涼宮ハルヒの憂鬱 ~忘れられた時~
「なかなか楽しかったですよ。いや、期待にたがわず面白い人ですね、涼宮さんは。あなたと一緒に行動出来なかったのは心残りですが、またいずれ」
いやになるほどの爽やかな笑みを残して古泉は退去、長門はとうの昔に姿を消していた。
残るはハルヒとゆうになったが、ゆうは少し遠目、ハルヒの向こう側で何かを待つようにそこにいた。
手前にいたハルヒは俺を睨みつけ、
「あんた今日、いったい何をしてたの?」
「さぁ、いったい何をしてたのしてたんだろうな」
「そんな事じゃダメじゃない!」
本気で怒っているようだった。
「そう言うお前はどうなんだよ。何か面白いもんでも発見出来たのか?」
うぐ、と詰まってハルヒは下唇をかんだ。放っとくとそのまま唇を噛みやぶらんばかりである。
「ま、一日やそこらで発見出来るほど、相手も無防備じゃないだろ」
フォローを入れる俺をジロリという感じで見て、つんとハルヒは横を向いた。
「明後日、学校で反省会しなきゃね」
踵を返しそれっきりあっと言う間に人混みに紛れていく。
俺も帰らせてもらおうかと思い、歩き出すか否かのところ、
「キョンさん、ちょっといい?」
「あぁ、どうした」
「少し歩かない?時間があれば…だけど…」
手を後ろで組み、上目遣いでゆうは言った。これとなく可愛く思える。
「あぁ。全然構わないが、どうしたんだ?急に」
「ううん、ただ、キョンさんと歩きたいだけ。行こ?」
あどけなくそう言うとゆうは俺の手をとって歩き出した。その手は、ハルヒの手のように強引なものでもなく、かと言って遠慮した感じの中途半端な握り方でもなかった。
ただ、いきなりと言うこともあり、俺が動揺してしまった。
日も沈み、辺りは夜の賑わいに繁華街も騒がしくなる頃だった。通り過ぎる人もほとんどが大人になり、いつの間にか俺たちは浮き気味になっていた。
「話したい事がある…っていうことか?」
隣を歩くゆうがいやに静かなのを見かねて俺は言った。今までの経験からいって、SOSのメンバーと二人っきりになると必ずそう言われることから俺はその言葉を選んだ。
「えっ…」
「違うなら良いが、いやに静かなもんだから、切り出せないんじゃないかってな」
まるい目をしてこちらを見たゆうにそう言う。
「…うん。でも、今はいいんだ。本当にキョンさんと一緒にいたいだけだから。あぁ、ごめんね、変なこと言って。でも、今度ちゃんとお話するから…いい?」
「それはかまわないが、今からどうするんだ」
「たまには外食とか、しない?」
先ほどの神妙な雰囲気はどこへやら。ひょっとしたら気を遣わせてしまったかもしれないな。
「そういうことなら、構わないが、行く当てでもあるのか?」
フレンチレストランだった。
全く洒落た格好をしてこなかった俺は周りの客人から少し好奇の目を向けられることになろう。
メニューを広げて見ると、どれも3000円は軽く超える値段の料理ばかりであった。こいつめここぞと金をむしる気か…?
「今日は、色々お疲れ様。急に連れ出したお詫びじゃないけど、ボクがおごるよ。好きなの選んで?」
なんと、これらをおごるのか。それはまた随分な出費になるぞ。
「大丈夫なのか?こんな高級料理」
「いや、むしろ、こんなものじゃ悪いかななんて思ってるんだけど…もしかして苦手?こういうの」
はっとしたようにゆうはいい、立ち上がろうとした。確かに初めてではあるが苦手というわけでもない。
「いや。むしろ良い経験だ。お言葉に甘えるとしよう」
これ以上気を遣わせるのも気が引けたので、そう言っておいた。
だが、さすがに出てきた料理の両脇に種類の違うナイフやらフォークを置かれたときには、ゆうに目配せせざるを得なかった。
右手にナイフ、左手にフォークを持ち、俺は料理と対峙した。
だがその手にはゆうの手が上から重ねられており、後ろから操作される形となっていた。いや、この場合、指導を受けている状態なのだが。
「こうやって置かれた物は全部外から順に使ってくんだ。こうやってね、フォークで押さえて、ナイフで一口大に切るんだ。そうすれば食べやすいでしょう?」
優しい声音でゆうは教えてくれていたが、俺の意識は、耳元にあるゆうの唇と背中にある柔らかい感触に向いていた。男だから仕方ないと言わせてくれ。ゆう、すまん。
「すまん。やはり俺はこういうのに疎いようだ」
本能が全開で発動しているおかげで全く覚えられない俺は、テーブルマナーを覚えることを断念した。これからどう食すかは考えものだが。
「しょうがなぁ」
おもむろにゆうは俺の背中から離れると、隣の席に戻り、俺の目の前に置かれたフレンチにナイフを入れ始めた。
背中に残る柔らかい感触に名残惜しさを覚えながらもゆうがフレンチコースのトップバッターにナイフを入れていく様を眺めていた。
「はい、あーん」
「んな!?」
切り終えたかと思ったその時、ゆうはなんとそれを俺に食べさせようと差し出してきた!いや、実に嬉しい事なのだが、人目はばからずこんなことをしていいのだろうか、いやむしろ良い。
「あ…、もしかして、こういうのダメだったりしちゃう?」
「いや、とんでもない。急で驚いただけだ」
「じゃあ、改めて、あーん」
あーん。っと待つ、が。よくあるパターン、くれると見せかけて自分で食べてしまうパターンが多いが、引っかかってしまっただろうか。
しかしこのあと口の中に広がる香りと、確かな感触があったので、とりあえずは安心した。むしろ少しでも素直なゆうを疑ってしまった自分が情けなく思えた。
少し照れた表情で微笑んでいるゆうは今日の朝比奈さんがめではなくなるほど愛らしかった。
慣れない高級料理ではあったが、ゆうと一緒だったおかげか、さほど疲れを感じることもなく、今日一日のおごりも、どーっでも良いような気分になれた。ゆうは断言通り、総額30000円以上になった出費を現金で払ってみせた。実はお嬢様だったりするのかとも思ってみたり、わざわざこの日のために貯めていてくれたりしないかという自惚れたことも考えてみたりもしたが実際はどうか定かではない。あまりに高額だったので、俺も払おうかと言ったが、連れまわした挙げ句それは申し訳ないと言って結局おごってもらうことになってしまった。
俺は今日で、彼女の素直さと優しさを知る事が出来た。その魅力とは何か朝比奈さんとはまた違うものだったが、これでまた部室に行くときが楽しみになるというものだ。
時刻もそろそろ九時も回り、家路につこうと待ち合わせたときの銀行に自転車を取りに来たが、自転車がなかった。かわりに「不倫駐輪の自転車は撤去しました」と書かれたプレートが近くの電柱にかかっていた。
作品名:涼宮ハルヒの憂鬱 ~忘れられた時~ 作家名:Sizuqh