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恋を思って死ねたなら

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1.

 ──また、だ。レンは音譜に描かれた音階を指先で辿り、そしてその音符の下に書かれた文字、歌詞を眺めながら小さく眉根を寄せる。指先がとある文字の横で、ぴたりと止まり、そのまま動かない。同じ楽譜を貰ったリンが、嬉しそうに音を言葉に乗せて口ずさむのを聞きながら、レンは楽譜へ向けていた視線をそっと上げた。
 青色の瞳が向かう先は、自身のマスターへである。マスターは嬉しそうな笑みを浮かべていた。レンの視線に気がついて、なおも嬉しそうにしながら首を傾げる。肩口にかかった茶色の髪の毛が、さらりと揺れた。

「どうしたの、レン」

 女性特有の高い声が、そう広くもないマスターの部屋に響き、レンの耳朶を優しく叩く。レンは、僅かな逡巡をして、それからおずおずと目の前に立つ女性──マスターへと楽譜を差し出した。指先で、ある文字を指差す。

「これ、前の曲でもあったけれど、どういう意味なんですか」
「これ?」

 マスターが訝しげに表情を歪め、僅かにかがんで、レンの指先が指し示す文字を読む。

「好き──が、わからないの?」

 マスターの問いかけに対して、レンはゆるゆると首を振った。指先で指し示していた文字、『好き』という言葉を、ぼんやりと眺める。マスターが唸るような声が聞こえ、何か変なことを聞いたのだろうか、とレンは不安げな色に表情を彩りながら、伏せていた視線を上げた。

「好き、好き、かあ。説明……説明、んー」
「はいはい!」

 マスターが返答に窮している最中、突如としてレンの隣から明るい声が上がった。鈴のような、透明な声音だ。リン、とレンが名前を呟くと、名前を呼ばれた少女は嬉しそうに笑いながら、そしてどこかうっとりとした心地を込めて言葉を続けた。

「リン知ってるよ! 好きってねえ、幸せなことなんだよ!」
「幸せ?」
「そうだよ。……わかんないの?」

 リンが僅かに眉根を垂らし、おずおずといった様子で言葉を紡ぐ。それに対して正直に頷くと、リンが「なんでー!」と叫びに近い声を上げた。リンはマスターから先ほど受け取った楽譜を、胸に壊れ物を扱うように抱きながら、なおも言葉を言い募る。

「好き、だよ? なんでー! 好きがわかんないなんて、レンって子どもだー!」
「子どもって、リンだって子どもだろ!」
「ううん、リンはわかるもん。好きって感情がどれだけ素晴らしいか。いっろんなドラマとか漫画とか見て研究したもーん」

 リンの言葉に、むきになって反論すると、弾んだ声音で言葉が返ってくる。
 研究。レンは僅かに首を傾げる。好き、という感情は研究しないとわからないものなのだろうか。それなら、おれだってリンみたいにドラマや漫画を見て研究すればわかるのだろうか。
 そう考えて、レンは軽く首を振った。リンがドラマや漫画を見る際、いつだっておれは横に居た。つまり、同じくらいの量のドラマや漫画を見ているのだ。それだというのにわからないのなら、きっと同じように研究しようともわからないのだろう。

 リンに『好き』という感情について教えを乞おうか、という考えが一瞬レンの脳裏に浮かんだが、彼はすぐさまそれを打ち消した。誰かに訊く──よもや、先ほどから、子どもだ子どもだー、と連呼してレンの周りを嬉しそうにぐるぐる回るリンに訊くなんてことは、レンの心が許さなかった。

 レンの周囲を嬉しそうに回りながら子ども子どもとはやし立てるリンを睨みつけるように見つめると、途端にリンはふてくされたように頬を膨らませた。ステップを踏むように動いていた足が止まる。

「何よ、怒んないでよ。本当のこと言っただけじゃない」
「おれは、子どもじゃ、ない!」

 一触即発の雰囲気が二人の間を漂う。それを打ち消すように、マスターが手のひらを鳴り合わせた。高い音に、レンは無意識的にマスターへ視線を向けた。
 マスターは困ったような表情を浮かべながら、そのまま二人の頭をがしがしと撫でる。リンがきゃー、と嬉しそうな悲鳴を上げているのがレンの鼓膜を揺らした。

「もう、二人とも、喧嘩はよしなさいってば」

 マスターのなだめすかすような言葉に、レンは僅かにむっとする。喧嘩ではない。リンが突っかかってきたんじゃないか。苛々は胸中に留まらず、そのままレンの口を突いて出る。

「だって、リンが」
「だって、レンが」

 同時に言葉を発し、レンはリンへ視線を向けた。リンが怒ったように頬を膨らませながら、「リンの真似しないでよ!」と言っている。それならばこっちだって真似しないで欲しい、と言葉を紡ごうとした瞬間、マスターが呆れたように笑う声が聞こえた。

「……二人とも本当に息がぴったりだね」

 マスターの笑う声は優しく、レンの胸中にわだかまる怒りを溶かしていくようだった。それはリンも同じようで、もにょもにょと唇を波打たせながらも、マスターの笑い声に眦を垂らしていた。
 リンが僅かに笑う。それと同様に、レンもほんの少しだけ笑みを零した。三人で小さく笑いあう。

 マスターが笑う顔を見ると、何故か、レンの心は静かになる。海の凪のように、おとなしく、そして心地よい気分が広がっていくのだ。柔らかく暖かな感情は、レンの胸の内をじんわりと暖めていく。ずっと見ていたいと、そういった思いが胸の内をそっと満たしていく。なんだか自分でも変に思えるが、その感情や気持ちを言葉に出したことはない。ただ、レンが笑うと、マスターも嬉しそうに笑い返してくれるので、マスターの笑顔が見たいときはいつだって、レンは笑顔を浮かべた。

 漣が広がるように三人で笑いあっていると、ふと扉を開けて入ってくる人物が居た。映えるような青色が目をつく。穏やかな表情を浮かべた、精悍な顔立ちをした男性は、部屋を見回すと、ぱっと電気が灯るような笑みをこぼす。

「マスター。リンにレン。ここに居たんだね。探したんだよ」
「カイト。どうかしたの?」
「ちょっと、マスターに訊きたいことがあったのと、あと、リンレンはメイコさんが呼んでいたから、ね」

 ほんのりと笑みを浮かべ、僅かに首を傾けて言葉を発する姿は、おおよそ男性に似つかわしくないものだ。それでも、何故かカイトがすると様になるのは、カイトが男性的ではない、中性的な顔立ちをしているからなのかもしれない。
 マスター、と嬉しげな声を出して、リンとレンの間にカイトが入りこんでくる。わずかに肩がカイトの肘にあたり、レンはその場でたたらを踏んだ。自身にぶつかってきたカイトを眺め見る。
 謝れよ、と心の中で拗ねるような言葉を口にして、レンはカイトから視線を逸らした。カイトは夢中になると周りに目がいかないことがある。リンもそうであり、メイコやミクもそのような気質がある。人間にもそのような性格──つまり、何かに夢中になれば他のことなどほったらかし、もしくは全く気にも留めないようになる性質の持ち主が居るらしいが、ボーカロイド、ひいてはアンドロイドはどの個体もこの気質を少なからず持っていた。
作品名:恋を思って死ねたなら 作家名:卯月央