最後の恋人
六年飼っていたレモンイエローの羽根の彼女が死んだ。朝晩さえずる声はなく、ただ熱帯魚の水槽が低くうなる音が響くだけだ。以前、犬が死んだときと同じように、薄暗い家のなかで、俺は水槽の光と熱をぼんやりと見て過ごすのだろうと思っていた。
熱帯魚は、犬やウサギのようにふれあうことはできない。この手であたたかさを感じることはできないし、水槽のなかの宇宙をただ見ていることしかできない。かわいがっていたペットを失ったあと、いつも俺は水槽の前で過ごした。部屋の電気を落として、熱帯魚のいる水槽の明かりだけをつけて過ごした。煌々とした電灯の下にいる気にはなれなくて電気を消したが、水槽の電気まで落としてしまったらなかにいる熱帯魚が死んでしまうから、熱帯魚のいるリビングの一角だけはそっくりそのままに、家中の電気を落としたのがきっかけだった。
それは驚くほど心地よい空間だった。
リビングにある水槽が放つ光だけが唯一の光源で、部屋の隅はほとんど何も見えない闇になった。ほの暗い、けれど完全な闇でもない。深海にいる魚はこんな気分なんじゃないだろうか。
誰かを亡くしたばかりの人が、真夏の太陽の下ではなく冷房の利きすぎた薄暗く狭い室内を好むのと同じ事だ。陰を抱えている人にとって、大きなプラスのエネルギーをぶつけてこない空間というものは案外大事で、マイナスのエネルギーを自分のなかに抱え込んでいる時に、今の自分と同じ磁力を感じる場所にいることでストレスを感じにくくなる。自分と同じ、もしくはそれに近い暗さや負のエネルギーをもつ場所にいることで、自分が決して異分子でもなければ、存在すべからざる存在だなどと思わなくて済むようになる。悪い言い方をすればぬるま湯に浸かっている、ということになるのかもしれない。だが、大切なものを亡くしたばかりの人に、太陽の光の満ちる世界はあまりにも眩しすぎて、とても立っていられやしないのだ。
俺にとっての水槽はまさにそれだった。あたたかくてやさしかったペットを亡くしたばかりの俺を、無言で受け入れてくれる。冷たくて、俺の干渉を許さない。けれど闇のなかで唯一の光源になった。直接何をしてくれるわけではない。ただ、俺自身のなかに眠っている、傷ついた自分自身を癒す力をゆっくりと取り戻させてくれる。そういう力があった。水槽だけの光だから、家は当然薄暗くて寂しい。だがその薄暗さこそが、大切にしていたものを失った俺にはほどよいやさしさだったのだ。
だが、今回俺は熱帯魚の前に座り込むことはなかった。かろやかな声を失った俺の家には、レモンイエローの羽根の彼女の代わりに蒼い目をしたアメリカ人がやって来てくれたからだ。
「おいで、アメリカ」
俺は彼をベッドサイドに呼ぶと、アメリカを座らせた。いきなり押し倒されることを警戒でもしているのだろうか。歩幅が随分と狭いし、その表情は屈託のないいつもの顔よりやや硬かった。
「大丈夫だ」
何もいきなり押し倒しやしない。
俺は寝室のベッドサイドにおいてあるティーセットを準備した。夜寝る前と朝寝起きに飲めるよう、いつもここにおいてあるのだ。
いつもなら紅茶中毒もたいがいにしたほうがいいよとか、コーヒーはないのかい、なんて言うくせに、今日ばかりはアメリカはちょこんとかけたまま、俺が紅茶を淹れるのを黙って見ている。
俺もアメリカも話さない。淡々と時間が流れているのがわかる。電気ポッドに湯が沸くまでの間、窓の外の景色は色合いを変え始めていた。インコを埋めたやった時はまだ明るかったのに、アメリカを伴って家のなかに戻り、そうして寝室に入った。アメリカをベッドに座らせ、湯を沸かすまでの間に、空の色はピンクとオレンジを混ぜたようなこの時間特有の不思議な色合いになっていた。じきに、紺色の夜空が広がるだろう。
カチとスイッチが切れた音がして沸騰したのだと知れた。電気ポッドから湯を注ぐ。さすがに寝室にはちゃんとしたティーセットは用意していない。マグカップとインスタントの茶葉だ。
「飲めよ、あったまるぞ」
何もないよりはましだろう。
だが、アメリカは文句ひとつ言わずにカップの中身に口をつけた。ふうふう息を吹きかけながら熱い紅茶を飲もうとしている。猫舌ならもう少し待てばいいものを、彼は相変わらずのせっかちだ。それすら微笑ましくて、俺は自分の分のカップのあたたかさを手の中で味わっていた。
あたたかい紅茶で少し落ち着いたのだろう。アメリカは、寝室に入ってきた時のこわばった顔をしていなかった。
「落ち着いたか?」
アメリカは少し悔しそうに、別にあわててたわけじゃないぞと目を眇めた。
「もし、いやなら無理しなくてもいい」
「じゃあやーめた!」
「は!? ちょおまそれ一体どういう…」
「……って言ったら困るだろ?」
嘘だよ、といたずらっぽく笑って、アメリカは隣に座る俺に寄りかかった。伏せられた長い睫毛が頬に濃い影を落としているのに、夜になる直前の今日最後の太陽の光に照らされてきらきらと輝いている。そのアンバランスなバランスが美しくて、俺は思わず息をのんだ。昔からそうだ。普段は明るくて子どもっぽいアメリカが、どうしてかこんなふうにひどく繊細な美しさを見せることがあった。何が原因なのか、何がきっかけでこんなふうに見えるのかわからない。それはアメリカ自身の問題なのか、それとも見る側、つまり俺の問題なのか、それすら判然としない。だが、確かなことは、俺は昔確かにこんな顔をするアメリカを見たことがあるということだった。
「……いいんだな」
念を押すように言うと、アメリカは俺の手を自分の頬にあてがった。すべすべした肌が、俺の掌に擦りつけられる。そうして、伏せられていた蒼い目が俺を捉えた。
「いいよ」
一体いつぶりだろう。アメリカのこんな顔を見るのは。独立前には違いない。彼の宗主国だった頃、俺はアメリカと秘めやかな関係を持っていた。
子どもだ子どもだと思っていたのに、守ってやらなければと思っていたのに、そう思っていたのはいつの間にか俺だけになっていた。気がつけばアメリカは独り立ちを望み、国際社会はそんなアメリカを支援した。ひとりぼっちだった俺は、アメリカを守ることに意固地になって、守りたかったはずのアメリカ本人に捨てられたのだった。
今思い出しても胸がつらくなる。
独立前、彼と最後に寝たのはいつだっただろう。アメリカが、こんなふうに俺を誘ったのは。
「アメリカ、」
口づけると、アメリカは先ほど飲んだ紅茶の味がした。きっとアメリカも、俺の口で同じことを感じているだろう。
ああ、同じものを食べて、同じことを考えていきていけたらどんなにすばらしいことだろう。
かつての俺はそれが当然だと思っていた。俺の弟なのだから、紅茶を飲み、上等のブリーチズにウエストコートを着て、胸を反らして微笑む。それから腕はもっとも美しいC字に曲げて。なんてことを教え込んでいた。アメリカも、俺と同じでありたがったし、植民地人すべてがイギリス化を望んでいた。それがあの当時、当然のことだった。
だが、今ならわかる。そうして同じものを食べて、同じ方向を向いてふたりが生きていくことがどれほど困難であるかということが。