子猫をお願い
やわらかい風がカーテンをちいさく揺らす。窓から半分だけ見える月が静かに部屋を照らしていた。今夜は虫が鳴いていないなと、夢から三歩手前のところでぼんやりと考える。かんかんかん。外の階段をひっそりと昇る音が響いた。(お隣さん)(今日は仕事遅かったんだな)おつかれさまですおやすみなさい。意識を夢に手渡そうとした時、足音が部屋の前でとまった。しばらくして、そっとドアが開いて閉じた。月明かりは逆光で、真夜中の訪問者は黒い塊だった。それは狭い一間を渡り歩いてくると、断りもなく布団にはいってきた。
「玄関に鍵かけないと、危なくね?」
熱い、でも決して不快ではない体温が体を包む。ほんのすこしだけ海の匂いがした。
「お前鍵持ってないから、かけたら入れないだろ?」
隣の存在をもっと確かなものにしたくて頭を寄せた。触れるところすべての境界があいまいになって、熱が混ざりあう。(言わないといけないことがある)(けどすごく眠い)まあ、明日起きたら言えばいいか。
「おやすみ」
重すぎる目蓋を閉じれば、真っ暗な世界のすぐ近くで返事が聴こえた。その音にひどく安心すると、今度こそ夜に別れを告た。
あの子猫は次の日から見なくなってしまった。