冷たい手
冷たい手 ver.KAITO
「じゃあ、あの・・・えっと・・・」
僕は、少しためらってから、思いきって言った。
「う・・・うちに来る?」
彼は、青い目を伏せて、
「はい」
とだけ、答える。
「あの・・・えっと、じゃ、じゃあ、よろしく、カイト」
僕が手を差し出すと、カイトは、しばらくためらった後、そっと手を重ねてきた。
その手は、驚くほど冷たくて。
ああ、彼は、ヒトではないのだと、妙に悲しくなった。
「カイト、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
玄関まで見送りに来るカイトは、何時ものように、ぶっきらぼうな口調で、
「今日も、遅くなるんですか?」
「あ、うーん。今日は、大丈夫だと思う。遅くなるようだったら、電話するから」
「分かりました」
相変わらずの無愛想に、僕は、内心溜め息をつきながら、「行ってきます」と言って、玄関を閉めた。
僕の家にカイトが来て、三か月になる。
一応、僕が、カイトのマスターということになっているのだけど。
カイトは、一度だって、僕をマスターと呼んだことはない。
それも、仕方のないことだと思う。
「本来の」マスターは、ちゃんといるのだから。
三か月前。
仕事から帰ってくると、家の植え込みの陰に、誰かがしゃがみ込んでいた。
一瞬、泥棒かと驚いたが、襲いかかってくる気配はない。
酔っぱらいが家を間違えたのだろうかと思い、僕は思いきって、声をかけた。
「あのー、どうされました?」
影に溶け込んだ人影は、僕の声に、わずかに身じろぎする。
「あ、気分が悪くなった、とか?あの、お水でも、持ってきましょうか?」
「・・・大丈夫です」
ぼそぼそと声が聞こえた。
う・・・うーん。
「あのー・・・家を、間違えてませんか?ここは、僕の家なんですけど・・・」
思い切って言ってみるが、相手は答えない。
黙ったまま、じっと影に身を潜めていた。
あう・・・。
悪意はないようだけれど、正直、あまりいい気分ではない。
家に入りづらいんだけど・・・。
でも、入らない訳にもいかないので、僕は、人影から目を離さないようにして、慎重に鍵を開ける。
変な動きを見せたら、大声を上げようと身構えるが、相手は、ぴくりともしなかった。
目を離さないまま、そろそろと玄関を開け、素早く家の中に入る。
慌てて扉を閉めるが、相手が追ってくる気配はなかった。
こういう時は、やっぱり警察なのかなあ・・・。
両親と兄が他界して以来、この家には、僕一人しかいない。
相談できる相手がいない心細さを感じながら、僕は、玄関の明かりをつけた。
・・・・・・・。
思い切って、門灯もつける。
これで、我に返ってくれないだろうかと思いつつ、そっと玄関を開けて、外を窺ってみた。
・・・・・・いるよ。
これは、本格的に警察だろうと思い、鞄から携帯を取り出す。
110番を押そうとして、思わず、外の相手を見てしまった。
青い髪。青い目。青いロングマフラーに、白いコートの、若い男性。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?
あまりの格好に、携帯を取り落としそうになる。
こ・・・・・・コスプレ?こんな時間に?
怖さも忘れて、まじまじと見てしまった。
えーと。でも。あの。あれ?
な・・・何か、見覚えあるような・・・ないような・・・。
いや、でも、僕の知り合いに、コスプレする人はいないし・・・。
その時、気が付いてしまった。
彼の、うつろな瞳。表情の消えた顔。
悲しみを通り越した、絶望の色。
ああ・・・あの目には、見覚えがある。
両親と兄の葬儀の翌朝、鏡に映った、自分の目だ。
・・・・・・・・・・・・・・。
僕は、携帯を閉じると、恐る恐る玄関から出る。
そして、思わず、話しかけていた。
「あの・・・寒いから、中、入りませんか?」
その男性は、自分はVOCALOIDなのだと言った。
名前は「KAITO」。
・・・にわかには、信じられなかったけれど。
でも、地毛が青い人間なんて、初めて見たし。
良く通る声は、以前、ネットで聞いた「KAITO」の声、そのままだった。
でも、「KAITO」って、ボーカルソフトだよね?
どうして、人間の姿をしてるの?
