噛み癖
かり、と親指の爪を噛んだ。
既に噛み過ぎて短くなってしまった爪は上手く齧ることができず。それならと一緒に指の厚めの皮も軽く齧る。皮も直っては齧り、直っては齧りを繰り返している為にずいぶんぼこぼこになってしまっていた。
それでも爪の周りの、ぼこぼこになってしまった皮をがじがじと噛み続けて、とうとう噛めるようなところがなくなってしまった。
口から親指を離して、今度は人差し指の爪を噛もうと、人差し指を自分の口に近づけたその時、
「ダーク」
腕をいきなり掴まれて、自分の後ろから声がした。顔を上げて後ろを振り返ると、きつく自分を睨んでいるリンクが目に入った。
「爪を噛んだらだめって言ってるだろ」
それを言われてやっと、自分が無意識のうちに爪や皮を噛んでいたということに気がついた。掴まれている手の親指を見る。指先の皮は全て齧られてなくなっており、赤い肉が露わになっていた。
自分には、「かみぐせ」というものがあるらしい。それがどんなものかはよくわからないのだが、今回のように爪や指の皮を噛んでいたり、食事を取り終えた後にフォークやスプーンを噛んでいたり、冷たい飲み物を飲んでいるときにストローを噛んでいたりするとリンクは怒ってそれをやめさせてくるので、食べ物以外のものを噛んでしまうことを、「かみぐせ」というようだ。
そして、リンクは何故かそれを凄く嫌っている。自分にとってこれは幼いころから無意識のうちにずっとしてきたことで、なんでもないことなのに、リンクはどうしてかそうすると凄く怒ってしまう。そんなリンクやマルス、ロイの爪を見ると、確かに自分のように爪を齧ったようなあとはなかった。
三人とも剣を振るときに長い爪は割れてしまうので邪魔だから、という理由で定期的に爪を切っているらしいが、自分のように噛み過ぎてかなり短くなってしまっているわけではない。
爪や物を噛んだりするというのは、どうやら人間の間ではしてはいけないことらしい。
鋭い爪を武器にしている魔物は居るが、自分のような人型の魔物にとっての爪はあってもなくてもどうでもいいものなので、こうして昔から爪をよく噛んでいた。
とはいっても、自分のように人そっくりに作られた魔物など自分以外に居なかったので、自分と同じような魔物は全て爪を噛むのかどうかは流石にわからないのだが。
「すまない」
無意識のうちとはいえしてはいけないことをしてしまったので、とりあえずリンクに頭を下げて謝る。
「だめだって言ってるじゃないか。……爪も、こんなにして」
そうしてリンクが、自分の唇をそっとなぞる。自分の口は半開きになっているので、上唇と下唇の間にリンクの指が置かれた。
「……痛っ」
無意識のうちに自分は、リンクの指を噛んでいた。そんなに力を入れてはいないが、それでも結構痛いらしく、顔を痛みに歪め慌てて指を離された。
「だめって言っているそばから君って奴は……」
「……すまない」
そう言ってダークはもう一度、頭を下げた。
こてん、とダークがベッドの上で半身を起こしていたぼくに凭れ掛かる。肩の上に頭をのせてきて、そのままだらんと全身の体重を預けてきた。それなりにダークは重いので、後ろに倒れこみそうになってしまった。
疲れたのだろうか。ぼくに凭れ掛かったままぴくりともしない。抱きしめる時みたいに背中をぽんぽん、と軽くさすってあげて、
「だるい？」
「ん」
「『ん』じゃわからないよ」
「……だるい」
ぼそ、とダークが耳元で囁いてくれた。ごめんねと謝って、もう一度ダークの背中を撫でた。
多分ただ体がだるいだけじゃなくて、眠いというのもあると思う。もうこんな時間だし、ぼくだって少し眠いから。
「もう寝る？」
「ん」
「それだけじゃわからないって言ったばかりだろ……」
そういう返事がだめなんだと分からせる為に、露骨に嫌そうに溜め息を吐いてそう言うと。ダークが慌てて顔を上げてくれて、赤い瞳でぼくを見る。
「まだ寝ない。もう少しこのまま」
「わかった。ちゃんと寝るなら、ね」
「ああ、ちゃんと寝る」
それにダークはちゃんと頷いてくれて、そのままもう一度ぼくの肩に顔を埋めた。
なんだかこれじゃあ親子の会話みたいだとも思う。その一方で自分達がしていることはどう見ても恋人同士のそれではあるのだけど。
自分でもちょっと変だなとは時々思ったりもするけれど、ダークはこれが変なのかそうじゃないのかすらよくわかっていないので、こっちに何も言ってこないぶん、この関係が少しおかしいということをどうも忘れがちになってしまう。この少し変な関係は、まだまだ改善しそうにない。
相変わらずダークの背中をぽんぽん、と撫でていると、ダークがいきなり大きくため息を吐いて、さらにぼくに体重を預けてきた。
