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好きと言ったら死ぬ病

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 なんとなく。
 きっかけはそう、なんとなく、だ。
 少し前から俺はあいつと付き合い始めた。……いや、たぶん、そうなんだと思う……たぶん。
 ある日の夜、唐突にキスをしてきて、骨が折れるかってほどの力を込めて俺を抱き締めると、『……今日は泊まっていってもいいかい?』なんて、あいつは言った。
 口喧嘩の最中にそんなことを言われた、された俺は、ぽかんと口を開けて青い瞳をまじまじと見つめ返してしまった。
(どういう意味なのか)
 真意を探れなかった。
 いつもなら、泊まると言うならゲストルームの準備をするから勝手に寝ていけばいいとただ思うだけだろう。
 でも、キスとハグとをかまされた後にそんなことを言われると、おかしなことを考えてしまうものだ。
 そしてそれは、現実になった。
 記憶の中のものよりもずっと広く、しっかりした肩にもたれさせたがるあいつに痛い痛いと文句を飛ばすと、舌打ちされた挙句に荷物のように抱き上げられた俺はその後、自分のベッドルームに連れ込まれたのだった。
『なんで、こんなこと……』
『別に……ただ…なんとなく、こうしたくなっただけ』
 なんだそれ、なんとなくって。
 なのに、うろたえながらも、俺は拒めなかった。
 異常な事態、そして羞恥と陶酔とに呑まれることを恐れたのははじめのうちだけ。
 いつしか肌に這う手を歓迎していた、情熱的な唇に応えていた、朝まで甘ったるい泣き声を上げ続けた。
 あいつが普段ずっと身に着けている冷たいドッグタグが、ふたりの間で熱を上げていくのが妙にリアルだった。
 翌朝。
 しわくちゃになったシーツにくるまれて目覚めた俺を、拒絶を拒絶する力強い目が見るなり。
『君はもう、俺のなんだぞ』
 ずっとすすり泣いていたせいで火照り、腫れぼったい瞼をうまく持ち上げられなかった。
『……ん…』
 意識を失ってもあいつは許してくれなくて、だからひどく疲れていて、うとうとしていたのがいけなかった。あろうことか、俺は頷いてしまったのだ。
 子供みたいな素直な声で返事をすると、髪を梳いていた手がふるっと揺れた気がしたけれど、意識はそのままとろりとした眠りの中に引き込まれていき――
「おい、寄るな暑苦しい」
「君ひどいな!」
 今に至るのだが。
 それ以来、俺はアメリカのスケジュールに付き合うことを義務づけられていた。
 アメリカは勝手に俺の手帳に予定を書き込んでいく。この日は映画を見にいって、この日は君んちでごろごろして。そんなふうに、俺の都合など聞きもしないで自分がやりたいことを書き足していく。
 目立つ色で追加される予定――強制されているにも関わらず、俺はそれを受け入れる。
 どうしても無理な場合はさすがに言うけれど、特になにもない今日みたいな日には、大西洋を越えてくる……恋人? を、迎え入れる。
 ……不安じゃないときなんて。
(いつまで続くんだろう)
 ままごとみたいな――やることはやってるが――この、ごっこ遊びは。
 こんな不安定な関係がいつまでも続くわけがない。最近シングルで寂しいとかなんとか、初めて体を繋げた日の昼間に言っていたアメリカはただ、こういう危なっかしいこともして遊びたいだけなのかもしれないなとさえ思っている。
 シングルで、溜まっていて、たまたまそこにいたのが俺だったから、ちょっかいを出してみたとか。
(俺のことは多少荒っぽく扱ってもいいと考えてる節があるしな、こいつは)
 それに甘んじる自分もどうかと呆れながらも、俺たちはこうして。
「イギリス」
 ソファに座って本を読む俺に覆い被さる形で、アメリカが不意に唇を寄せてきた。
 背もたれに手をかけ、膝を俺の脚の間に乗せてまでキスを仕掛けてくる。カシャンとテキサスがぶつかった。
 ずれて浮き上がったガラス越しに存在する青は、どうなんだろうな、その奥はどうなってる? なにを考えてる?
(……おまえは、俺のことどう思ってるんだよ?)
 優しく吸い上げられて、睫が震う。
(もうだめだ)
 だって、俺は、おまえのこと――
 ばさっと落ちていった本を拾うこともせずに、平坦に問うた。
「おまえ、なんで俺にキスするんだ」
 もう無理だ――苦しい、切ない、俺はどうしたってこいつから離れられないのだとわかってしまった、でもこいつはきっと違って、だから戯れにこんなことをして。
(俺のどこもかしこもがおまえに触れたがっている)
 キスじゃ足りない、セックスしても足りない、どうしてこんなに寂しがっているのかは自分でもわからない、けれど、けれど。
(でも、おまえは、違うんだよな)
 その温度差に、近ごろ限界を覚えていた。“なんとなく”という気安さで続けるにしては、色が付きすぎている関係。
 俺はアメリカには好かれていないと思っている。……好かれていたなら、だって、こんな始まり方をするわけがない。
 体から始まるなんてこと――しかも男相手に――あるはずがないだろう。潔癖なアメリカに限って。
「わかんねえよ……もういやだ…、いやだ、こんなのは」
 重い言葉を紡ぐのを、濡れた唇は本当は億劫がっていた。
 たったいま確かに熱を分け合ったのに、その幸福にすらもはや耐えきれず、苦痛を訴えることを選んだ俺の声は冷淡さを保ってしんとした部屋に沈む。
 アメリカはぴたりと動きを止めた。
 どうせまた、“なんとなく”しか返ってこないんだろうなと、なんの期待もせずに肩越しの風景を眺める。
 拒否できずにいる自分も悪いということ、自分は本音を言わないのに相手に言わせようとするずるさもわかっていての問いかけに、しばらく沈黙が続いた。
(答えにくいのか)
 それにしても、なんかぷるぷるしてるのは、なんでだ?
「そんなの……す…、」
「す?」
「す、す……すっ……」
 なぜだか耳まで赤く染め、やたらと『す』を言いまくるアメリカに、シリアスな思考が薄れていく。
 どうしたんだと心配してしまう。言いよどむなんて単細胞なおまえには向いてねえよ、「うるさいんだぞ!」、ああはいはい悪かったな。
 言いかけてはやめる、その繰り返し。
 やがて諦めたらしく、アメリカは開き直ったようにキッと目を吊り上げて。
「あああもうっ、今さら君なんかに甘いこと言えるわけ、ないじゃないか!」
「えっ……」
 甘いこと言おうとしてたのかよ。
「なんかまた勝手に落ち込んでたみたいだけどさ、じゃあ君は言えるの? 俺をどう思ってるのかって」
 君だって言ったことないだろうと、アメリカはやや恨めしげに俺を睨んでくる。
 どきっとして視線を逸らす。それは、だってええと、言っていいものなのか迷ってたせいでだな……。
「俺は、ほら当然だろ、す……、す、あれ?」
 ……言える、はずだった。そんなこと簡単に。昔は何度も言ってたし、わけがないって。
 さらりと伝えられるはずだと思っていた唇はけれど、わなわなと震えるばかりで、こんな短いセンテンスもひねり出せない。
 代わりに顔がぐんぐんと熱くなっていって。
(こいつ、俺のこと、)
 ちゃんと想っていてくれたのかという感動と、セフレじゃなかったんだという安堵が一緒くたになって俺を包む。
作品名:好きと言ったら死ぬ病 作家名:初音