川のみどりに彼のしろ
台輔はいずこにおられるか御存じか。先だって即位した王は胎果であった。成人しているかいないかの年齢で仙となったために、いかにも幼いと言わざるを得ない。陽に焼けた額を短い前髪からさらして、その下の頬は甘く削げている。片倉は書類から顔をあげて、またかという顔をした。朝議のあとにも同じことを同じ口から聞いたばかりである。隠れ鬼をするような年齢でも立場でもない。今の時間は胎果である主上のために太師御自ら勉強会を開いているはずの時間であった。当然のことだが、彼はこちらの長さの単位から、文字の書き方までその全てをその身のうちに叩きこまねばならぬ。
片倉の険しい顔に、真田はぐっと顎を引いてくちびるを引き結んだ。……ああ、女官が、茶を淹れてくれたので……。ぼそぼそと呟いて冢宰の執務室から離れようとするのを呼びとめた。王宮の裏の、東の泉の端には行ってみたかと問う。真田は思いつきもしないという顔をさらして、忝いと言うなりさっさと踵を返した。
ふと書類を広げた机の上に窓から光が差し込む。片倉の部屋は西向きで、この時間になるとようやく部屋に光が入るようになる。立ち上がり、窓に布をかけようとした。ふとそのとき数年前のことが思い出される。
……見つけた。あの日、台輔はそう言うなり片倉の部屋の窓から飛びこんできた。丈の短い着物を着て、そののびやかな腕や足をさらしている。片倉はまた蓬莱遊びですかと渋面を作って彼を出迎えた。女官に言いつけて台輔の着物を用意させる。そうやって世話を焼いているうち、それきり黙っている台輔の様子が気にかかった。夏だと言うのに真っ青な顔をさらしている。それでなくとも最近は体調の優れぬ様子をであった。……この国に、王がいなくなって数年経つ。廃したのは他でもない台輔であった。失道の病に身を犯されながらも、国を壊し始めた王をその手で斬った。血まみれの太刀を握りしめながら、もう王など要らぬ、そう片倉に笑いかけたあの日のことをまだ鮮明に覚えている。
その台輔が、見つけたと言うのならば、それはもう一つのことしか指し示さないと言っていい。それに気づいた途端、片倉は喉の奥で息がひしゃげる音を聞いた。見つけた。台輔はもう一度、自分に言い聞かせるようにして呟いた。真っ青な顔の真ん中で、青い目が少し揺れた。ふと片倉は、彼がその右手に桃を持っているのを見咎めた。……政宗さま、それは。片倉がそう問いかけると、はっと肩を震わせて台輔は踵を返していってしまう。着物を持ってきた女官がその様子に小さく悲鳴をあげていた。
蓬莱の植物が根付いたというはなしは聞かない。恐らく土が違うのだろうと思う。だが台輔はそれからというものずっと東の泉に通っている。宮殿の片隅に、自分の作付用の土地を持っている片倉にそれとなく育て方を聞いてくる。水はどれぐらいやったらいいのか、虫がついたらどうすればいいのか。表向き、花を育てているというはなしになってはいるが、噂好きの女官は揃って首を振っている。……芽が出たというはなしを女官から聞いたのは、それから十月ほど経ってから、冬を越して春を迎えたころであった。ほどなく、台輔は蓬莱からまだ幼い線を頬に残した少年を連れてくる。
窓に布をかけて、再び片倉は書類に目を通し始める。部屋の外を、ばたばたと走る音がする。女官の足さばきではない。王宮にあのような乱暴な足運びをする人間は今のところひとりである。それに連なるようにしてぎゃあぎゃあと叫ぶ声が響き渡って、片倉は軽くため息をつく。笑顔を見られるようになっただけ、あの男には感謝をせねばなるまいと、そう冢宰は思っている。
作品名:川のみどりに彼のしろ 作家名:いしかわ