ブギーマンはうたえない〈3〉
新羅は新羅で独自に調べ物があるとのことだった。だがけっこう時間は経っていて、もう数時間もすれば朝日が顔を見せてくるだろう。
寝室のベッドに腰を下ろし、懐の袖口から煙管を取り出しサイドテーブルに置いてあった刻み煙草をひとつまむと少し揉み解してから火皿に詰める。そのままマッチで火をつけて今度は肺に染み込ませるように深く煙を吸った。
「…ふう」
この刻み煙草は新羅特性のブレンドであり、中には沈静効果を催す草も調合されている。津軽は内部にアイサーチなど搭載しているせいかよく頭痛に悩まされており、それを見かねた新羅がいろいろ勉強までしてくれて調合してくれているのだ。任務前に一服するのもそのためである。任務中に頭痛が再発して失敗など起きたら日の目も当てられない。
兵器なのに頭痛がするなど、普通であれば冗談と一笑に伏せるであろう。だが何度も言うように津軽は元は人間であり、その身体も並より丈夫ではあるが脆い部分は脆い。それは津軽自身よりも新羅の方がくわしいかもしれないが、津軽にも新羅には話していないこともある。
「……」
新羅は津軽にとって親みたいな存在だ。親といえばベースである平和島静雄をいうのかもしれないが、それでも"津軽"という存在をこの世に創り出したのは新羅でもあり、またうまれて間もなく混乱に堕ちた自分を救い上げて津軽という意識を与えてくれたのは彼である。
では"平和島静雄"は一体何処へ行ったのだろう。津軽という意識を与えられたせいもあるのか、自分がその"平和島静雄"であるという自覚が極端に薄い。だがそれはそれでいいと思っている。兵器としての自分は兵器としての自覚があればいいだけであり、個人の感情などそこには必要はない。なくていいものを、求める道理もない。だからそれでいいのに、それが最近少し困ったことが起きてもいた。
(眠い…)
煙管をくゆらせているうちに目蓋が重くなってきた。サイドテーブルにあった煙草だ。新羅が睡眠作用のある何かも調合したのだろうか、そうであってもなんらおかしくはない。
だけど津軽はあまり眠りたくなかった。眠ると困る。困ったものを、"見せられる"。それは兵器にはないものであり、必要もないのにそこにある。
残骸だ。過ぎた骸であり、そんな骸をぶらさげてこられても自分にはどうしようもできないというのに。
(ああ、…また、見なきゃいけないのか…)
この街に入ってからとんと、途切れたことのないそれは。
まるで彼を誘うようにそっと、未知の扉を開かせるようで。だけれども。
その取っ手は酷く錆ついていて、まるで開かれることすら静かに拒むように――。
***
平和島静雄は化物である。
化物とは言ってもサイコキネシスや炎を出したりとかファンタジーなものではない。普通の人間が行える、物を投げたり掴んだり殴ったりの行動範囲で、だが並の人間が発する何十倍もの動力を発していただけだ。
それは人よりも強い力を持ち、行動を起こすことでその力を彼を知らぬ人々に示されることになり、結果その過ぎた力は彼を畏怖たらしめる凶器となっていた。
だが彼はそれでも、ひねくれていた人間ではなかった。力は力で大変なエネルギーを有してはいるが、それ以外はなんら普通の人間と変わりない、むしろ彼程ただの人間らしい人間もいないくらいに。
だがそれを理解できる者は少なく、また彼にとってもそれが普通なんだと日常化していたのだ。"力"があるから嫌われる。だけどそれを隠そうとしてもそんな器用なことができるわけもない。誰かに理解を求めても拒まれる。求めても求めても求めても。ならばもういいだろう。自分はずっと孤独でいれば、そうすれば誰をも傷つけることもない。
孤独を受け入れた彼はとても強く、そして穏やかだった。彼は誰かに自分への理解を求めることを諦めたが、その拒む者達を嫌ってはいなかった。沸点が低いのは相変わらずで理不尽に対してはすぐにその力で覆してもきたが、彼は自分の理念に反する行動は絶対にしなかったのだ。
その戦績から彼にも相当の地位が与えられていて、その地位の下にも配置される人間はいる。しかし静雄は下に人間をつかせられるような性格ではなかった。上の命令で仕方なく軍を率いて戦線に赴いたとしても、静雄一人でだいたいを片付けた。静雄にとってはそれが一番手っ取り早く、またつきたくもない自分の下についた部下の負担を減らすことだろうと彼なりの配慮があった。――その行動が彼を更に化物と呼ばせる一因になるとも知らずに。
しかし静雄自身は関知せぬことだったが、ほんの一部の人間は……世間をよくも知らぬ軍に配属されたばかりの若者の類が静雄の武勇伝に憧れて彼の下に配属希望を出す者も少なくはなかった。それが良いか悪いか答えを出すのは難しい事実ではあるが。
だが静雄は人付き合いもさることながら、まず全てのものに関わることを恐れていた。この抑止の効かない力で傷つけるくらいなら独りでいた方がいいと、彼が唯一気を許せる弟以外は何をも寄せ付けぬ人間だった。
しかしそれが彼を更に孤独に追い込むことになる。
*
『平和島大佐。先日未明、南東地域沖遠征で貴殿の配下である一個中隊が全滅したと報告をお伝えしに参りました』
ああ、まただ。
『……は?』
これは、きっと夢という代物で。
『全滅って…どういう、ことだ…!? 俺は部下は出さねぇと断った筈だ!』
そして、シズオの、昔の記憶。
『私はよく存じ上げておりませんが、平和島大佐の要請破棄のため、代わりにロッケンゼン少将が平和島大佐の部下を引き連れて遠征に赴いたと伺っております』
おれにはない、"過去"というその。
『要請破棄じゃねぇ! だいたいその地域にゃ元々協定締結で手ぇ出せねぇとこになってるところを強襲するって話だったから意見したまでだ! そこで採れるなんたらって物質が目当てだっつー自分勝手な理由だったんだぞ!』
『自分勝手ではございません。軍の、ひいては我が国の利益になるとふまえての英断とお察しください』
『ッ、じゃあなんで俺を行かせなかった! 俺の出陣を拒否したのはあのロッケンゼンだぞ!? 代わりにこの北方の沿岸部警戒で俺を出ずっぱりにしやがったのもだ! 俺のいない間に勝手に動かしたっていうのか!』
『存じ上げておりません。私の任務はただ、この一連の騒動の責任として貴方が罷免されることをお伝えしに来ただけです』
『!?』
驚愕と、憤りと、やるせなさと。そして。
『貴方は降格され、本日をもって軍中央に配属されます。速やかにこちらの令状を受諾し出立なさってください』
『っ…!』
ただ、悔しさ。
『ふ、ざけ』
ぐちゃぐちゃになる感情の渦。呑み込まれるようにして、そしてここで一度シーンは途切れてしまう。
そして次に来るのは、おれよりも表情のない、カスカというシズオの最愛のニンゲンの姿だった。
『兄さん、ごめん。…俺は兄さんにだけは迷惑をかけたくなかったのに』
表情のないその弟に、だがシズオは彼をそっと壊さぬように胸のうちに抱いて告げる。
作品名:ブギーマンはうたえない〈3〉 作家名:七枝