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汝、酔いに呑まれることなかれ

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飲んだ後はラーメンに限る。と、そう聞いたのは確か三十分前の事だった。
 堂島家の居間。座卓に置かれた丼の底には、刻みネギがいくつか浮いたスープが電灯の光を反射して揺れていた。縮れた細麺が丼の端から垂れている。何故か一本だけ斜めに突っ込まれた箸の片方に、つる草よろしくひょろひょろと絡みつかせながら。
 少年は、ひっそりとため息をついた。もう一本の箸は一体どこに行ってしまったのだろう。おそらくは、畳の上のどこかにでも転がっているに相違ない。だがしかし、探したいのは山々だったが、状況がそれを決して許してはくれなかった。
「だっからさァー、修馬く〜ん聞いてるー?」
「あ、はい、ええ」
「返事はァ〜!?」
「……はい……聞いてます足立さん…」
 この会話、何度目だろうか。
 返事してるじゃないですかと反論しかけて、けれど少年は実行に移すのをやめた。実行後の図をありありと脳裏に思い浮かべて、自分の想像に我ながら背筋が寒くなったのだ。
 少年はひっそりとため息をついた。繰り返しの単純作業は慣れているが、こういうのはどうも勝手が違う。少年は目の前でくどくどと説教を垂れる青年――足立透をぼんやりと見つめた。とろん、とした目つきに赤い頬。まだ、酔いは覚めていないようだ。と、少年は結論付ける。
 いや、覚めるわけがなかった。何故なら足立の手の中にあるものは酒の缶。彼は今もちびりちびりとアルコールを補充し続けている。一体あれで何本目だっただろうか。少なくとも、三本や四本ではきかないことだけは確かな事実だ。
 せめて新たなる追加はさせまいと、少年は開封前のビールの缶をそっと移動させた。青年の手の届かぬ位置へと。もはや今更、という気も激しくするが。
「ったくさァ、どいつもこいつもホンットくだらねえったらないね! よくもまああそこまで意味もない話ができるもんだと感心しちゃうよ全く。こちとら一ミリ足りともお前らの趣味なんかに興味なんざ湧かねえんだっつの。人がいくら愛想振りまいてるからってさ、それでいい気になられても困るんだよねー! ね、君もそう思うでしょ?」
「あ…ああ…はぁ……」
 曖昧に、少年は頷くのを避けた。気持ちが全く判らないとは言わないが、だからといって全てを受け入れる気にもなれない。
「そーでしょそーでしょ! 判ってるじゃない君ィー!」
 ばんばん、とご機嫌にテーブルを叩く大人を前に、少年はため息をつきたい気持ちをぐっと堪えた。出来ることなら助けを呼びたい。が、肝心の、味方に成り得る存在はアルコールをたっぷり摂取して、既に布団の中で夢の世界の住人と化している。仮に起きてきたところで、収拾が付かなくなるのは目に見えていた。
 せめて、この場を少しでも片付けることができればいいのだが。
 少年は視線をやる。テーブル上に、所狭しと林立しているのは酒の缶。合間には食べかすの残った皿や空になった袋の類が挟まって、奇妙なコントラストを呈している。そればかりではない。今や定番となったジュネスの惣菜のパックが、乗り切らずに畳の上に落ちていた。
 だが片付けようと席を立てば、たちまちのうちに足立によって連れ戻され、懇々と説教という名の愚痴を聞かされるのだ。どうも、無視されるのが嫌らしい。
 これではまるで樹海のようだ。先は暗く、行く先が見えない。心なしか、少年の肩がげそりと落ちた。
 ほぼループと化している足立の愚痴を、少年は頷きながらぼんやりと聞いていた。一瞬、ほとんど聞き取れなくなってはっとする。ほんの短い間ではあるが、意識が眠りへと傾いていたようだ。
 考えてみれば、そろそろ床に入る時間ではある。眠気がやってくるのも道理だった。だが今の足立に、そろそろ寝たいと訴えたところで、聞き入れてくれるとも思えなかった。さてどうしよう……と思案しながら頭を巡らせ、視界に飛び込んできたものに目を見張った。
 それは、夕方のうちに取り込んだ洗濯物の山だった。はっとなる。思い出した。そうだ、元々はあれを畳もうと思っていたところで叔父の遼太郎が足立を連れて帰ってきたのだ。つまみや酒の用意をしたりなんだりとばたばたしていたせいで、すっかり忘れていたけれど。
 同時に、すっかり出来上がった遼太郎にあれやこれやと説教をされたことも思い出して、少年は軽く落ち込んだ。……いや、まあ、いい。今はともかく眠気を飛ばすことだけを考えよう。少年は、床に広がるタオルを手に取った。
「…どいつもこいつも俺のこと馬鹿にしやがって、何様だってんだ、ああ?」
「…………」
「なァーにが『いずれお前もこの地に骨を埋めてもいいと思うようになるから』だ。うるせえよ何様のつもりだよテメエ、俺の何が判るってんだよ。人のこたあほっとけよハゲ親父が。だからテメエは出世しねえんだよ」
「…………」
「……ちょっと修馬くん、君何やってんのさ」
 いきなり名を呼ばれてぎくりとした。顔を上げる。足立の据わった目とかちあった。
「人の話、聞いてる? ねえ聞いてんの?」
「あ、はい。はい、聞いてます」
 うんうん、と頷く少年に、足立が畳んだタオルを引っ掴んで投げつけた。ぽすん、と胸元で軽い音がする。数秒前まではきれいに折り畳まれていたそれが、少年の膝の上にぱさりと落ちた。
 しまったなあ、と思う。完全に無視していたつもりなんてなかった。足立の言った言葉はちゃんと耳に入っている。すっかり崩れてしまったタオルを手に、疲れた声で少年は足立に答えた。
「あの、叔父さん別に禿げてないと思うんですけど」
「は? 修馬くんキミ何言ってんの? 誰が堂島さんだなんて言ったのさ。ハゲ親父ときたらあのハゲ親父に決まってんだろ?」
「はあ……」
「君、馬鹿じゃないの」
 そんなことを言われても、ハゲ親父とやらが誰かだなんて知らない。気を取り直して畳みなおしたタオルを、再び足立の手が引っ掴んだ。あ、と言葉を発する間もなく少年の胸元へと投げつけられる。
「てか、馬鹿にしてるでしょ」
「してません」
「嘘だね」
 更に別のタオルを掴み、足立は少年へと投げつけた。ふわ、と花の香りをさせながら、タオルが少年の膝の上に落ちる。ため息もそこそこに、少年はタオルを折り畳んだ。
「嘘じゃないです」
「嘘吐きはみんなそう言うんだよ」
 足立がタオルを掴んだ。ためらいもせず、少年の胸元へと投げつける。
「正直者も言いますよ」
「言うかもね。で、何? 君はその正直者だと言いたいわけ? へーえー、最近の高校生ってばそんなお偉いの」
「偉いだなんて思ってないです」
 崩れたタオルを、少年はきれいに畳んで傍に置いた。足立が几帳面に畳まれたタオルを引っ掴む。
「思ってなかったら何だっての? ああわかった、どんな粗相も許してつかわす、とか思ってんだろ。クサッ! とんだ聖人さまさまだね!」
 足立はタオルを少年に投げつけた。胸元ではなく、少年の顔に。これまでよりもずっと強い力で。ばさっ、と布が空を切る音が居間に響いた。
 ため息が漏れる。なんだか泣きたい気分になった。でも今の足立の前でそんな顔を見せるわけにはいかない。ぐっと息を詰め、唇の裏側を噛み締める――――それが、失敗だった。