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【跑時候的王耀】本編準備号

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 仄かに蒼み掛かった月色の瞳がきれいで、吸い寄せられるように目が離せなくなる。このままいつまでも見詰めていられると思った。例え魂を抜き取られてしまったとしても気付かなかったかも知れない。
 天空から地上に移ろい落ちてきた朧月の瞳に魅入られるように、菊の双眸がゆっくりと漆黒から付き色に侵蝕されようとした、その時だった。
 ふと後方から誰かが自分の名を呼んでいる事に気付いた菊は、ハッと我に返って視線の呪縛から逃れ、弾かれたように顔を上げた。ジッと聞き耳を立てて周囲の気配を探る小動物のように神経を研ぎ澄ませると、聞き覚えのある声は森の入り口の方からだんだんと近付いて来ているようだった。
 直ぐにきくー、きーくー、何処あるかー、という呼号が菊の耳に飛び込んでくる。
「にーに!」
 今度こそ聞き間違えたりはしない。大好きな耀が自分の名を呼んでいるのだと知って、一気に嬉しい気持ちが駆け上がった。笑顔が弾けて顔中に広がり、バッと勢い良く後方へと振り返る。
「ヤオが呼んでいるね」
 音も無く青年が立ち上がった気配を知り、再びふわりと頭の天辺に掌が被さるのを感じた。
 ヤオ、と兄の名を呼ぶ青年の声の響きに、何か感慨深い複雑な心境のようなものを感じたけれど、鑑みる対象も無いので問い質す事は出来なかった。淡く降り注ぐ月光のように儚く寂しい印象を受ける青年の髪を梳く指先は何処までも優しくて、兄に負けず劣らずの溢れんばかりの慈しみに満ちている。
「もう、お帰り」
 ふっと髪先に感じていた指先の感触が消えたかと思うと、間を置かずに周囲の空気がぶれて一陣の風が舞い上がった。まさかと思い振り返ると、案の定、もう其処に青年の姿は無かった。風が止むのと同時に、神隠しにでも遭ったかのように忽然と消失していたのだ。
 行ってしまった、と漠然とした胸の内で思った。彼は彼の棲むべき本来の場所に還って行ったのだと。
 深い事情は何も知らなかったけれど、彼が自分と同じ次元に生きている存在では無いと言う事だけは本能で察知していた。恐らくは、とても、とても遠い、気が遠くなるほどの悠遠の彼方から遣って来た人なのだと言う事も。
 青年の触れていた耳の横の辺りが、やけに熱く火照っている。
 兄と良く似た美しい人の喪失した後には、怖い位に大きく丸く夜空に滲んだ蒼月だけが残っていた。
「きく!」
 しばし時の経過を忘れて呆然と月を見上げていると、いつの間にか直ぐ傍まで走り寄っていた耀の紅い民族服の腕がにゅっと目の前に伸びてきた。あ、と思った時には抱き竦められており、いつものお日様と同じにおいのする大好きな兄の腕の中に閉じ込められていた。
「にーに」
「菊、やっと見つけたあるよ」
 ぎゅうっと一度だけ強く抱擁した背中を名残惜しげに離して、耀はホッとした様子で指先を伸ばし、幼い弟の丸みの残った薄紅色の頬に触れる。
「全く、心配したある。一人で勝手に行っちゃだめあるよ」
 説教好きの兄らしくグチグチと文句を垂れ流すも、抱き締められた腕の強さで彼がどれだけ心配して探し回ってくれたがを知ったから、申し訳無い気持ちで一杯になった。無事この腕の中に戻って来てくれて良かったと安堵を漏らす代わりに、照れ隠しで叱っているのだと解かるので余計だ。菊はごめんなさいの気持ちを込めて、ぽふんと兄の腰元に抱き着いた。
「菊?」
 小さな掌で必死で縋り付いてくる幼い弟に俄かに驚き、兄は小さく目を瞠る。普段、とても大人びてしっかりしている彼が、久しぶりに甘えるような仕草を見せている事に耀は口元を綻ばせた。
「どうしたね。独りで怖かったある?」
「…………」
 独りでは無くて、にーにとそっくりの顔を持った知らない男の人と一緒に居たのだけれど、何故だろう。孤独よりもずっと強い寂寞の気持ちが菊の小さな胸を支配していた。どうしてこんなに息苦しいのか、何故こんなに切なくて堪らない気持ちになるのか、まるで触れられた指先を通して、あの青年の静かな面持ちに秘められた哀切が自分の中にも流れ込んで来たかのようだった。
 だけどその気持ちを兄に説明するだけの語彙は持っておらず、又何となく言ってはいけない事のような気もして、伝えられない言葉が身体の中で膨れ上がり、得体の知れないの罪悪感となってズキズキと胸を疼かせていた。
「にーにが来たから、大丈夫あるよ」
 肩を抱いてくれる掌の温かさと優しさに、良心の呵責は一層強く菊を苛むようになる。心の疼痛を打ち消したくて、菊は懸命に兄へとしがみ付いた。
 いけない事だとは解かっていた。正体不明の畏怖の気持ちも、其れが原因となって大好きな耀を哀しませてしまうかも知れないと言う不安も、胸の中に巣食う本物の気持ちだった。だけど、叶うならばもう一度逢ってみたい。そう逸る心をどうしても偽る事が出来ないのだ。
 月の袂で出逢った、あの儚い人に、再び邂逅する事は出来るだろうか。
 優しい兄の腕に包まれながら、菊の小さな胸の鼓動はトクトクと切ない心音を奏でていた。