玉音玉砕池袋
机に突っ伏したまま数十秒が経過した臨也を見かねてサイモンが声をかけている。
ドン、という音に顔を上げると、山のように積まれたおしぼりと冷しそうなグラスが目の前にあった。
「コレデ涙拭くとイイネー。イマ大トロ握ってる、ソレ食ベテ元気出セ、イザヤ」
「いや、別に泣いてないんだけどね・・・大トロは大歓迎だけどさ」
グラスをあおりながら思い出されるのは、先刻の静雄の態度。
臨也としては『終戦』などいつものジョークで、本気で喧嘩三昧の日々にピリオドを打つ気はさらさらなかったし(平和島静雄が死んだ場合を除いて)、そもそも静雄がああもあっさりと引き下がるとは予想だにしなかった。
――冷静なシズちゃんなんて、らしくない。要らない。気持ち悪いことこの上ない。
――こりゃ、誰かに知恵でもつけられたかな。
気がつくと言葉が口をついて出ていた。
「何だよ全く・・・余計な入れ知恵したの誰だし」
「俺だよ」
「!?」
降って来た声に驚いて振り返ると、そこには白衣を着た同級生の姿が。
「何だ、新羅か。来ると思ってたよ」
2秒前の狼狽はどこへやら、さも予定していたとばかりに笑う臨也。終業式以来だねぇ、と他愛もない挨拶を交わしてから、新羅が切り出した。
「夏休みだしセルティと僕が池袋を出歩く機会も多くなるしさ、そんなときに空から自販機とか降ってこられたら困るわけだよ。静雄も君が喧嘩吹っかけなければ少しは大人しくなると思ってね。臨也に挑発されても乗っちゃ駄目だよあいつの思う壺だから、って言っておいたんだ」
「あぁやっぱりそうか。おかしいと思ったよ。それにしてもシズちゃんが人の意見に聞く耳持つなんて意外だなぁ。俺が利用しようとしても全然思い通り動かない癖に。ありえない!」
頬を膨らませて不満を洩らす臨也に、ははは、と笑いながら新羅は一つの推測を語り始めた。
「いや、だって君達はさ、素で殺しあってるのが一番楽しそうだもん。臨也も分かってるでしょ?利害関係だけじゃ世の中回ってかないよ」
「セルティとのデートを上手く運ぶ為だけに打算的になる奴に言われたくないなぁ」
苦笑しつつ皮肉で受け流す臨也。しかし次の瞬間、ていうかさ、と、出し抜けに真顔になって呟いた。
「シズちゃんの暴力はさ、非日常なんだよ。殴られたり蹴られたり折られたり投げられたりするのは本意じゃないし100倍返しで死ねばいいと思ってるけどさ。耳の横を弾丸みたいにすり抜けてく拳とか、避けた後ろでバラバラに砕け散るガラスとか、そういう「死」の気配を日常的に感じているからこそ、俺はもっともっともっと深く非日常にのめり込んでいけるのかもしれない」
「なんだかよく分からないけど・・・」
俯いた臨也の耳が心なしか赤いような気がして、新羅は恐る恐る問いかける。
「臨也、もしかして、酔ってる?」
「あ―――っもう!新羅みたいなリア充爆発しれ!灰になれ!!」
―――あーっもう!、じゃないよ!完全にろれつ回ってないじゃないか!!
「八つ当たり?!ちょ、サイモンさん臨也に何飲ませたの?まだ未成年でしょ!」
「炭酸、ウマイヨー。ヨツヤサイダーネ」
親指を突き出す姿が無駄に爽やかで泣けてくる。
「マジで!?臨也酒だけは強いのに炭酸駄目なの?あぁ未成年なのに暴露してゴメンお巡りさんが居ませんように」
「ついでにシズちゃんはサンシャインに特攻して散ればいいのにー」
「8月15日に何言ってんだいざやぁぁあぁ!!!」
店の入り口から電光石火の勢いで静雄が飛び出してきた。店内は一瞬で大混乱。蜘蛛の子を散らす勢いで客が我先にと逃げてゆく。
「あれっシズちゃん居たの?!」
―――あちゃあ、これはまずいことになった。
喧騒の中、新羅は一人頭を抱えるが後の祭りは早くも宴たけなわのようで。
「へぇーシズちゃん終戦記念日とか知ってるんだ。日本史のテストで0点取ったことあるくせに」
―――臨也の減らず口は惰性で止まらないし、
「あれはっってめーが机にカンペ入れやがったからだろぉ!!」
「そんくらい気付けよ!てか、なんでいるのさ?!ストーカー?」
「ちげーよバカ!あのまま帰ったら食い逃げじゃねーかよ!そしたらなんかシビアな話になるしよ・・・声かけずらくて離れてた察しね臨也!」
「あぁやっぱ単細胞だ・・・」
「なんかいったかしんら」「すいません何でもありませんごめんなさい」
―――静雄のとばっちりは容赦ないし、
「いざや?いざや?ちょっと何でそんな顔真っ赤なの!いやさっきの話とか酔った勢いだし気にしなくていいんだよ!静雄バカだからすぐ忘れるから!」
「・・・じゃあ平常なてめーの言うことは真に受けていいんだよなぁ新羅?殴っても、いいんだよな?」
「えっちょっと待ッ―――」
―――反吐が出るくらい、いつも通りの光景だよ、全く。
――やばい、そろそろ追いつかれるか?
静雄が新羅を殴り飛ばす隙に逃げた臨也が、池袋の街を走る。走る。
背後からは自分の名前を呼ぶ声。参ったな、と舌打ちしながら不敵な笑みを洩らす。
久々の追いかけっこが楽しくて楽しくて堪らないのは、きっとまだ酔いが残っているせいだろう、そう思うことにした。