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お待ちかねの悪意

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 夕食時に差し掛かって、駅にほど近いファミリーレストランは、それなりの混雑を見せていた。ほぼ満席のテーブルの間を、アルバイトらしき若いウェイトレスが、コーヒーサーバーを片手に練り歩く。
「どうもありがとう、助かったよ」
 ざわめく店内で、それは特別大きな声ではなかった。しかし、良く透る声質で、抑揚が印象的に響いた。ウェイトレスが、視線だけで声の持ち主を伺う。声を発した男は、ウェイトレスからは見えない位置に座っていた。ウェイトレスは視線を逸らし、目の前のテーブルに声をかける。
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」
 男の二つ手前の席に座っていたのは、二人の少女だった。店から程近い中学校の制服だ。この店は、安価な価格帯と親しみやすい雰囲気で、学生が喫茶店代わりに利用することも珍しくない。特におかわり無料のコーヒーは、学生の間で定番だった。
「あ、お願いしまーす!」
 片方の少女が、明るい声を上げてコーヒーカップをウェイトレスの前へ寄せた。
「お願いします……」
 もう一人の少女も、遠慮がちにコーヒーカップをその横に並べる。
 二人の少女は雰囲気こそ違えど、どちらも美少女と言って差し支えなかった。周囲の客から時折視線を寄せられているが、二人とも気付いていない様子だった。
 ウェイトレスがコーヒーを注ぐ間も、少女達は会話を続ける。
「だからね、来良にしようよ。近いし、共学だし、私服オッケーだし」
 快活そうな少女の口から、近隣の高校の名が告げられる。テーブルの上に、進路希望調査書が並べられているのを、ウェイトレスは盗み見た。
「……本当にいいの? もっといい学校にも行けるんじゃ」
 もう一人、こちらはやや大人しそうな少女が、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「やだやだ! 皆そう言うけど、女子高ばっかじゃん! 私は共学がいいの!」
 駄々を捏ねるような甘えた口調で、快活そうな少女が訴えた。その声が甲高く響いて、周囲の客の視線が集まる。
「どうぞごゆっくり」
 ウェイトレスはコーヒーを注ぎ終えると、定番の台詞を残してテーブルを離れた。
「共学だったら公立もあるよ」
「……だって、制服がダサいんだもん」
 ウェイトレスはその前の席を伺う。テーブルにコーヒーカップが無いことを確認すると、さらにその前の席、先ほどの声の持ち主のテーブルへと近付いた。
「別にいいんですけど、こんなん調べてどうするんです?」
 先ほどの男と対面して座っている男が、口を開いた。長めの髪が表情を隠していて、地味な雰囲気だ。俯きがちで顔は分からないが、声からするとかなり若いようだった。大学生か、もしかしたら高校生かもしれない。
「あぁ、これは仕事というより、俺の趣味の範疇だよ。未来への投資でもあるね」
 先ほどの男が、ひらひらと大判の封筒を振りながら言った。やはり、不思議な抑揚だった。かと言って、訛っているわけでもない。どうやら発声に癖があるようだ。語尾で僅かに吐息が抜ける。
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」
 ウェイトレスが、男二人のテーブルに声をかけた。そこで初めて、ウェイトレスは声の持ち主の顔を視界に映した。そして、軽く目を瞠る。
 その男は、かなり整った容貌をしていた。決して派手な顔立ちではないが、俳優やモデルと比較しても、何ら遜色無いだろう。細身の体格と癖の無い顔立ちで、どちらかというとモデルを連想させた。真上からの照明を受けて、頬に睫の影が落ちている。
「おっと、お願いします」
 ウェイトレスは、その男の声で、はっと我に返った。すぐに平静を取り戻し、寄せられたコーヒーカップにコーヒーを注ぐ。
「相変わらず、良く分からない人っすね」
 地味な男は、ぼそぼそと喋りながら、メロンソーダのストローに口を付けた。ストローの飲み口は、噛み潰されてガタガタになっている。
「そう? 君も相変わらず、変わってるねぇ。友達とか居ないんじゃない?」
 無神経な男の発言を受けて、地味な男はストローに口を付けたまま眼前の男を睨んだ。
「怒った? ごめんごめん」
 気のない謝罪を口にする男の年齢は判然としないが、話し振りからするともう一人の男より年上のようだ。からからと笑う男の前にコーヒーカップを差し出し、ウェイトレスは丁寧に頭を下げた。
「どうぞごゆっくり」
 ウエイトレスがテーブルを離れるにつれて、男達の話し声は埋没していく。
「でも、これ、そんなに興味があるなら、現地に行った方がいいんじゃないですか?」
「いや、いいんだ。必要な情報は、これで事足りる」
 ようやく店内を一周し終えたウェイトレスだったが、不意に奥の席の客に呼び止められて立ち止まった。ウェイトレスはコーヒーサーバーをキッチンに返すと、来た道を早足に、しかし走らぬ程度の速さで引き返す。
「上手く行けば、向こうからこっちに飛び込んでくるさ」
 遠ざかった声がまた近付く。男達のテーブルを通り過ぎ、少女達のテーブルへ差し掛かった。
「ね? 一緒に高校行こうよ、杏里ちゃん」
 大人しそうな少女が僅かに頷くのを視界の端で捉え、ウェイトレスは少女達のテーブルを通り過ぎた。そうして呼ばれた席へ辿りつくと、定型文を口上した。
「いらっしゃいませ。ご注文お伺い致します」



作品名:お待ちかねの悪意 作家名:窓子