Adagio
それなりに開けた街に住んではいるから、遠くではあるが、ヘスラーの住む街とは電車一本で行き来ができる。
所要時間は二時間ほどかかるのだが。
時間はたっぷりあったから、駅まで迎えに行くことにした。
道は分かっているから迎えはいいとヘスラーはいつも言っているが、時間さえ合えば行くようにしている。
ホームから出てくる数週間ぶりのヘスラーは、アドルフを見つけると一瞬だけ表情を止めて、それから頬を緩めて笑った。
「迎えはいいって言っただろう?」
道はもうすっかり覚えてしまった、とヘスラーは言う。
「鍵だって持っているんだから、締め出しを食らうこともないしな?」
ちゃり、とヘスラーのポケットの中で軽い金属の音がした。
いつ来ても入れるように、お互いの部屋の合鍵は渡しあっているのだ。
「俺が来たかったんだから別にいいだろう」
早く会いたかったのだと言外に言えば、ヘスラーはいつだって穏やかに微笑む。
その顔に会いたかったのだと、口にはせずにアドルフもまた、笑顔で伝えた。
食事は家で摂ろう、下ごしらえはしてあるんだ、そんな会話をしながらそれなりに人通りの多い路地を並んで歩く。
途中でのぞいた店で、デザートにしようとヘスラーがライチを買って、荷物の多いヘスラーの代わりにアドルフがそれを持った。
古新聞に包まれたそれはかなりの量があって、こんなに買ってどうするんだと呆れたが、帰る迄には食べきるさとヘスラーは笑うばかり。
と、
「アドルフ!」
前方からあどけない声。
向かい側から駆けてくる小さな姿は、つい数時間前に別れたばかりのものだ。
ばふ、と足に飛びつかれた。
笑って頭を掻き回すように撫でてやると、くすぐったそうにふふと笑う。
「今から帰るところか?」
「うん!」
すっかり懐かれてしまったことに、多少の面映ゆさも感じないではないが、足に触れる温もりは温かい。
悪い気はしないから、つい口元が緩んでしまう。
そんなアドルフをしばらくは傍観していたヘスラーだったが、やがて誰だと視線で聞いてきた。
ああ、と答えようとしたところに、
「だあれ?」
少女の声が被さった。
飛びついたときはアドルフしか視界に入っていなかったのだろう。
アドルフとヘスラーの視線の会話を感じ取ってか、きょとんと二人を交互に見上げている。
見慣れない背の高い人物を思い切り見上げている少女の目線に合わせて、ヘスラーがしゃがみ込んだ。
「アドルフの友達さ。遊びに来たんだ」
元々穏やかな表情をしているヘスラーが笑うと、子どもは決まってにこりと笑う。
子ども好きは子どもが分かると言うが、ヘスラーも例に漏れない。
少女はすぐにいつもの笑顔を乗せた。
「おともだち?」
「ああ、ずっと昔からの」
「なかよしなんだ?」
「そうだな、とても」
気のせいだろうか、とても、の部分に比重がかかっていたような気がする。
ちらりとヘスラーを見ると、相変わらずにこにことした笑顔を少女に向けているだけだったが。
アドルフはひそかに頬をかく。
「そうなんだ! ……ねえ、アドルフ、」
足に巻きついたまま、少女が今度は真上のアドルフを見上げてくる。
「ん?」
にこり、
「だから今日、とってもうれしそうだったんだね!」
まるで自分のことのように嬉しそうな笑顔で笑うから、
「……ああ、そうだな」
アドルフは認めるしかない。
ヘスラーが穏やかに笑っているのを横顔で感じながら。
すっかりヘスラーの名前まで覚えて、父親のもとに再び走り去っていく小さな後姿を見送って、ヘスラーがぽつりと呟いた。
一度だけ振り返った顔に、片手を上げて応えている。
「嬉しかったのか?」
どことなくいたずらめいた笑みが浮かんでいる顔に、肩を竦める。
「言わないと分からないか?」
「いや」
分かるよ。
言って、普段は外では触れない腕が伸びてきて、そっと肩を抱いた。
「俺も嬉しい」