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ブギーマンはうたえない〈3〉

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***




「あ」


うたがふっと途切れて、津軽の時間もはたと動き出す。
それまでの目の前が霞むようなふわりとした感覚が嘘のように、すとんと意識が覚醒していった。


「…?」


今のは幻だったのだろうか。磁気にあてられてショート回路に異常をきたした何かが聴かせたとか。
でもあんな。あんなより鮮明に心に刻まれるぐらいの強烈なあの音が、果たして幻で済ませていいものなのか。だけどそれ以上にも以下にも、本当にうたが聴こえていたのかもこうなると疑問に思えてくる。


「……」


やはり地下に潜って確かめた方がいいかもしれない。と、津軽が今一度両手に力を込め始めた時、今度はうたではない別の声にその力を遮られることとなった。


「ちょっと貴方!そこで何をしているの!」
「っ!?」


ふいに上がった甲高い怒鳴り声に津軽は思わず壁を壊しそうになって、寸でのところでミシッとしなるくらいで力をセーブさせることに成功する。
見つかってしまった。と瞬時に状況把握出来たのは幸いだった。だがそこですぐに逃げることはせずに、津軽は壁から手を離しゆっくりと声がしたほうへ身体を振り向かせた。
振り向いた先、鉄線の向こうに一人人影が見える。大きくはない。少し丸く細いシルエットに女性だと知れる。津軽はサーチを停止したままその人影を見据え、この場を穏便に切り抜けるため、言葉を出来る限り選びながら交渉することにした。


「え、…っと」
「?…」
「……すまん、迷って……こんなとこまで、来てい、た……」
「……」


……失敗だったかもしれない。
まず言い方がぞんざいすぎて、これでは相手に不信感しか与えないであろう。しかし津軽にそれを正すスキルはない。
それに塔の周りには鉄線が張り巡らされている。迷った人間がわざわざ鉄線を引き裂いてまで内部に入り込もうとするだろうか。いや、だがまだ鉄線を引き裂いたことはバレてないかもしれない。もしいざとなったらこの女性を倒して逃げるしかないが、それならそれで顔や声を知られる前にそうすれば良かったという後悔がつきまとう。
津軽は兵器ではあるが元は人間。判断力とそれに付随する行動の基礎も元々平和島静雄のものがベースだ。だからか、その点においては元々嘘をつくのを苦手とする彼と同じものであり、また成長は出来ていないのかもしれない。そんなことは緊迫した今の状況で津軽が思い至ることはまず不可能ではあったが。
対して津軽を見咎めた女性は冷静に彼を見定めるようにジィと見つめ(暗闇の中見えているとは言い難いが)己の中で結論を出したのかふうと小さくため息をつくと、どうでもいいとでもいうように片手の平を天へ仰向けてこう言ったきた。


「……迷った。…ね。……なら早く帰りなさい。ここは貴方みたいな部外者が立ち入っていい場所じゃなくてよ」
「え」
「何処から入ったのかはともかく、その塔はこの街の機密だから安々と近づいてもらっては困るわ」
「…な…」


さらりと重要な発言をしたような気がするが、じゃあさっさと消えてね、と女性は捨て台詞のようなものを残し踵を返して去ろうとする。だが、その思いもよらない警戒の薄さに呆気にとられてしまった津軽は、見逃してくれるならそのまま言葉に甘えればいいものを咄嗟にその立ち去ろうとする背中を呼び止めてしまった。


「? なに?」
「え、…あ、いや。……おれが言うのもなんだけど、どう見たって不審者だから…。なんでそんなあっさり…?」


津軽の最もな意見に、女性は振り返っていた半身をそのままに少しだけ時間を止める。今の口振りからすると女性はこの施設の関係者であることは明白であり、第三者から見ても状況がまずいのは津軽だが彼の言うことはその通りだと挙手をしてしまうくらいには最も意見なのだ。糞真面目といえばいいのか素直といえばいいのか。一応侵入者という不利な立場であるのに津軽にとっては自分の疑問のほうが最優先事項になってしまうのだろう。
女性はそんな端から見れば阿呆な行動を起こす津軽を見て、また呆れたようにひとつ息を吐くと彼自身が疑問に思う自分の不可解な行動の理由を、困惑した津軽に抑揚もなく、そして簡潔に告げてやった。


「時間外だから」
「は?」
「もうタイムカード切っちゃったし、時間外労働なんて私に無利益な行動は性にあわないから忠告だけに留め置いたのよ。これでいいかしら、間抜けな侵入者さん?」
「え、……??」
「ていうか、さっさと逃げないと警備員来るわよ」


彼女の言いわく時間外であるから侵入者を見つけても捕まえる義理はないということか。言われてみれば、最初の甲高い怒声を聞き付けた幾人かの男達がバタバタと近づいてくる気配がしている。その一声が時間外でも一応自分の仕事に貢献した一声だったのだろう。だが今の津軽にはそれでも充分任務を妨害されるだけの行動であったので、彼女の言う通り今はもう逃げるしか手はない。


「あ」


そうこうしているうちに女性は津軽にはもう興味はないというようにまたも踵を返して歩き出していた。
津軽も津軽で彼女を呼び止めている場合ではなく、本格的に早くここからずらからねばとその場で跳躍し鉄線を足場にビルの上へと飛び上がる。その際に着物の裾の一部が鉄線に引っかかって破けてしまったが今はそちらを気にしている暇はなかった。


「おい! 声がしたのはこっちか!」
「不審な者はいないか探せ!」


間一髪、津軽がビルに移った直後に津軽がいた場所あたりに黒服の男達が集まり周りを警戒し始めた。これでは再び侵入どころではないなと津軽は小さく舌を打ちながら塔から距離をとるためビルから隣のビルへとひらり移動する。


(今日のところは一度新羅のところへ戻ろう)


正体不明な磁気のおかげで結局地下の中身を見ることはかなわなかったし、あのどう見ても関係者であろう女性は鉄線の外側、つまりは塔以外の場所から出てきたことになる。あの様子だと塔の中身を知っているようだったので、もしかしたら別の場所に塔内部に入れる入り口がある可能性も否めない。どちらにしろ今日はもう引き上げ時かと、津軽も同じく塔には背を向け踵を返し自分達の宿泊施設の帰路へとついた。


「……失敗…、新羅、怒るかな…」


怒ったことを一度も見たことないが、でも彼が怒ったらきっととても恐いだろうと津軽は少し心配になってきた。
そして任務を一時中断したことで集中が途切れたか、ふと、ある出来事も思い出される。


(……あの、…うた……)


気のせいではない。確かに聞こえたあの妙な音の集合体。地下から流れてきたあれの正体が何故か異様に気になっている。
それは未知の感覚をもたらすからだろうか。自分がいまだ体験したことのない、だが何故か懐かしく焦がれるようなその感情に。


(でもそんなものがあったとしても。きっとそれは、)


"自分"のものではなく、おそらくは遠く遠く忘れ去られた、"彼"であった時の。














拠点である安ホテルに戻ってはきたが、まだ新羅は戻っていないようだった。真っ暗なその部屋を、電気もつけぬまま津軽は寝室へと足を向ける。