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ハピネス

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「跡部とのことに決ってんじゃん。侑士、こないだ云ったんだろ?好きだーって」
 興味深々に聞いてくる岳人に、忍足はぽりぽりと頬を掻きながら「はあ…」と、気のない返事をする。その話題にいきりたったのは跡部の方だ。まさか岳人に知られているとは思わなかった。普通どんなに仲が良くても、こういうことは黙っておくものではないのか?
 ふつふつと、羞恥の余り怒りが込み上げるが、その勢いのまま表に出るわけにもいかず、跡部は理不尽さにイラつき始めた。一方、恥じ知らず達の会話は続く。
「はあ、でなくて、それからどうなったんだ?からかわないから云ってミソ」
 口ではそう云っているが内心いじる気満々な岳人の笑いが洩れている。伊達に何年も相棒をやっていない忍足はそんな岳人の思惑など見通して、あからさまに嫌そうな顔をした。
「云っとくけど、フラれたわけやないからな」
 ボソリと呟くと、最初からそう思っていた岳人は心底驚いて眼を見開いた。
「……え、何?じゃ、お前ら両想いだったわけ?」
 ぽかーんと口を開いて見つめてくる岳人に、忍足はふるふると首を横に振る。
「ちゃうねん。フラれるとか両想いだとかちゃうんよ。俺、跡部の返事聞いてへんから」
「へ?」
 忍足の意外な言葉に、岳人は再び失語する。
「云うてへんねん。付き合ってくれとか、俺んことどない思てる?とか、そないなん云えんかってん」
「……なんで?」
 忍足は軽く笑って、軽く俯いた。
「やって云える訳ないやん。跡部、ホモじゃないんやから」
「そんなの侑士だってそうじゃんか」
「俺は自分で気付いたもん。でも跡部はそうやない。普通、気持ち悪いやろ、こんなん。いきなり 友達から告られて、それだけでも引くのにしかも男やで?気味悪がられてもしゃあないし、それくらいの覚悟はしとってん。でも跡部、えらい驚いとったけどそれはなかったから、それでよかったん。嬉しかったんよ」
「侑士……」
「それに、あんまり気持ち押し付けて困らせたくなかってん」
 とつとつと、不器用に喋る忍足に岳人は切なくなって、忍足の頭を慰めるようによしよしと撫でる。
「侑士はほんとに跡部が好きなんだな……」
 忍足は岳人の優しい手と言葉に頷き、うっとりと眼を閉じ、両手で目元を覆って隠した。
「うん、好き。ごっつ好き。髪も眼も口も跡部を作ってるん全部好き。笑うと子供みたいに可愛えし、怒ってる時もかっこええしテニスも綺麗や。良いとこも悪とこも、全部、全部愛しくて、恋しゅうて、ほんま、おかしゅうなるくらい、好きやねん……」
 独り言のように、激情を静かに吐露する忍足に、岳人は一つずつ相槌を打つ。
「うん、うん。伝わるといいな。跡部に、侑士のその気持ち、全部伝わるといいよな」
 岳人は、忍足の不器用で純粋な恋心が、跡部に届くよう心の底から祈った。大切な相棒の気持ちが痛いほど切なくて、胸が締め付けられる。けれど、自分にはどうすることもできないのが歯痒くて、岳人はこうして励ましながら薄く唇を噛んだ。それを忍足が気付いて、今度は逆に岳人を慰めるよう頭を撫で返し、柔らかく微笑む。
「ガックンはええこやなあ」
 よしよしと撫でられて、岳人は一瞬きょとんとしていたが、次第に照れ臭そうに笑う。
 そのまま暫く静かな時が流れたが、唐突に鳴り響く予鈴に掻き消された。
「やばっ、次社会じゃん!あの先生来るの早いんだよな」
「岳人、走るで」
「おう!」
 飛び上がるように立ち上がり、二人は慌てて走り出した。後に残るは茂みに身を隠した跡部だけ。結局二人は最後まで跡部に気付かず去り、辺りは再び静寂に包まれる。
 二人が去った後、跡部はずるずると横倒しに傾き、誰も居ないというのに腕に顔を埋めて隠した。
 顔が熱い。きっと耳だけでなく首筋まで赤いに違いない。見なくても判る。
恥ずかしかった。
 まさか忍足も自分が居るとは思わなかったから話したのだろう、彼の本音が恥ずかしく、そして痛かった。
 忍足の言葉は、まるで最初から成就を諦めているようではないか。あれだけ毎日毎日、飽きもせず好きだ好きだと云っているくせに。そんな忍足の臆病さが、痛くて、悔しい。どうやら自分が思い、戸惑う以上に忍足にとって同性であるということが重石になっているようだ。そんなこと、そぶりも感じさせない態度で、一人、悩んでいたのかもしれない。
 跡部はのろのろと身を起こし、木々の隙間から見える空を眺める。狭く区切られた空は、夏の空よりずっと薄い青色をして、細かく千切れ流れる雲を見下ろしていた。
 鋭く冷たい風が静かに吹き、外気に晒す跡部の肌に痛みに似た刺激を与える。
 跡部は亡羊と冬の空を見つめながら、ゆっくりと深呼吸をした。体に入り込んだ冷気が頭を冷まし、冷静な思考を呼び戻す。
(なんか、だんだん面倒臭くなってきたな)
 よくよく考えれば、何も自分が思い患うことなどないのだ。忍足がどうしたいかだの、どんな気持ちでいるかなどまったく関係なくて、結局は、すべて自分次第なのだ。そしてその答えはもうとっくに出ていたのに、自分らしくもなく慌てうろたえてしまった。
 なんて無様な。跡部景吾ともあろう者が、こんな単純ことに振り回されてたなんて。柄にもなく人の気持ちなんて気にしたせいで調子が狂った。それは相手が忍足だったから、ということもあったかもしれないがこの際それは問題ではない。
 そう、気にする必要はないのだ。だって、大事な物はここに在る。自分自身の答えはもう出ていたのだから。
 だから、いつまでも答えのないことを考えるのは止めだ。どうせ自分には見付けられやしない。なぜならこれは忍足の問題なのだから。
 ならば自分ができることは?すべきことは?
 跡部は見上げ続けた空から眼をそらし、背後を振り向いて先程まで忍足が座っていた場所を見る。

