闇に射る②
目の前の少年が発した言葉を理解できなかったのか、男の手の力が僅かに緩んだ。
「僕が手当をした人に殺されるなら、よかったかなって思えます。元気になってよかった、動けるようになってよかった……」
独り言のように呟く伊作。
「何を言っているんだ、君は」
無機質だった男の声に微かな動揺がみえた。普通の子供ならば、いや大人でもこの状況におかれたら恐怖のあまり震えあがるだろう。この男の目に射られたら気さえ失いかねない。しかし伊作は今気付いた「ある事」についてなおも言葉を繋げた。
「不運不運だって僕は言われているけど、僕が手当をした人が動けるようになるのは、その人にとっては幸運だと思う。僕自身の不運も誰かの幸運に変わるのなら、捨てたものじゃないかなって……きっとこれは『優しさ』じゃない。只の僕の自己満足なのでしょう」
そう言って、ゴホゴホとむせる咳をし始めた伊作の喉から腕が外され、体の上から男の気配が消えた。そして伊作への興味を失ったように、男は藪の向こうを見ながら言った。
「君さぁ、命は惜しくないのか?」
「そりゃあ、死にたくなんかないですよ。まだ宿題終わってないし、作りかけの薬もたくさんあるし」
伊作は上半身を起してはあ、と一息ついた。すぐ隣でガチャリという音と共に具足が置かれた。
「いまどきの子どもの考えには、おじさんついてけないなぁ。あ、この具足よかったら着けていいよ。早く宿題終わるといいね」
先程までの緊迫した雰囲気などまるで無かったように、男はのんびりとした口調で言う。
「それ着けて、あの藪と反対の道から行けば君の言う忍術学園の仲間が居る筈だよ」
伊作は男が指さした方向を見た。同時になぜ、この男が仲間の居場所がわかるのかという疑問が生じる。振り返ると男はもうそこに居なかった。
「この恩は必ずかえす。気をつけて行くんだよ」
頭上から届く声に見上げると木の枝に男が立っていた。木漏れ日の逆光に目を細める。
「あの、どうして仲間がいるってわかったんですか。それと、ぼくは子どもではありません、もう15歳になったし、来年は…」
男が初めて笑った気がした。驚いて伊作は言葉を詰まらせる。
「こんなに立派な手当をしてくれた恩人に『子ども』とは無礼な事を言ってしまったね。許してくれ。……ありがとう」
男が礼を言った瞬間、突風が吹き、男の姿を枝葉が覆った。伊作も反射的に目を閉じた。
そして目を開けた時には、もう男の姿はどこにも見当たらなかった。
(もしかして僕が寝ていた時、敵から守る為に横にいてくれてたのかな)
そう思った時に「だからお前はお人好しだって言うんだよ」としかめっ面で言ってくる友人達の顔が浮かんだ。すぐに情に絆されてしまうのも自分の悪い癖だ、と伊作は少し笑った。
(この事はしばらく皆に秘密にしておこう)
もし、皆に話そうにも既に記憶している男の顔が思い出せなかった。覚えているのは汚れた包帯と、その下の傷だらけの皮膚だけ。―――我ながら『優しさ』などとは程遠い、と思う。
伊作は具足を身に着けて、男が指示した方向へと進んでいった。