夢見の唄02
「迎えに行けばよかったですね」
出迎えてくれた四木さんは僕の姿を見るなり、苦笑しながらそう言った。一応タオルで申し訳程度に拭った僕の全身は未だ余すことなく濡れていて、水滴を散らしながら僕は首を横に振る。
「い、いえ、そこまでしてもらわなくても、」
「次回からは車を出します。さ、中へどうぞ」
大丈夫ですよ、そう続くはずだった言葉は華麗に遮られ、四木さんは濡れた僕の腕を取って室内へと招いた。そのまま肩を抱かれるようにしてすぐさまバスルームへ直行される。
「あ、あの、」
「そんな格好では風邪をひきます。まずは温まってきて、それから私の相手をして下さい」
「あ……はい。すいません……」
申し訳なくて俯くと、四木さんは僕の前髪に軽く触れてからバスルームを出ていく。脱衣所に取り残された僕はせめて四木さんを待たせる時間を短縮しようと、慌てて制服を脱ぎ始めた。
正直に告白しようと思う。僕は一つ、臨也さんに嘘をついた。
一カ月ほど前に携帯が繋がらなかった理由は手違いだと言ったけど、実は違う。その時僕はネットも繋がらなくて趣味であったネットサーフィンが出来ない事に大いに落ち込むよりも、さらに深刻な問題を抱えていた。その深刻な問題が、携帯やネットが繋がらなかった、いや、繋げられなかった理由でもある。
正直に告白しよう。一か月前、僕はびっくりする程、金が無かった。
携帯やネットは使用料の支払いが出来なくなって回線を切られてしまったため、繋げたくてもそれが出来なかったのだ。しかし一か月前の僕は携帯とかパソコンとか、そう言った娯楽的な要素の心配をする余裕は皆無であり、つまりは本気の本気で金欠状態であり、比喩的な表現でも誇張でも無く、本気の本気で食べる物にも困っていた。人生であそこまで焦った事は今までの経験上なかった気がする。
そんな最低限の生活費もままならなくなる程の金欠に陥った原因は、まあ一言で言うなら不運の事故であり、言いかえるならば世の中の不条理という奴だ。
恥ずかしい話、カツアゲに遭ったのだ。それで金を巻き上げられた。しかも丁度バイト代やら何やらでいつもより多めに金銭を所持していたのが大いなる痛手だ。生活費に充てようと工面していた金は全て名も知らない人間に奪われてしまったのだ。
そして不幸というか悪い事は続くもので、小遣い稼ぎとして行っていたネットビジネスの仕事にも失敗してしまい、収入を得る事が出来なくなったのだ。
学費だけは親から仕送りしてもらっているからなんとか学校には行けたが、学校に行っている場合ではないくらい、本格的な窮地だった。ピンチだった。まさに崖っぷちだった。焦りと混乱でどうすればいいのかも分からず僕にはただ途方に暮れるしか術はなかった。
四木さんから声をかけられたのは、そんな折だ。
つまりは、まあ、その、愛人関係、って奴にならないかっていう、そういう話を持ちかけられた。最初は言ってる意味が理解できなかったけど、僕だって馬鹿なわけじゃない。四木さんの言う愛人関係がどういうものなのかは、時間をかけながらもきちんと理解した。
つまり、えっと、その、か、体の関係というか、そういう感じの関係だ。
それに見合うだけの金はその場で払うから、と言われ、僕は正直とても悩んだ。普段の僕ならばそんな話をまともに取り合う事すらしなかっただろう。四木さんの事をよく知っているわけではないけれど、それでもなんとなくわかる。っていうか見た目とか連れてる人とか車とかそういうので嫌でも分かってしまう。四木さんは俗に言う堅気という種類の人間ではない、危険で危ないまさに非日常の世界側の人間だ。そん人間の愛人になるだなんて、冗談ではなく自分の命が危なくなるだろうという事は理解していた。
理解していたけど、けど、僕にはどうしてもお金が必要だった。このままでは家賃すら払えないし、そうなれば路頭に迷うしかない。他にバイトを探そうにも日払いで払いのいい仕事なんて早々無いし、むしろ四木さんの提案は僕には魅力的すぎた。
