ以上ないくらい愛らしかった。頬を染めて唇を尖らせるその姿を見て、心を動かされない奴がいるとしたらそいつはきっと鉄の心臓を持っているに違いない。