「……眠いんだろ」
「ん」
「ダーク、さっきから話聞いてないよね」
「聞いてる……確かに眠い。けど、このままでいたい」
それに対してぼくは、しょうがないなといった風に今度はためいきをついて、
「このまま寝ちゃだめだよ。寝てもすぐ起こすからね」
「わかってる」
またそのまま肩に凭れ掛かったまま、ダークは息をするために胸が僅かに上下する以外、ぴくりともしなくなった。
もしかして寝ているんじゃないだろうか、とぼくが疑い始めて、体を揺すってみて寝ているかどうか確かめようとしたその瞬間に、
「いっ……」
ダークが凭れ掛かっているほうの肩から全身にかけて、鋭い痛みが走った。
ぼくの体からダークを引き剥がすと、夢と現実の境界線を行ったり来たりしていたのを一気に現実に引き戻されたのと、どうしていきなり体を離されたのかわからない。といったような顔で、ダークがぽかんとこっちを見つめていた。
どうやら自分のしたことにまだ気付いていないみたいだ。油断していたこっちもこっちだが、何度言ってもやめてくれないダークもダークだ。
「……また噛んだだろ」
きつく睨んでそう言うと、やっとダークが気付いてくれたようだ。あわてて自分が噛んでしまった部分に視線をやる。ぼくも同じように自分の肩に目をやると、赤い液体が目に入った。
ダークには、噛み癖がある。爪から食器から、とにかく無意識のうちに物をかんでしまう癖がある。特に一番酷いのは爪で、定期的に切っているぼくの爪の半分くらいの長さしかないダークの爪は、見ていて本当に痛々しい。噛み過ぎて殆ど噛むところがない分、爪の周りの皮まで噛んでいるみたいだ。
本人は噛み癖が悪いものだと最初全く思っていなかったから、そう思い込ませるまでにかなり苦労したし、そもそも本当に今回のように無意識のうちに噛んでしまうので、噛み癖の原因が幼い子供のようにストレスからきているのか、あるいはもっと別のところに原因があるのか、それすらまだわかっていないような状態だ。
ぼくが噛まれるのは、別に初めてのことじゃない。指も腕も……最中に肩や首筋なんかも噛まれたことがある。痕が残るどころか今回みたいに血が出るほど噛まれることも珍しくないぶん、噛まれた痕が消える前に、また別のところを噛まれる、だいたいそれの繰り返しだ。
「……かなり痛いんだからね」
「すまない」
既に噛み過ぎて短くなってしまった爪は上手く齧ることができず。それならと一緒に指の厚めの皮も軽く齧る。皮も直っては齧り、直っては齧りを繰り返している為にずいぶんぼこぼこになってしまっていた。
それでも爪の周りの、ぼこぼこになってしまった皮をがじがじと噛み続けて、とうとう噛めるようなところがなくなってしまった。
口から親指を離して、今度は人差し指の爪を噛もうと、人差し指を自分の口に近づけたその時、
「ダーク」
腕をいきなり掴まれて、自分の後ろから声がした。顔を上げて後ろを振り返ると、きつく自分を睨んでいるリンクが目に入った。
「爪を噛んだらだめって言ってるだろ」
それを言われてやっと、自分が無意識のうちに爪や皮を噛んでいたということに気がついた。掴まれている手の親指を見る。指先の皮は全て齧られてなくなっており、赤い肉が露わになっていた。
自分には、「かみぐせ」というものがあるらしい。それがどんなものかはよくわからないのだが、今回のように爪や指の皮を噛んでいたり、食事を取り終えた後にフォークやスプーンを噛んでいたり、冷たい飲み物を飲んでいるときにストローを噛んでいたりするとリンクは怒ってそれをやめさせてくるので、食べ物以外のものを噛んでしまうことを、「かみぐせ」というようだ。
そして、リンクは何故かそれを凄く嫌っている。自分にとってこれは幼いころから無意識のうちにずっとしてきたことで、なんでもないことなのに、リンクはどうしてかそうすると凄く怒ってしまう。そんなリンクやマルス、ロイの爪を見ると、確かに自分のように爪を齧ったようなあとはなかった。
三人とも剣を振るときに長い爪は割れてしまうので邪魔だから、という理由で定期的に爪を切っているらしいが、自分のように噛み過ぎてかなり短くなってしまっているわけではない。
爪や物を噛んだりするというのは、どうやら人間の間ではしてはいけないことらしい。
鋭い爪を武器にしている魔物は居るが、自分のような人型の魔物にとっての爪はあってもなくてもどうでもいいものなので、こうして昔から爪をよく噛んでいた。
とはいっても、自分のように人そっくりに作られた魔物など自分以外に居なかったので、自分と同じような魔物は全て爪を噛むのかどうかは流石にわからないのだが。
「すまない」
