ピエロ
大丈夫 大丈夫 おどけてみせる僕は
小さなサーカスの名も無きピエロ
<ピエロ>
「なんや、どうしたん?」
そう声をかけてきたのは赤い仮装衣装に身を包んだ緩い癖っ毛の青年だった。
ぐずぐずと鼻を啜っていたロヴィーノはなんでもねえよ、とつっけんどんに返して手の甲で乱暴に鼻の下を拭う。すると、青年は白く塗りたくり左目の周りを星の形にペイントした顔を僅かにしかめた。
すとん、と膝を折り少年のロヴィーノと視線が同じ高さになるようにしゃがむと青年は、そんなことしたら赤くなるで、といってポケットから無造作にハンカチを取り出した。押し付けるように差し出されたハンカチをおずおずと受け取ったロヴィーノに、青年は満足そうに一度頷く。そして、思いついたように、あっと声を上げた。
「せや、折角やから、元気の出るおまじないしたるで!」
ふそそそそ〜、という意味のわからない掛け声と差し出された両手に、泣き腫らした両目を細め、ロヴィーノは馬鹿なヤツと笑みを零したのだった。
これが、ロヴィーノと名も無きピエロの出逢い。
* * *
大丈夫、だいじょうぶ。これがピエロの口癖だった。
爪先にあった小石をこつん、と蹴り飛ばしながら、数日前に出会ったピエロを思い出しロヴィーノは変なヤツだったと呟いた。
弟のフェリシアーノが遊びに行ったまま帰ってこないのを心配して、夕方になってから家を出て探し回っているのだが見慣れた薄茶色の少年を見つけることが出来なかった。
思い当たる場所を全部探して回ったのだが弟の姿はなく、ロヴィーノの足は知らず、細い路地裏を歩き進んでいた。
「あれ…」
ふと開けた場所に行き当たり、そこで見つけた大きなボールの上で危なげなくバランスを取る赤い衣装のピエロがいた。思わず足を止めると、ピエロはすぐにこちらに気付いたのかぶんぶんと手を振ってみせた。
「こんなところで、どうしたん!迷子?」
「んなわけあるかっ!……弟を探してんだよ」
弟?ピエロはそういって首を傾げた。相変わらずボールの上で起用にバランスを取りながら腕を組んで立っているピエロに、おまえには関係ねーよちくしょーめ、とロヴィーノが相手に聞こえない程度にぼやく。
「ほな、俺も探すの手伝ってやんで!」
「はぁ…?」
ピエロの提案にロヴィーノはあからさまに胡乱な声を上げる。たいした交流もない相手に誰がほいほい弟探しを頼むというのか。ロヴィーノがくるりと踵を返し、ピエロに背を向けると後方から、なんやつれないなあという声が飛んでくるがそれを無視して歩く。だが、その歩が強制的に止められた。
「…あんだよ」
「自分、ガラ悪いなあ。手伝ういうてるやん。任せとき!」
にっこり満面の笑みで告げられ、ロヴィーノは顔をしかめた。
「大丈夫、だいじょうぶ!な?ほな、いこか!」
ロヴィーノの答えを待たないまま、ピエロはロヴィーノの手を取って歩き出した。
* * *
はしゃぐこどもの声と、客の呼び込みをする威勢の良い声が鼓膜を叩く。ロヴィーノは右手に一枚の紙を握りしめて賑わう人ごみの中で大きなテントを見上げ、弟と手を繋いだまま立ち尽くしていた。
前日、弟探しを勝手に手伝ってくれたピエロのお陰なのか、その後もうひとつ先の路地裏で弟を見つけ出せた。地べたに座り込んで目を赤くしているあたり、ここに迷い込んでしまったのだろう。兄を見て大きな茶色の双眸に涙を溜めた弟のフェリシアーノが抱きついてくるのを受け止める。ぐずぐずと鼻を鳴らすフェリシアーノの頭を撫でながら、ロヴィーノがぎこちなくピエロへ礼をいうと、ピエロは笑顔で、
「礼なんて気にせんといて!あ、もし良かったら明日観に来てー。これ、サーカスのチケットな」
ポケットに手を突っ込んでよれよれになったチケットを兄弟へ差し出してきたのだ。ロヴィーノが断ってチケットを突き返す間もなく、ピエロはロヴィーノから一歩距離を取ってしまう。苦虫を噛み潰した表情でチケットを見下ろし、ロヴィーノはきょとんとする弟の手を引いて路地裏を引き返す。
その途中、一度だけ立ち止まり、振り返らないままピエロへ叫んだ。
「行くか行かないかは気分次第だからな、このやろー!」
*
「ヴェー、サーカスって俺はじめてだから、ドキドキするー。兄ちゃんは?」
「…俺もはじめてだよ」
「じゃあ、一緒にドキドキだねっ」
ヘラリ、と横で笑ってみせるフェリシアーノに、そうだなとぼそりと答えたロヴィーノは心なしかそわそわしていて落ち着きが無かった。気付いたフェリシアーノが首を傾げ、兄ちゃん?と問い掛けるがなんでもねえよ!と突っぱねられてしまう。怒鳴られたフェリシアーノは眉尻を下げてヴェーと鳴く。しかし弟として、こうした兄の態度は素直になれない性格からきていることを知っているので怒ることはしない。
きっとはじめてのサーカスで緊張してるんだ。フェリシアーノは自分なりに兄の挙動不審へ理由をつけて頷いた。
間もなくして、開演を告げるブザーが響き渡り、会場内の照明が落とされた。
これまでざわめきが大きかった空間が一気にしん、と静まり返る。誰もが息を潜めてショーのはじまりを今か今かと待ち望んでいる。
ドクドクと心臓が煩く脈打つ中、ロヴィーノもステージを一心に見つめていた。
と、パッとステージに照明がついた。そこにはいつの間に立っていたのか、赤い衣装に身を包んだピエロだった。
「あ…」
「あのピエロ、昨日兄ちゃんと一緒にいたひとだー」
思わず声を漏らすと、フェリシアーノがひとり言のように呟いた。
ピエロはステージの真ん中で、大きく両手を広げると次いで頭を下げて挨拶をした。ピエロが頭を上げると同時に、後方から大玉が転がってくる。それをピエロが抑え、ヒョイと上に立った。いつかロヴィーノが見た時のように危なげなく大玉の上に乗っているが、あの時ほどバランスが取れていないように見えた。
フラフラとステージを彷徨うように大玉に乗ったまま移動するピエロはすぐに大玉から落ちてしまった。途端、会場がどっと沸く。このピエロは大玉乗りが下手なのが売りなのだろう。
でも、だとしたら、なぜあのひとのいない寂しい広場で練習をしていたのだ。本当はちゃんと大玉を乗りこなせるのに。
「バカじゃねーの」
「……兄ちゃん?」
会場は尚も盛り上がり続けている。しかしそれとは対照的に、ロヴィーノの胸中はどんどん冷めていった。
不意に落とされた呟きに、嬉々としてステージを見ていたフェリシアーノは兄の顔を見て驚いた。
「兄ちゃんどうしたの?なんでなんで」
なんで、泣いてるの?
ステージで演技を披露しているとき、本当に偶然、あの兄弟を見つけることが出来た。
小さいサーカス団なので、テントの規模もそこまで大きいものではなかったが、余裕で数十人と収容できるサイズだったため、チケットを渡したふたりを見つけることは難しいだろうと思っていたのだ。だが、その思いも杞憂に終わり、兄弟を見つけられた。しかし、兄の顔を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。
なんで、泣いてんねん。
*