そう聞いたら、困ったように、目を伏せた。
カイトにも、理由は分からないらしい。
まず、パソコンの中で、彼は「自我」を持ったのだそうだ。
それでも、その時は、まだ、彼のマスターは気付いてなくて。
カイトも、ただ、マスターの指示どおりに歌えれば、それで良くて。
特に、マスターに自分のことを知らせようとは、思わなかったらしい。
それが、ある日突然、パソコンの外に「放り出された」のだとか。
「放り出された」ってのも、どうかと思うけど。
カイトがそう言うのだから、そうなのだろう。
その後の事は、カイトは、詳しく教えてくれない。
きっと、辛い思いをしただろうから、無理には聞かないほうがいいと思う。うん。
ただ、驚いたマスターが、パソコンから「KAITO」をアンインストールしたけれど、彼は消えず。
カイトは、マスターに「出て行け」と言われ、外を彷徨った挙句、僕の家の前で、力尽きたそうだ。
行くところもないし、何せ目立つ容姿だから、追い出すのも可哀そうな気がして。
うっかり、「僕がマスターになるよ」と言ってしまった。
・・・ものすごく驚いた顔をされたから、きっと迷惑だったと思う。
カイトからすれば、本来の「マスター」は、最初の人なわけだし。
だから、僕を「マスター」とは呼ばないし、笑顔も見せてくれない。
仕方ないとは思うけど、ちょっと寂しいかな・・・。
早く、本来のマスターの元に戻してあげたいのだけれど、肝心のカイトが、「何処をどう歩いたのか、覚えていない」と言うし。
家の住所も電話番号も知らないとか。
最初は驚いたけれど、考えて見れば、そうだよね。
VOCALOIDに、自宅の住所や電話番号は、必要ないよね。
それに、カイト自身も、まだ立ち直っていないのか、あまり気が乗らないようで。
無理させるのもどうかと思って、今は、そっとしておいてる。
自分から、「探したい」と言ってきたら、協力するつもり。
「おはよーございます」
「おはよー」
「おはよーさん」
会社に着くと、まずはパソコンを立ち上げて、メールをチェック。
今日中に処理するものと、そうでないものを振り分けた。
何時もなら、ちょっとくらい残業になっても、気にしないんだけど。
今は、カイトがいるし。
家に一人っきりというのは、やっぱり退屈だろう。
最近は、寝る前に、カイトと歌の練習をするのが日課。
変なクセをつけないように気をつけながら、だけど。
元のマスターのところに戻った時、ちょっとでも上達してるように。
そうすれば、きっと、追い出されたりしないよね。
僕が仕事に行っている間、家事は、カイトが引き受けてくれた。
最初は、全く何も分からない様子で、帰ってきたら、家の中に台風が発生していたこともあったけど。
今は、大体のことは、こなしてくれる。
「じゃあ、あの・・・えっと・・・」
僕は、少しためらってから、思いきって言った。
「う・・・うちに来る?」
彼は、青い目を伏せて、
「はい」
とだけ、答える。
「あの・・・えっと、じゃ、じゃあ、よろしく、カイト」
僕が手を差し出すと、カイトは、しばらくためらった後、そっと手を重ねてきた。
その手は、驚くほど冷たくて。
ああ、彼は、ヒトではないのだと、妙に悲しくなった。
「カイト、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
玄関まで見送りに来るカイトは、何時ものように、ぶっきらぼうな口調で、
「今日も、遅くなるんですか?」
「あ、うーん。今日は、大丈夫だと思う。遅くなるようだったら、電話するから」
「分かりました」
相変わらずの無愛想に、僕は、内心溜め息をつきながら、「行ってきます」と言って、玄関を閉めた。
僕の家にカイトが来て、三か月になる。
一応、僕が、カイトのマスターということになっているのだけど。
カイトは、一度だって、僕をマスターと呼んだことはない。
それも、仕方のないことだと思う。
「本来の」マスターは、ちゃんといるのだから。
三か月前。
仕事から帰ってくると、家の植え込みの陰に、誰かがしゃがみ込んでいた。
一瞬、泥棒かと驚いたが、襲いかかってくる気配はない。
酔っぱらいが家を間違えたのだろうかと思い、僕は思いきって、声をかけた。
「あのー、どうされました?」
影に溶け込んだ人影は、僕の声に、わずかに身じろぎする。
「あ、気分が悪くなった、とか?あの、お水でも、持ってきましょうか?」
「・・・大丈夫です」
ぼそぼそと声が聞こえた。
う・・・うーん。
「あのー・・・家を、間違えてませんか?ここは、僕の家なんですけど・・・」
思い切って言ってみるが、相手は答えない。
黙ったまま、じっと影に身を潜めていた。
あう・・・。
悪意はないようだけれど、正直、あまりいい気分ではない。
家に入りづらいんだけど・・・。
でも、入らない訳にもいかないので、僕は、人影から目を離さないようにして、慎重に鍵を開ける。
変な動きを見せたら、大声を上げようと身構えるが、相手は、ぴくりともしなかった。
目を離さないまま、そろそろと玄関を開け、素早く家の中に入る。
慌てて扉を閉めるが、相手が追ってくる気配はなかった。
こういう時は、やっぱり警察なのかなあ・・・。
両親と兄が他界して以来、この家には、僕一人しかいない。
相談できる相手がいない心細さを感じながら、僕は、玄関の明かりをつけた。
・・・・・・・。
思い切って、門灯もつける。
これで、我に返ってくれないだろうかと思いつつ、そっと玄関を開けて、外を窺ってみた。
・・・・・・いるよ。
これは、本格的に警察だろうと思い、鞄から携帯を取り出す。
110番を押そうとして、思わず、外の相手を見てしまった。
青い髪。青い目。青いロングマフラーに、白いコートの、若い男性。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?
