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ネバーエンディング何か(2)

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 夜明け前の寮の玄関は、青白い蛍光灯の下、殊更冷え込んでいた。夜勤の警備員に無理を言って鍵を開けてもらい、始発の動き出した駅へ向かう。
 上野の乗り換え口で一旦躊躇しながらも、何の為に早起きしたのだと己に言い聞かせ、椿は新幹線に乗り込んだ。在来のそれとは違い、するすると滑らかに発車した車内。精一杯の防寒着を解くことなく、椿はハガキを取り出し、子供達の集合写真に添えられた一文を読み返す。
「○○スポーツ少年団としての初蹴り開催は、今年で最後となります」
 少子化の影響で、今年度末をもって少年団の解散が決まったこと。毎年正月恒例の初蹴りも、今年が最後になってしまうこと。ボールペンで淡々と記されたそれを、椿は何度も読み返す。
 大宮を過ぎて、ようやく日の出を迎えた。白ずむ車窓のまばゆさに、椿は思わず目を閉じる。新しい朝だった。

 アスファルトの上、ところどころ雪の残る駅前に下り立った。
 朝早いこともあって、路線バスどころか、タクシーさえもみあたらない。ロータリーに唯一停車していた、温泉旅館のマイクロバスの後部から上がる白い排気を、椿はぼんやり眺めていた。
 着替えの詰まったスポーツバッグを一旦肩からおろし、大きく伸びて深呼吸する。雪の匂いを帯びた独特の冷気が鼻腔に流れ込む。心なしか、少し熱が下がったように思えた。ふしぶしには未だ熱が残っていたものの、東京を出た直後のような倦怠感はなかった。
 ハガキに記された今年の初蹴り会場は、青少年野外活動センターのグラウンド。その方面に向かう時刻表を見ると一時間に一便。路線バスの利用はとても現実的ではなかった。途方に暮れて駅構内とロータリーを二往復ほどした頃、ようやく一台のタクシーがつかまった。
 椿は今まで一人でタクシーに乗車したことがなかった。部活の遠征で分乗したり、誰かと乗り合わせることはあったが、一人では、ない。ガキがタクシー利用なんて生意気な、そう思われやしないだろうか。そんな懸念が椿の中にあったからだ。だが、そんな事に拘っている場面ではない事も、椿は重々理解している。勇気を振り絞って、真っ白いレースのカバーがついた座席へ乗り込み、どもりながら行き先を告げた。

 灰色の雲の切れめに見えた空は、ひたすらに青かった。何台もの自家用車が停まる駐車場を通り抜け、グラウンド入り口にぽつんと設置された来賓受付に向かうと、椿先輩じゃないですか、と名簿を捲る手が止まる。中学の時校庭を共有していたソフトボール部で、とまとめ髪の女性は語るものの、椿の記憶に彼女はない。それでも何か気の利いた返事をしなければ考え込んだものの、着替え場所と試合の開始時刻を告げられ、その機会は失われた。
 着替えを終え、グラウンド脇でストレッチを始める頃には、すっかり日も高くなっていた。ハガキ見てくれたか椿、ちゃんと届いたみたいでよかった。聞き覚えある声。こちらから挨拶に向かうつもりが、先に声を掛けられて椿は恐縮する。写真では変わりなく感じたものの、実際に会ってみると、その頭に増えた白髪であるとか、コーチも確かに年月を重ねていた。
 テレビカメラを携えた一団が、グラウンドの隅に陣取っている。地元のケーブルテレビの取材のようだった。お世辞にも、サッカーが盛んであるとは言い難いこの地域でも、この初蹴りはニュースになるのだろう。或いは長年続いたスポーツ少年団の解散として、伝えられるのかもしれない。
 次の試合、お願いします。おそらくはOBになったばかりであろう、中学生ぐらいの少年に声を掛けられ、椿はスパイクの紐をきつくしめた。ジャージの裾がひんやりと冷たい。口元まで覆うように上げていた、スリーラインのネックウォーマーを引き下げる。振り分けられたチームの中、最年長のGKが椿に指示したポジションはトップ下。中学・高校と、務めたポジションだった。
 対面に並ぶのは一世代下のOB、現役の高校生達だった。試合するの、ホント久しぶりなんだけど。右隣にいた青年が苦笑する。俺もたぶん十数年ぶりだ。FWの一人が振り返って笑った。堅い土のグラウンドは、椿にとっても久しぶりだった。コイントスを終えて、審判の笛が鳴る。
 白い息を吐き、ただ、走った。
 三点返して、ひっくり返った空を、見た。
 駆け寄ってくる大人達の姿に、椿は遠い昔の事を思い出していた。
 
 夕闇の中、照明代わりに点された自家用車のライト。分け隔てなくギャラリーにすらふるまわれる軽食の暖かさ。雨の日も雪の日も、掲げられる横断幕。例えば教師、例えば消防職員、例えば公務員。仕事を終え、息せききって駆けつけるコーチ達。
 失われゆく、風景。椿は手を伸ばす。

「いつだったかな、お前が風邪を押して無理に大会に出場した時のことを思い出したよ。あの時は、お前のおかげで三回戦まで進出できたんだ。でもその後、数日間入院することにまでなって」
「俺はまた、親御さんに叱られるわけだ、椿」
 コーチの顔には、随分と皺が増えていた。

 ふと目が覚めると、見覚えのある天井がそこにあった。壁側に顔を向けると、額から濡れタオルがずり落ちた。実家の部屋の壁面に残る押しピンの跡は、椿の苦い思い出だった。そこには以前、海外の有名フットボーラーのポスターが貼ってあったが、上京して一年目の冬、何かの拍子に破り捨ててしまったのだ。ままならぬもどかしさに取ってしまった行動だった。だが、ポスターはその翌朝、セロハンテープで修復された状態で机の上に置かれていた。はっきりと確認した訳ではなかったが、それは父が直したものらしい。プロになるのを、最後まで反対した父だった。
 寝返りをうつとほぼ同時に、扉が二度ノックされる。おかゆ作ったから、後で食べなさい。しばらく、こっちにいるんでしょ。母の声だった。
 まどろみの中、椿は再び瞼を閉じた。