温かい胸
静雄の肌は、大抵いつも温かい。
真冬の時の指先や強い冷房に長く当たっていた時などは別だけれど、それ以外の時は大抵いつも触れたトムがびっくりするほど温かかった。
なだらかで柔らかみのない胸を、手のひらで撫でる。ぷつりと尖った乳首を指先でこねるように弄ると、静雄は低くくぐもったような声で微かにうめいた。
この声にも随分慣れた。
どこからどう聞いたって男の声なのに、少し堪えるように語尾が掠れる所が妙に色っぽいなと思う。そそられるし、興奮もする。ほんの一年程前までの自分からは考えられない事だった。男の声を聞いて欲情するなんて、有り得ない事だと今でも思うくらいなのに。
これがあれかね、愛ってやつなのかね、などと思いながら、トムは静雄の肌を飽かず撫で回した。腹も、胸も、太股も、矢張りどこを撫でても温かい。とりわけ、胸の辺りの温かさにいつも不思議な感覚を覚えた。
ああそうか、女の胸は冷たいんだった。
不意にそう思い付き、途端に深く納得した。
静雄の温かい胸を探る時、トムはいつも無意識のうちに女のそれと比べてしまっていたのだ。女のあの柔らかくて冷たい胸と、静雄の硬く温かい胸とでは全く別物だった。探り、弄り、舐めて返ってくる反応は同じでも、触れている感触が全く違う。
その体質のせいもあって、静雄の身体にはほとんど脂肪というものがついていなかった。筋肉は温かく、脂肪は冷たいのだと聞いた事がある。静雄の身体が温かく、女の胸が冷たいのはそういう理由からだろう。
ふと、よからぬ欲求が湧いた。
その欲求に、理性のような部分がやめとけよと冷静な声で囁いている。だがそれをいつものように黙殺するには、今日のトムは少々アルコールが回りすぎていた。いや、理性がなくなる程酔っているわけではないのだけれど、酔っているという事を理由に少し酷い言葉をぶつけてしまいたくなる程には酔っていたのだ。
静雄の胸をまさぐりながら、口を開く。
「お前の胸、いつも温けェよな」
きゅ、と乳首を摘まれ、ひくりを身を竦ませた静雄が、その言葉にゆるゆると瞼を開く。どんな表情の変化も見逃さないようにと、トムはじっとその目を見つめ返した。
「………ほら、女の胸って冷てェだろ。なんつーか、全然違うんだよな」
さて、どんな顔をするか。
おかしな期待を抱いてそう言ったトムは、だがあっさりと肩透かしを食らう事になった。少しも表情を動かさないままの静雄が、そうなんすか、と変に感心したような声で呟いたのだ。
「女の胸とか触った事ねェんで、知らなかったっす。女の胸ってあれ、冷たいんすか」
見た感じ温かそうなのに違うんすね、などといつもと変わりのない声で言われ、何となくがくりと肩を落としたくなる。
なんでこいつはこうなんだろう。
それがほぼ言いがかりに近い事だなんてのは勿論わかっている。でもやっぱりこういう場合、セオリーとして少しくらいは嫉妬して欲しいものじゃないか。
静雄には、恋愛事のセオリーなど一切通用しなかった。それどころか、自分達の関係性が彼の中できちんと恋愛になっているのか、それすらも時々疑わしく思ってしまうくらいだった。
勿論今のように男同士でもする事はしているし、二人で過ごす時間も当然のように多かった。それでも、時々確かめたくなってしまうのだ。俺達ってちゃんと付き合ってるんだよな、と声に出して聞いてみたくなる。なんというか、あまりにも静雄が静雄のまま変わらずにいるものだから、自分だけが大いなる勘違いをしているような気にさせられるのだ。
無言の意趣返しのように、トムは少しだけ酷く静雄を抱いた。いつもよりほんのちょっとだけ荒っぽく動くトムに、だが矢張り静雄は何も言わないのだろう。そう思うと何だか無性に悔しいような、悲しいような、複雑な感情が胸に湧いてくる。いつから自分達の天秤は狂ってしまったのだろう。
静雄とトムがこんな関係にまで発展したのは、静雄が自分の気持ちを自覚したのが切欠だった。ある日突然、静雄が言ったのだ。
昨夜ちょっと色々考えててわかった事なんすけど、どうも俺、トムさんの事好きみてェなんすよね。キモくねェっすか、これって。
珍しくふざけているのかと思いきや、静雄の表情は真剣そのものだった。真剣に、少し困っている、といった顔でそう言っていたのだ。
なので、トムはそれに笑ったり誤魔化したりする事無く、真剣に向き合ってみた。結果、今現在こんな関係に落ち着いてしまっているわけである。
彼がトムを好きだというのは、多分本当の事なのだろう。好かれている自覚も、勿論ある。なのにそれでも時々大人げない手を使って確かめたくなってしまうのは、静雄があまりにも普通すぎるからだった。
ただの後輩だった時から、何一つ静雄の態度は変わらない。懐かれているなとは思うものの、恋人に対する甘えのようなものは全く見られなかった。どこかへ行くのも一緒に過ごすのも、いつも誘うのはトムの方からなのだ。
お前ってどっか行きたいとか全然言わねェのな、と聞いてみた事もある。それに彼は、だってトムさんにも都合ってもんがあるじゃないっすか。俺には予定とか別に全然ねェんで、トムさんが暇な時に誘ってもらえりゃそれでいいかなと思って、などと当たり前のような顔をして答えた。
見ようによっては、えらく健気な台詞に聞こえなくもない。だが、聞き方を変えれば酷くドライにも聞こえる台詞だった。
要するに、トムはもう少し静雄に色んなものを欲しがってもらいたいのだ。そのための我が儘や嫉妬なんかも是非見せて欲しいと思っている。それを彼にどう伝えれば良いのかがわからず、度々酒の力を借りるようにして大人げない事をしてしまう自分が情けなかった。あらゆる事に不慣れな彼を愛しいと思っている事は事実なのに、もう少し慣れろよと思ってしまう事もまた事実で。