無意識のうちとはいえしてはいけないことをしてしまったので、とりあえずリンクに頭を下げて謝る。
「だめだって言ってるじゃないか。……爪も、こんなにして」
そうしてリンクが、自分の唇をそっとなぞる。自分の口は半開きになっているので、上唇と下唇の間にリンクの指が置かれた。
「……痛っ」
無意識のうちに自分は、リンクの指を噛んでいた。そんなに力を入れてはいないが、それでも結構痛いらしく、顔を痛みに歪め慌てて指を離された。
「だめって言っているそばから君って奴は……」
「……すまない」
そう言ってダークはもう一度、頭を下げた。
こてん、とダークがベッドの上で半身を起こしていたぼくに凭れ掛かる。肩の上に頭をのせてきて、そのままだらんと全身の体重を預けてきた。それなりにダークは重いので、後ろに倒れこみそうになってしまった。
疲れたのだろうか。ぼくに凭れ掛かったままぴくりともしない。抱きしめる時みたいに背中をぽんぽん、と軽くさすってあげて、
「だるい？」
「ん」
「『ん』じゃわからないよ」
「……だるい」
ぼそ、とダークが耳元で囁いてくれた。ごめんねと謝って、もう一度ダークの背中を撫でた。
多分ただ体がだるいだけじゃなくて、眠いというのもあると思う。もうこんな時間だし、ぼくだって少し眠いから。
「もう寝る？」
「ん」
「それだけじゃわからないって言ったばかりだろ……」
そういう返事がだめなんだと分からせる為に、露骨に嫌そうに溜め息を吐いてそう言うと。ダークが慌てて顔を上げてくれて、赤い瞳でぼくを見る。
「まだ寝ない。もう少しこのまま」
「わかった。ちゃんと寝るなら、ね」
「ああ、ちゃんと寝る」
それにダークはちゃんと頷いてくれて、そのままもう一度ぼくの肩に顔を埋めた。
なんだかこれじゃあ親子の会話みたいだとも思う。その一方で自分達がしていることはどう見ても恋人同士のそれではあるのだけど。
自分でもちょっと変だなとは時々思ったりもするけれど、ダークはこれが変なのかそうじゃないのかすらよくわかっていないので、こっちに何も言ってこないぶん、この関係が少しおかしいということをどうも忘れがちになってしまう。この少し変な関係は、まだまだ改善しそうにない。
相変わらずダークの背中をぽんぽん、と撫でていると、ダークがいきなり大きくため息を吐いて、さらにぼくに体重を預けてきた。
「……眠いんだろ」
「ん」
「ダーク、さっきから話聞いてないよね」
「聞いてる……確かに眠い。けど、このままでいたい」
それに対してぼくは、しょうがないなといった風に今度はためいきをついて、
「このまま寝ちゃだめだよ。寝てもすぐ起こすからね」
「わかってる」
またそのまま肩に凭れ掛かったまま、ダークは息をするために胸が僅かに上下する以外、ぴくりともしなくなった。
もしかして寝ているんじゃないだろうか、とぼくが疑い始めて、体を揺すってみて寝ているかどうか確かめようとしたその瞬間に、
「いっ……」
ダークが凭れ掛かっているほうの肩から全身にかけて、鋭い痛みが走った。
ぼくの体からダークを引き剥がすと、夢と現実の境界線を行ったり来たりしていたのを一気に現実に引き戻されたのと、どうしていきなり体を離されたのかわからない。といったような顔で、ダークがぽかんとこっちを見つめていた。
どうやら自分のしたことにまだ気付いていないみたいだ。油断していたこっちもこっちだが、何度言ってもやめてくれないダークもダークだ。
「……また噛んだだろ」
きつく睨んでそう言うと、やっとダークが気付いてくれたようだ。あわてて自分が噛んでしまった部分に視線をやる。ぼくも同じように自分の肩に目をやると、赤い液体が目に入った。
ダークには、噛み癖がある。爪から食器から、とにかく無意識のうちに物をかんでしまう癖がある。特に一番酷いのは爪で、定期的に切っているぼくの爪の半分くらいの長さしかないダークの爪は、見ていて本当に痛々しい。噛み過ぎて殆ど噛むところがない分、爪の周りの皮まで噛んでいるみたいだ。
本人は噛み癖が悪いものだと最初全く思っていなかったから、そう思い込ませるまでにかなり苦労したし、そもそも本当に今回のように無意識のうちに噛んでしまうので、噛み癖の原因が幼い子供のようにストレスからきているのか、あるいはもっと別のところに原因があるのか、それすらまだわかっていないような状態だ。
ぼくが噛まれるのは、別に初めてのことじゃない。指も腕も……最中に肩や首筋なんかも噛まれたことがある。痕が残るどころか今回みたいに血が出るほど噛まれることも珍しくないぶん、噛まれた痕が消える前に、また別のところを噛まれる、だいたいそれの繰り返しだ。
「……かなり痛いんだからね」
「すまない」