四木さんがどういう経緯で僕の事を知り、どういう理由で僕にそんな突拍子もない話を持ちかけてきたのかは、実は未だに分からない事の一つである。
けれど、とりあえず当時の金欠まっただ中だった僕は、危険人物からの突拍子もない提案に、散々悩んだ挙句結局は頷いてしまった。
そうして今に至る。無事お金を得る事が出来た僕は溜めていた使用料や何やらをどうにか支払う事が出来て、何とか火の車状態から抜け出せた。新しくネットビジネスも始め、今では以前と変わらない収入を得る事もできるようになっている。
(でも、何でかなあ……)
シャワーを浴びながら考える。
正直もう四木さんと愛人関係を続ける意味は無いのに、僕はこのバイトを辞められずにいた。別に四木さんから強要されているわけでも強制されているわけでもない。
四木さんはその外見や立場からは想像できないほど、紳士的な人間だった。それに優しい人でもあった。内面が優しいのではなく、外見的な気遣いといった優しさだ。
彼は僕が嫌がる事も僕を傷つける事も極力しなかったし、常に僕に対して気遣いや配慮を見せる。それがおそらく四木さんという人間のデフォルトな姿勢なのだろう。だから、恐らく僕がこのバイトを辞めたいと言い出しても四木さんは引き留めない。怒りもしないだろうし、僕の望みを容認してくれるだろう。
でも、僕は言いだせなかった。ただ一言、辞めたい、というその言葉を。
シャワーのコックを捻ってお湯を止める。軽く頭を振ってバスルームから出ると、バスタオルで乱雑に体の水気を拭った。制服は濡れたままで着れないから、仕方なしに適当に棚に入っていたバスローブを着こむ。四木さんが呼び出しに使用するホテルは常に高級な印象の場所で、棚開ければ必ずと言っていいほどバスローブが入っている、そんなホテルばかりだ。料金はいつも彼が支払っているから相場がどのくらいなのかは、僕の知らないところだけど。
出迎えてくれた四木さんは僕の姿を見るなり、苦笑しながらそう言った。一応タオルで申し訳程度に拭った僕の全身は未だ余すことなく濡れていて、水滴を散らしながら僕は首を横に振る。
「い、いえ、そこまでしてもらわなくても、」
「次回からは車を出します。さ、中へどうぞ」
大丈夫ですよ、そう続くはずだった言葉は華麗に遮られ、四木さんは濡れた僕の腕を取って室内へと招いた。そのまま肩を抱かれるようにしてすぐさまバスルームへ直行される。
「あ、あの、」
「そんな格好では風邪をひきます。まずは温まってきて、それから私の相手をして下さい」
「あ……はい。すいません……」
申し訳なくて俯くと、四木さんは僕の前髪に軽く触れてからバスルームを出ていく。脱衣所に取り残された僕はせめて四木さんを待たせる時間を短縮しようと、慌てて制服を脱ぎ始めた。
正直に告白しようと思う。僕は一つ、臨也さんに嘘をついた。
一カ月ほど前に携帯が繋がらなかった理由は手違いだと言ったけど、実は違う。その時僕はネットも繋がらなくて趣味であったネットサーフィンが出来ない事に大いに落ち込むよりも、さらに深刻な問題を抱えていた。その深刻な問題が、携帯やネットが繋がらなかった、いや、繋げられなかった理由でもある。
正直に告白しよう。一か月前、僕はびっくりする程、金が無かった。
携帯やネットは使用料の支払いが出来なくなって回線を切られてしまったため、繋げたくてもそれが出来なかったのだ。しかし一か月前の僕は携帯とかパソコンとか、そう言った娯楽的な要素の心配をする余裕は皆無であり、つまりは本気の本気で金欠状態であり、比喩的な表現でも誇張でも無く、本気の本気で食べる物にも困っていた。人生であそこまで焦った事は今までの経験上なかった気がする。
そんな最低限の生活費もままならなくなる程の金欠に陥った原因は、まあ一言で言うなら不運の事故であり、言いかえるならば世の中の不条理という奴だ。