あまりの格好に、携帯を取り落としそうになる。
こ・・・・・・コスプレ?こんな時間に?
怖さも忘れて、まじまじと見てしまった。
えーと。でも。あの。あれ?
な・・・何か、見覚えあるような・・・ないような・・・。
いや、でも、僕の知り合いに、コスプレする人はいないし・・・。
その時、気が付いてしまった。
彼の、うつろな瞳。表情の消えた顔。
悲しみを通り越した、絶望の色。
ああ・・・あの目には、見覚えがある。
両親と兄の葬儀の翌朝、鏡に映った、自分の目だ。
・・・・・・・・・・・・・・。
僕は、携帯を閉じると、恐る恐る玄関から出る。
そして、思わず、話しかけていた。
「あの・・・寒いから、中、入りませんか?」
その男性は、自分はVOCALOIDなのだと言った。
名前は「KAITO」。
・・・にわかには、信じられなかったけれど。
でも、地毛が青い人間なんて、初めて見たし。
良く通る声は、以前、ネットで聞いた「KAITO」の声、そのままだった。
でも、「KAITO」って、ボーカルソフトだよね?
どうして、人間の姿をしてるの?
そう聞いたら、困ったように、目を伏せた。
カイトにも、理由は分からないらしい。
まず、パソコンの中で、彼は「自我」を持ったのだそうだ。
それでも、その時は、まだ、彼のマスターは気付いてなくて。
カイトも、ただ、マスターの指示どおりに歌えれば、それで良くて。
特に、マスターに自分のことを知らせようとは、思わなかったらしい。
それが、ある日突然、パソコンの外に「放り出された」のだとか。
「放り出された」ってのも、どうかと思うけど。
カイトがそう言うのだから、そうなのだろう。
その後の事は、カイトは、詳しく教えてくれない。
きっと、辛い思いをしただろうから、無理には聞かないほうがいいと思う。うん。
ただ、驚いたマスターが、パソコンから「KAITO」をアンインストールしたけれど、彼は消えず。
カイトは、マスターに「出て行け」と言われ、外を彷徨った挙句、僕の家の前で、力尽きたそうだ。
行くところもないし、何せ目立つ容姿だから、追い出すのも可哀そうな気がして。
うっかり、「僕がマスターになるよ」と言ってしまった。
・・・ものすごく驚いた顔をされたから、きっと迷惑だったと思う。
カイトからすれば、本来の「マスター」は、最初の人なわけだし。
だから、僕を「マスター」とは呼ばないし、笑顔も見せてくれない。
仕方ないとは思うけど、ちょっと寂しいかな・・・。
早く、本来のマスターの元に戻してあげたいのだけれど、肝心のカイトが、「何処をどう歩いたのか、覚えていない」と言うし。
家の住所も電話番号も知らないとか。
最初は驚いたけれど、考えて見れば、そうだよね。
VOCALOIDに、自宅の住所や電話番号は、必要ないよね。
それに、カイト自身も、まだ立ち直っていないのか、あまり気が乗らないようで。
無理させるのもどうかと思って、今は、そっとしておいてる。
自分から、「探したい」と言ってきたら、協力するつもり。
「おはよーございます」
「おはよー」
「おはよーさん」
会社に着くと、まずはパソコンを立ち上げて、メールをチェック。
今日中に処理するものと、そうでないものを振り分けた。
何時もなら、ちょっとくらい残業になっても、気にしないんだけど。
今は、カイトがいるし。
家に一人っきりというのは、やっぱり退屈だろう。
最近は、寝る前に、カイトと歌の練習をするのが日課。
変なクセをつけないように気をつけながら、だけど。
元のマスターのところに戻った時、ちょっとでも上達してるように。
そうすれば、きっと、追い出されたりしないよね。
僕が仕事に行っている間、家事は、カイトが引き受けてくれた。
最初は、全く何も分からない様子で、帰ってきたら、家の中に台風が発生していたこともあったけど。
今は、大体のことは、こなしてくれる。