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安達が原

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辰馬の声は優しい。いつだって優しげなものの言い方をする。激昂するなど殆ど見たことが無い。
歩けるぜよ、と言ったが辰馬はどういうわけか笑い、おんしゃァ、ちくと熱があるぜよ、そう言った。お前の手が冷たいからそう感じるのだろう、反論したが辰馬は何度もぬくいぬくいと言って聞かない。片手は目を覆ったまま、空いた片手で肩を胸に引き寄せた。まっことぬくいと、繰り返す。
「ほれに、ワシも早よう風呂入って蒲団で寝たいしのォ」
背中で初めに微かに笑うような声がして、それから続けて陽気に言うと不意に手を離した。一瞬眩しくて目を眇める。辰馬はすっくと立ち上がると、背に負っていた荷を解き頼むと此方へ押し付けた。本当に背負う気だ。
熱など無い。ただそう言わせたのは、恐らく自分だ。足が痛そうだから背負ってやるなどと言われれば、意固地になって歩くと言い張るだろう。方便だと判っていてもそれを問い質す事はしなかった。ただ、悪かったぜよと一言謝っただけである。
一里も無い道のりを歩く。夜の迫る夕闇だ。彼ハ誰の宵闇。足の肉刺を潰したくらいで背負って貰っては、この先務まらぬと陸奥は思った。わが身にこれから圧し掛かるであろう荷の重さをはかりながら、陸奥はこの道程のことを思い返す。
口では威勢よく偉そうな事を言いながら、復路での醜態はこれで二度目だ。いや、三度目か。一度目は脱水症状で倒れ、辰馬に背負われて峠を越えた。二度目は仮初の宿に着いたあと、記憶が無い。三度目がこれだ。
呆れ果てたのではないだろうか。背負われながら、それでも自分が歩くよりは速い速度で歩む辰馬に酷く申し訳ない気持ちになる。この旅も、独りで行けば半分の時間で済んだのではないのか。いやきっと、そこまで考えたとき、辰馬が口を開いた。
「陸奥よ」
辰馬は酷く明瞭な声で明るく言った。
「近い将来、この道にも鉄道が走る」
陸路を人の歩く速度の何十倍の速さで、他人が背負う量の満十倍の荷を積んで行き交うことが可能になる。今は海路の輸送が大量輸送の担い手だが、恐らく数年で逆転する。さらに飛行機が飛び、船は宙を走り、一日で日本の最南端から最北端まで到達できる。機械が人に代わって勘定して、どんどん世の中便利になる。
「徒歩で旅するようなことはもう無くなるきィ」
街道の道を辰馬の足は踏みしめる。一歩一歩、歩みながら。今出来ることをやったらえぇがじゃ、今は力をためりゃぁえぇ、言い聞かせるように笑った。西の空に沈んだ太陽のように、明るく陽気で、朗らかな声で。
「今度は肉刺より、目が悪ぅなるのを心配せにゃぁな」
辰馬は陽気に言う。夜の虹のことを聞きそびれた。いまや遠ざかる虹を横目でちらりと見た。虹は、もううっすらと脚のほうが見えるばかりだ。あんなに美しくアーチを描いていたのに。

虹を見てはならぬと言った。
夜の虹は、人が死ぬという。

私には見えなかった。見える筈無かった。
辰馬が何を見ていたのか。
見えるものなど無かった。
虹は、龍とも言われるし、この世と此の世ならざる場所を結ぶと言う。夜に掛かる虹の袂で見送ったのだろうか。戦友たちを。此の世ならざる場所へと、とぼとぼと歩く同胞達を。
『虹を見てはならぬ』

夕闇の虹、見ちゃァいかんと目を塞がれる。

陸奥はそっと目をふせた。
辰馬の背に負ぶわれながら、首に回した腕に顔を伏せた。


虹を見てはならぬ。
夜の虹は人が死ぬ。

目を塞げ。
頼むから、もう塞いでおくれ。

此の世ならざる場所へと、とぼとぼと歩く同胞達を。
見送ることは、もうない。



けれども、もしも。それでも、もしも。

お前が次に誰かを見送ることがあるならば、私も同じ場所で見送ろう。そうだ、お前をひとりにはさせぬ。必要ならば目を覆い、嗚咽を噛み殺せるように、膝を、肩を貸してやろう。
夜目の利かぬお前の為に、私が最後の一人まで見送ってやる。涙でにじむその背中を、最後の一つまで見送り、見届け、祈ってやる。

ああ、見送らせるものか。
夜の虹のふもと、消えかかる虹脚の向こう側。

それは私が見る。
私が見送る。
夜目の利かぬお前に代わって、私が。


必ずだ。
約束する。


お前は目を塞げ。
夜の虹を、ひとりで見送ることはさせない。
作品名:安達が原 作家名:クレユキ