恥ずかしい話、カツアゲに遭ったのだ。それで金を巻き上げられた。しかも丁度バイト代やら何やらでいつもより多めに金銭を所持していたのが大いなる痛手だ。生活費に充てようと工面していた金は全て名も知らない人間に奪われてしまったのだ。
そして不幸というか悪い事は続くもので、小遣い稼ぎとして行っていたネットビジネスの仕事にも失敗してしまい、収入を得る事が出来なくなったのだ。
学費だけは親から仕送りしてもらっているからなんとか学校には行けたが、学校に行っている場合ではないくらい、本格的な窮地だった。ピンチだった。まさに崖っぷちだった。焦りと混乱でどうすればいいのかも分からず僕にはただ途方に暮れるしか術はなかった。
四木さんから声をかけられたのは、そんな折だ。
つまりは、まあ、その、愛人関係、って奴にならないかっていう、そういう話を持ちかけられた。最初は言ってる意味が理解できなかったけど、僕だって馬鹿なわけじゃない。四木さんの言う愛人関係がどういうものなのかは、時間をかけながらもきちんと理解した。
つまり、えっと、その、か、体の関係というか、そういう感じの関係だ。
それに見合うだけの金はその場で払うから、と言われ、僕は正直とても悩んだ。普段の僕ならばそんな話をまともに取り合う事すらしなかっただろう。四木さんの事をよく知っているわけではないけれど、それでもなんとなくわかる。っていうか見た目とか連れてる人とか車とかそういうので嫌でも分かってしまう。四木さんは俗に言う堅気という種類の人間ではない、危険で危ないまさに非日常の世界側の人間だ。そん人間の愛人になるだなんて、冗談ではなく自分の命が危なくなるだろうという事は理解していた。
理解していたけど、けど、僕にはどうしてもお金が必要だった。このままでは家賃すら払えないし、そうなれば路頭に迷うしかない。他にバイトを探そうにも日払いで払いのいい仕事なんて早々無いし、むしろ四木さんの提案は僕には魅力的すぎた。
四木さんがどういう経緯で僕の事を知り、どういう理由で僕にそんな突拍子もない話を持ちかけてきたのかは、実は未だに分からない事の一つである。
けれど、とりあえず当時の金欠まっただ中だった僕は、危険人物からの突拍子もない提案に、散々悩んだ挙句結局は頷いてしまった。
そうして今に至る。無事お金を得る事が出来た僕は溜めていた使用料や何やらをどうにか支払う事が出来て、何とか火の車状態から抜け出せた。新しくネットビジネスも始め、今では以前と変わらない収入を得る事もできるようになっている。
(でも、何でかなあ……)
シャワーを浴びながら考える。
正直もう四木さんと愛人関係を続ける意味は無いのに、僕はこのバイトを辞められずにいた。別に四木さんから強要されているわけでも強制されているわけでもない。
四木さんはその外見や立場からは想像できないほど、紳士的な人間だった。それに優しい人でもあった。内面が優しいのではなく、外見的な気遣いといった優しさだ。
彼は僕が嫌がる事も僕を傷つける事も極力しなかったし、常に僕に対して気遣いや配慮を見せる。それがおそらく四木さんという人間のデフォルトな姿勢なのだろう。だから、恐らく僕がこのバイトを辞めたいと言い出しても四木さんは引き留めない。怒りもしないだろうし、僕の望みを容認してくれるだろう。
でも、僕は言いだせなかった。ただ一言、辞めたい、というその言葉を。
シャワーのコックを捻ってお湯を止める。軽く頭を振ってバスルームから出ると、バスタオルで乱雑に体の水気を拭った。制服は濡れたままで着れないから、仕方なしに適当に棚に入っていたバスローブを着こむ。四木さんが呼び出しに使用するホテルは常に高級な印象の場所で、棚開ければ必ずと言っていいほどバスローブが入っている、そんなホテルばかりだ。料金はいつも彼が支払っているから相場がどのくらいなのかは、僕の知らないところだけど。