夢のあと
夢のような人だなと思ってたんです。
何かの告白のように呟いた僕の横顔を、新羅さんは静かに凝視している。
僕の視線はベッドに横たわる臨也さんから一寸たりとも離れないまま、もうどれくらいの時間が過ぎただろうか。
夢のような人は今、夢の中へと帰ってしまっている。
「夢のような、ね」
「いてもいなくてもきっと困らないんです。すぐ忘れちゃうし。でもたまに無性に会いたくなって、」
「眠るのかい?」
「逃げるんです。・・・現実から」
その象徴が、臨也さんだったんです。
艶のある黒髪を指に遊ばせながら、身じろいだ身体に毛布をかけなおしてやる。
寒いのだろう。
毛布の下はただ素肌が横たわるばかりで、特に冷房の効いているわけでもないこの部屋でも流石に冷える。その上臨也さんの細長い手足はすぐに毛布の下から這い出てしまうので、少し困った。
「意外と、寝相悪いんですよね」
「あぁ・・・ね、点滴抜けたら困っちゃうなぁ」
回り込むようにして点滴の繋がった臨也さんの左腕をとった新羅さんが笑う。つられて僕もかすかに笑った。
視線を臨也さんに戻して、少しの間のあと、宙に投げ出す。何か言葉を紡ごうとして失敗してしまった。
ギリ、と唇を噛み締めた音が辺りに響く。新羅さんの小さな溜め息も。
「・・・・・・・」
臨也さんの服は綺麗に洗われてサイドテーブルにおかれている。でも、この服に彼がもう一度袖を通すことは、きっとないだろう。
同じようにして置かれた白い服を乱暴に押しやって、用意していた水差しから半透明のグラスに水を注いだ。目が覚めた時、喉が渇いてるだろうと思ったからだ。
帝人くん、喉渇いた。なんて、寝起きの少し幼い声で催促するに決まっている。目を、覚ましたら。
「・・・・・・・・・もし、」
カタカタとみっともなく指が震えた。
違う。脳から、心臓から、震えが走る。芯から凍えるような強烈な震えが。
「・・・覚めるよ」
見返した新羅さんはただ『医者』の顔をしていた。最悪の可能性をしっかりと否定した声はでも、僕の不安を消し去ってはくれなかった。
「今回もただの貧血と栄養失調だもの。きっと目を覚ますよ」
「・・・・・・・」
「でもこんなのを繰り返してたら次はわからない。きっと身体が先に壊れてしまうよ。それに―――」
「・・・・・・・」
「・・・臨也自身が、そうする可能性もある。・・・帝人くん、」
「・・・・・はい」
「覚悟は、あるの?」
医者の顔をした新羅さんの目に表情はない。かくご、と噛み砕くようにして飲み込んだ言葉にも、色はなかった。
臨也さんの髪を撫でる。夢の世界にいる彼には確かな覚悟があって、願いがあって、そのために今こうしてベッドに沈んでいて――――
それをただ見守るだけの僕に、何の覚悟があると言うのだろうか?
