続・罪深き緑の夏
リヒテンシュタインは思い詰めたような表情を見せ、スイスが腰を下ろすソファへ近づいていく。
「兄さまがいなくなっても大丈夫だなんて。そんな風におっしゃられると、どうすればいいかわからなくなります」
珍しく、断固とした語り口調に気圧されるように、スイスはリヒテンシュタインを見上げ、首を横に振る。
「他意はないぞ、リヒテン。言葉のあやというものだ。我輩が本当にいなくなるわけではない」
「ほんとうに?」
「そうだ。疑うのか? 我輩はどこへも行かぬ。お前が望む限り、ここはお前の家で我輩はお前の兄だ」
やや興奮気味のリヒテンシュタインを宥めるように、ゆっくりとした口調でスイスは言葉を紡ぐ。
「では私も。……私も、ずっと兄さまの妹です。お側にいさせてください。どこへも参りません」
思い詰めたように、リヒテンシュタインは言い放つ。
スイスは目を見開いた。
嘘ではない。リヒテンシュタインが望む限り、ここは二人の家。そして自分は兄であり続ける。
だがリヒテンシュタイン自身が他の場所に新たな家を求めるなら、それを引き止めるような真似はすまいと心に決めていた。そうしなければならないと思った。
それが兄である自分の責務だ。
同じように、リヒテンシュタインも妹である自らのことを考え、その思いを口にしている。
「そうか。……お前がそうしたいなら、好きにするとよい」
スイスの消極的かつ不器用な応えにもリヒテンシュタインは負けず、どんどん側近くへ近づいていく。
いつの間にか隣に来ていた優しい気配を感じつつ、スイスは視線を落とし、顔を伏せがちにしてしまう。
「兄さま」
リヒテンシュタインはソファの肘置きへ軽く腰を下ろし、腕を伸ばした。スイスの頭を胸元へ抱き寄せるようにして、少しためらいがちに身を寄せる。
「来年も、再来年も私とこうして踊ってくださいまし。ここで充分ですから、どこへも行かずに、ここで」
スイスは逆らわなかった。リヒテンシュタインの薄い胸元が上下している。軽く触れた髪に耳元に伝わってくる。
身体の中へ封じ込めている苛立ちも焦燥も溶け落ち、どこかへ流れ出てしまったような心地がした。
柔らかな声は、未来への不安へ瞼を閉じる勇気を与えてくれる。スイスはリヒテンシュタインの腰へ片腕を回し、愛しい気配を味わい尽くすように抱き寄せた。
「お前がそう望むなら。……いや、我輩も、そうであればうれしいと思う」
少しばかり気後れした風に言いよどみ、それでもスイスは言葉を惜しまなかった。
顔を上げると、泣き出しそうな、はにかんだような笑顔のリヒテンシュタインがいた。スイスは目を細め、白い頬へ指先を滑らせる。
「約束しよう。来年も新しいドレスをあつらえよう。ここで共に踊ろう」
リヒテンシュタインが見せる豊穣の笑顔が、スイスを包み込んでいく。
「誕生日おめでとう、リヒテン」
外の雨は雨はいつの間にか上がっていた。
邸内からはまたワルツの音色が流れ出す。そして、重なる二つのシルエットが滑るように再び動き始めた。