 ――――おかしゅうなるくらい、好きや。

 忍足の静かに吐き出された、切なく響く言葉を思い出す。
 好きだと云われて、嫌ではなかった。気持ち悪いだなんて欠片も感じなかった。
 ただ、可哀想だと思ったのだ。自分のような人間を好きになってしまったことを。この自分の眼に止まったことを。
 それが俺の解答。それがすべて。この気持ちがこれからどう変わるかは忍足の出方次第。
 忍足はまだ答えあぐねている。己の気持ちと道理の狭間で揺れているのが手に取るように視えた。
 忍足に対するこの気持ちが恋かどうかは判らないが、嫌いなんかじゃない。一緒にいて楽しいし、深く息が吸えるような安心感さえ覚える。きっと、友達でなくたって、この気持ちは変わらないだろう。だから、今は待とう。彼の答えが出るまで。進むのか、ここで引くか、どちらを選ぶのかは知らないが、進むなら覚悟を決めて来るといい。生半可な想いでこの自分が動くわけがないからだ。
 選択は自由。たっぷり悩めばいい、それまでこっちはのんびり手の内を見定めるとしよう。
 跡部は小さく鼻を鳴らして笑う。先程までと違い、とても気分が良かった。ごちゃごちゃ頭を悩ませていた物全部忍足に押し付けたお陰で大分楽になった気がする。
 考えても仕方のないものはどうしようもない。流れに任せるのも一つの手立て。
作品名:ハピネス 作家名:桜井透子