お待ちかねの悪意
自宅兼事務所のマンションに帰宅して、臨也はすぐにパソコンの電源を入れた。立ち上がるのを待つ間に、大判の封筒をデスクに投げ出し、コートをハンガーにかける。すぐにデスクに戻ろうとした臨也だったが、数歩で後戻りし、コートのポケットを探った。取り出したのは、駅前で受け取ったUSBメモリだ。猫のシルエットを模したそれに、臨也はふと目元を緩めた。
ひとまずそれを手元に置いて、臨也はメールや諸々のアカウントのチェックを行う。そして、とあるページにメッセージが届いているのを見つけて、大きく目を瞠った。
『こんにちは。突然のメッセージだったので、返事をするかどうか迷いました。どうして私に?』
臨也は数日前、とあるSNSのユーザーにメッセージを送っていた。メッセージを送ってから数日放置されていたので、てっきり無視されたものだと思っていた。メッセージの発信時刻はついさっきだ。臨也は口笛を吹いてキーボードに向かう。
『ロム専の人って、どんな人なのかなーと思って。ちょっとした好奇心です』
送信ボタンを押すと、臨也はUSBメモリを確認し始めた。中に入っていたのは、コピーペーストされただけの、ごちゃごちゃと見辛いテキストファイルだった。ひたすら軽い文章で雑談が綴られているそれは、どこかのチャットのログのようだ。
しばらくすると、メッセージの到着を知らせる効果音が響いた。チャットのログを読んでいた臨也は、堪えきれないように笑みを零す。
『貴方だってロム専じゃないですか。私は興味を惹かれるような、面白い人間ではありませんよ』
「いやいや、ご謙遜を」
独り言を漏らしながら、臨也は素っ気無い文面を見つめた。
『そうですか? こんなメッセージに返信する時点で、面白い人だと思いますよ?』
臨也は返信を送ると、チャットのログの続きを目で追う。登場人物はずっと二人だけだ。
「今時僕ってのも珍しいな……」
臨也が独り言を呟いていると、先ほどよりも早く返信が届いた。
『返すだけならタダですから』
『メッセージ送るのだってタダですよ』
今度は、ファミレスで入手した大判の封筒を開けた。数枚の書類を引っ張り出すと、背もたれに体を預けて目を通す。そのうちの一枚はやや分厚く、写真がいくつかプリントアウトされていた。古いデジカメや携帯のカメラで取られたものだろう。解像度が荒い。臨也はその一番下に、今日会ったばかりの人物を見つけた。面影の残る幼い顔をなぞると、唇の端を吊り上げる。
「のどかだねぇ。……楽しそう」
数人の子供達が土手で遊んでいる写真は、都会に住む人間の目にはノスタルジックに映った。臨也は、その光景がもはや失われてしまったことを知っている。
『それもそうですね。なんというか、珍しい人ですね』
『お互い様ですよ。私達、結構似たもの同士じゃないですか?』
写真は時間軸順らしく、一番上が一番新しいようだ。一番上には、学生服を着た少年が写っている。全ての写真に共通して映っている少年は、まだ多分に幼さを残していた。三年以上前と思われる一番下の写真と比べても、あまり変わっていない。だからこそ、年代に限らず大きく写っている写真を選んであるのだろう。少年は、率先して写真に写りたがるようには見えない。
『私はそんなにアグレッシブじゃありません』
『あらやだ、いけずですねぇ』
臨也は封筒をひっくり返し、底に入っていたCD-ROMを取り出した。それを、今使っているのとは別の、小型のノートパソコンで読み込む。それはネットには繋がっていない、人から受け取った情報を確認するためだけのサブPCだ。今までにそんなことは一度も無いが、万が一ウイルスなどを仕込まれていてはたまらない。USBをメインに挿したのは、相手にそんな技術が無いことを知っていたからだ。
『いけずって……もしかして、年配の方なんですか』
『やだなぁ、リバイバルブームですよ。私はナウでヤングです』
ノートパソコンにびっしりと表示される情報を見分すると、臨也は思わず膝を打った。
「何が現地へ行け、だ。あの朴念仁め! 報酬を弾んでやらないといけないな」
臨也は椅子ごとくるりと一回転した。CD-ROMの中には、目的の人物やその家族だけでなく、どうやって調べたのか担任の教師の情報まで、びっしり詰まっていた。
「でも、ここまでされると足が付くのが怖いな。便利だから、捕まったら困るんだけど」
臨也はふと、真面目な顔で考え込んだ。
『ナウでヤングって何ですか』
そうしているうちに、再びメッセージを受信する。臨也は姿勢を正し、ディスプレイに向かった。
「しばらく仕事頼む予定も無いし、まぁいっか」
すぐに思考を切り替え、返信を打ち込む。
『ゆとり教育だってこのぐらい習いますよ?』
『すみません。ただのツッコミです』
律儀に返ってくるメッセージを愛おしげに眺めながら、臨也はキーボードを叩いて送信ボタンを押した。
『ツッコミ? 田中太郎さんって、関西の人ですか?』
臨也は勢いをつけて席を立つと、キッチンへ足を運んだ。冷蔵庫の中にあった缶チューハイを取り出し、プルトップを開ける。
「同じ穴の狢……いや、類は友を呼ぶ、かな? こんな偶然って無いよねぇ」
臨也は上機嫌で祝杯を上げる。窓の外はもうすっかり夜が更けていた。
幾多の照明に照らされて、都会の夜は不気味な色に染まっていた。