放課後ロンド
(1)
「夏は暑いのです」
当たり前といえば当たり前のことを呟いて、彼女は手の中のアイスをひとくち、齧った。
「? ああ、そうだな……」
うやむやに相槌を打つ圭一に彼女は気を悪くするでもなく、にっこりと笑った。
「食べないのですか」
「あ、うん」
「早くしないと溶けてしまうのですよ」
圭一の持ったアイスの袋は開けられてすらいなかった。
七月の、もはや陽気とは呼べない気温に、袋の表面には沢山の水滴が細かな水玉模様をつくっている。熱気に耐え切れず雫となって流れたものが指を濡らしてようやく、圭一は慌てて袋を開けた。中身は幸い、まだ手遅れなほどには崩れていない。
そんな圭一の隣で彼女は──梨花は、歌うように呟きつづける。
「暑いのです」
「うん」
「風が吹くと涼しいのです」
「……うん」
「空が青くて、とても高いのです」
「うん」
「知らなかったのですよ」
初めてだ、そう彼女は笑い、また棒つきのアイスをひとくち齧った。
蝉が鳴いている。七月に入ってその数は急激に増えたように思うが、雛見沢で初めての夏を迎える圭一には本当の所を知る由もない。こうしてふたり座っている神社の石段を熱する陽光の強さも、青空の色も、昨年がどうだったのかわからない。
「去年は涼しかったのか?」
「去年も暑かったのですよ。でもそれは去年のこと。今年の夏は初めてなのです」
「そりゃ……」
誰だってそれは初めてだろ──そう続けようとして、やめた。言葉を誤魔化すようにアイスを口にする。ソーダの味が口一杯に広がった。
「初めてです。初めてのことばかりなのです」
アイスの最後のひとくちを小さな唇の中に収めてしまうと、梨花は立ち上がった。石段の上を昇ったり降りたり、転ぶこともなく軽やかに、圭一の周りをくるくると踊り始める。小さな蝶のように。おもちゃにじゃれつく小さな猫のように。
「繰り返しにはもう飽きた。退屈はそれだけで死んでしまうと思った。今は見るもの聞くもの触るもの、全てが面白くてたまらないのです。夏の暑さは茹だるようで、こうして少し動いただけで全身に汗が噴出す。でもそれがたのしいのです。全部ぜんぶ、初めてだから」
謎かけのような彼女の言葉の意味を、すべてとは言わなくとも圭一は理解できる。梨花が今、どれだけおおらかな気持ちで毎日を過ごせているのかも。なんだかまんじりともせず曇っている自分の気持ちが、彼女に申し訳ないような気になってきた。
けれど、梨花はそんな圭一の気持ちすら見透かして笑う。
「良いのですよ、圭一。思い悩むことは悪いことではないのです。当たって砕けることも、良い経験なのです」
「砕ける、って……嫌なこと言うなよ」
「立ち止まるなんて圭一らしくないのです。動いた方が、きっとすっきりするのですよ」
「うん。そうだよなあ」
「……見慣れたあなたたちを見守るのもいいけれど、折角初めての夏が来ているのだから」
「梨花ちゃん?」
不意にくすくすと大人びた笑い声がして顔を上げる。けれどそこにはニコニコと微笑むいつもの梨花がいるだけで、彼女はからっぽになったアイスの棒を圭一の鼻先に突きつけていた。
「当たりが出ましたです。レナにあげるといいのですよ」