学級戦争
来訪編
「でね、でね、イザ兄が吐いたって聞いたから、もうおかしくって!」
その日、1-CではB組である筈の折原舞流が姉の折原九瑠璃と共に、九瑠璃の同級生である黒沼青葉に自分達の兄のことを語っていた。とは言っても、喋っているのは主に舞流で九瑠璃は相槌を打つだけ、兄のことは語っているというより嘲っている。それでも青葉は彼女達の話に愛想笑いではなく笑顔になる、ザマアミロ、という意味合いだが。
青葉はこの妙な双子のことは気に入っているが、1学年上にいる彼女達の兄のことは嫌いだ。同属嫌悪と揶揄されようが嫌いなものは嫌いだ。なので奴をそこまで追い詰めた人物を一度でも見ておこうかと思案する。話の内容からするとその人物は交渉の余地もない喧嘩人形ではないようだし、頭の螺子は随分と外れているようだが接触しなければ問題はない、と算段していた。
「その委員長さん、竜ヶ峰帝人っていうんだって。すごい名前だよね」
その名前を聞くまでは。
「如……?」
「どしたの? 顔がちょっと見ない色だよ?」
自分でも顔色が悪くなっていくのが分かる。彼女達の兄が吐いたというのも納得した。あの学級の生徒なら爆弾くらい持ち込んでいても不思議はないが、それでも笑って自爆はない。しかしそれもあの人ならやりかねない。青葉は身を以ってそれを知っている。
当然、見に行く気など失せた。出来ることなら二度と遭いたくない、『会』ではなく『遭』で正しい、青葉にとっては災害だ。
あの人この学校だったのか、クソッ、2-Aの委員会出席率が低過ぎて(主に教師陣のせいで)今の今まで気づけなかった、これはマズイ、とにかく他の奴に連絡して対策を、と考えていると、
「もしかして知り合い? じゃあ挨拶に行かなきゃね。ね? クル姉」
「肯」
という最悪の結果になり、思わず逃げ出すが、舞流の画鋲攻撃であっさり捕まった。
「い、イヤだイヤだイヤだ!! 帰りに奢ってやるから見逃してくれ、頼む!!」
「却」
「えっへへー。どんな人なんだろう、楽しみだね」
少女達の愛らしい笑い声は、今の青葉にとって呪詛でしかなかった。
「あれ? もしかして青葉君? 久し振りだね」
朗らかな笑顔に青葉は、ヒッ、と悲鳴を上げそうになった。しかし脅されていようがこちらから訪ねてきたのにそれはない、と青褪めつつ頭を下げる。
「お久し振りです、帝人先輩」
頭を上げれば、帝人は会釈する前と変わらない笑顔でいる。最後に遭った時もこの笑顔だったな、と思うと寒気すらした。
「ええと、今日は彼女達が先輩を見たいって」
「え? 何で僕?」
笑顔が不思議でならない、という表情になる。
「……折原臨也の妹達です」
「あー……、お礼参りの類かな?」
次いで困ったように眉を寄せる。状況や会話から不自然ではなく、どこまでも普通の枠を出ない。しかしだからこそ青葉は帝人が怖い。その普通が崩れる瞬間が何より恐ろしくて仕方ない。
「だったら連れてきませんよ。噂の真相を知りたいらしくて」
「制服に爆弾しかけて自爆したって本当?」
怯えの隠しきれていない青葉を押し退けて舞流が質問を投げる、見事な直球だ。
「うん」
しかし帝人はそれを綺麗に打ち返す。穏やかな笑顔でその返答、誰も信じそうにない。現に九瑠璃も舞流も訝しげに眉を寄せる。
「ただ死ぬのは嫌だから威力抑えちゃって、折原君はほとんど無傷だったんだ」
精神的被害は大きかっただろうけどな、と被害者を嗤えば良いのか加害者を恐れれば良いのか分からず、複雑な心境になる。
「笑える話だよね」
笑えない話の間違いだ。何でこんな得体の知れない不気味な存在を陥れられると思ったのか、と青葉は過去の自分を責める。今までで、人生の、となるかも知れないとすら思える最大最悪の失敗だ。
「あ、そろそろ時間だ。教室戻らないと」
授業に遅れる、と帝人は真面目なことを言う。九瑠璃も舞流も真相が分からずに不満があるようだが、やっと逃げられる、と青葉は安堵した。帝人の言い分が正しいことを盾に自分の教室へ戻ろうとする。
「それと、多分、言わなくても分かってると思うけど」
しかし自分に言われたのだろう言葉に一瞬足が止まり、嫌な予感、直後に背中への蹴打、倒れた後に突きつけられる日本刀の切っ先。
「黒沼ァ! テメー、帝人と杏里と沙樹の前にその面見せんなっつっただろ!」
「違います。帝人君と正臣君と三ヶ島さんの前に現れないで下さいと言ったんです」
帝人程ではないが会いたくなかった2人が各々で鈍器と刃物を持って現れた。
「――――僕達に何かあったら次こそ赦さないよ?」
携帯電話で青葉の頭をこつんと叩く帝人の目は、深海の底のように冷たい。しかしそれも一瞬のことで、すぐに普段の、普通の笑顔。
「じゃ、またね」
言って、3人は連れ立ってその場から去る。また、という機会が来ないことを切に願うばかりなのだが
「あの話が本当か分からなかったね、クル姉」
「惜」
「仕方ないからもう一回来ようよ。その時はまたヨロシク」
「頼」
願いは届きそうになかった。