無理矢理唇の端を上げようとして小さな痛みが走る。自分を嘲ようとしたけれど、上手くいかなかった。
何の実感もないままに、僕はいつの間にか、覚悟を迫られるような大人になってしまっていたらしい。
(・・・・臨也さん)
僕はもう、我慢とか、忍耐とか、諦めとか、そういうのを、覚えなくてはいけないほど成長してしまったようです。
問いかけても返事はなかった。まるで僕を、知らないみたいに、何の反応もなかった。
「僕はもう、夢は見れないんですね」
「・・・・帝人くん、」
「・・・・・おだやかな、かお」
指の間をすり抜けていく黒髪は戻らない。シーツに落ちて散らばって、臨也さんが身じろぐ度に僕はそれを見失った。
臨也の記憶も同じようなものだ、と新羅さんが静かに言う。そうでしょうか、と返した筈の声は嗚咽になった。
何かの告白のように呟いた僕の横顔を、新羅さんは静かに凝視している。
僕の視線はベッドに横たわる臨也さんから一寸たりとも離れないまま、もうどれくらいの時間が過ぎただろうか。
夢のような人は今、夢の中へと帰ってしまっている。
「夢のような、ね」
「いてもいなくてもきっと困らないんです。すぐ忘れちゃうし。でもたまに無性に会いたくなって、」
「眠るのかい?」
「逃げるんです。・・・現実から」
その象徴が、臨也さんだったんです。
艶のある黒髪を指に遊ばせながら、身じろいだ身体に毛布をかけなおしてやる。
寒いのだろう。
毛布の下はただ素肌が横たわるばかりで、特に冷房の効いているわけでもないこの部屋でも流石に冷える。その上臨也さんの細長い手足はすぐに毛布の下から這い出てしまうので、少し困った。
「意外と、寝相悪いんですよね」
「あぁ・・・ね、点滴抜けたら困っちゃうなぁ」
回り込むようにして点滴の繋がった臨也さんの左腕をとった新羅さんが笑う。つられて僕もかすかに笑った。
視線を臨也さんに戻して、少しの間のあと、宙に投げ出す。何か言葉を紡ごうとして失敗してしまった。
ギリ、と唇を噛み締めた音が辺りに響く。新羅さんの小さな溜め息も。
「・・・・・・・」
臨也さんの服は綺麗に洗われてサイドテーブルにおかれている。でも、この服に彼がもう一度袖を通すことは、きっとないだろう。
同じようにして置かれた白い服を乱暴に押しやって、用意していた水差しから半透明のグラスに水を注いだ。目が覚めた時、喉が渇いてるだろうと思ったからだ。
帝人くん、喉渇いた。なんて、寝起きの少し幼い声で催促するに決まっている。目を、覚ましたら。
「・・・・・・・・・もし、」
カタカタとみっともなく指が震えた。
違う。脳から、心臓から、震えが走る。芯から凍えるような強烈な震えが。
「・・・覚めるよ」
見返した新羅さんはただ『医者』の顔をしていた。最悪の可能性をしっかりと否定した声はでも、僕の不安を消し去ってはくれなかった。
「今回もただの貧血と栄養失調だもの。きっと目を覚ますよ」
「・・・・・・・」
「でもこんなのを繰り返してたら次はわからない。きっと身体が先に壊れてしまうよ。それに―――」
「・・・・・・・」
「・・・臨也自身が、そうする可能性もある。・・・帝人くん、」
「・・・・・はい」
「覚悟は、あるの?」
医者の顔をした新羅さんの目に表情はない。かくご、と噛み砕くようにして飲み込んだ言葉にも、色はなかった。
臨也さんの髪を撫でる。夢の世界にいる彼には確かな覚悟があって、願いがあって、そのために今こうしてベッドに沈んでいて――――
それをただ見守るだけの僕に、何の覚悟があると言うのだろうか?
無理矢理唇の端を上げようとして小さな痛みが走る。自分を嘲ようとしたけれど、上手くいかなかった。
何の実感もないままに、僕はいつの間にか、覚悟を迫られるような大人になってしまっていたらしい。
(・・・・臨也さん)
僕はもう、我慢とか、忍耐とか、諦めとか、そういうのを、覚えなくてはいけないほど成長してしまったようです。
問いかけても返事はなかった。まるで僕を、知らないみたいに、何の反応もなかった。
「僕はもう、夢は見れないんですね」
「・・・・帝人くん、」
「・・・・・おだやかな、かお」
指の間をすり抜けていく黒髪は戻らない。シーツに落ちて散らばって、臨也さんが身じろぐ度に僕はそれを見失った。
臨也の記憶も同じようなものだ、と新羅さんが静かに言う。そうでしょうか、と返した筈の声は嗚咽になった。