ピエロ
公演が終わり、観衆がぞろぞろとテントから出て行く。
ピエロは急いでテントの出入り口へ回り込み、笑顔を振りまいて挨拶をしながら、兄弟の姿を探していた。テントから出てくる客もまばらになってきた頃、兄弟は漸く姿を現した。
困ったような顔をして兄の手を取り、目元を乱暴に擦っている兄を心配そうに気遣っていた弟が、ふっとピエロの方を見た。
「あ、ピエロさんー。昨日はありがとう!サーカス楽しかったよー」
周囲に花が飛んでいるような錯覚を思わせる可愛らしい笑顔でフェリシアーノにいわれ、ピエロも釣られていつも以上の笑顔を浮かべた。
柔らかな茶髪の上に手を置いて、観に来てくれておおきにな!というと、今度ははにかんだ笑顔が返された。
そんなやり取りをピエロはフェリシアーノとやりながら、こちらに近付いてこないロヴィーノの様子を窺っていた。
やはり、ステージ上から見たのは間違いではなかったらしい。俯き加減ではっきりとは分からないが、目元が赤くなっている。
ピエロはすっと膝を折り、フェリシアーノと目線の高さを一緒にするとこそりと耳打ちをした。
「なぁな、兄ちゃんどないしたん?なんで泣いてんの?」
「んー、それがね…教えてくれないんだ」
訊ねると、フェリシアーノはみるみるうちに表情を曇らせてしまった。萎れた花のようになってしまったフェリシアーノに、ピエロは慌ててごめんと謝り、兄へ直接訊ねることにした。
「なー、自分泣いてんの?」
「……」
「サーカスつまらなかったん?」
「……」
「俺の演技が下手やったか…?」
「下手くそだった」
最後の問い掛けには即答がきた。いっそ清清しいまでの断言に、流石のピエロもむっとしてしまう。
「なんや、これでも演技には自信あるんやで。そんなんいわれたら傷つくわー」
しゃがんだ体勢のまま、ピエロが膝を抱えて顔を伏せると、傍にいたフェリシアーノが慌てて、兄ちゃんと呼ぶ声がした。
しかし、ロヴィーノは硬い声のままもう一度、下手くそだと繰り返した。
「本当はちゃんと玉乗りできるくせに、わざと玉から落ちて笑われて、バカじゃねーの」
「……」
「兄ちゃん…」
「なんで、ちゃんと玉に乗って演技できるのにそれをやらねえんだよっ。笑いをもらうんじゃなくて、拍手をもらえよ!」
震える声で叩きつけるように叫ばれた内容に、ピエロは抱えた膝の中でひっそりと苦笑した。
こどもの言葉は純粋で、ストレートだ。痛みとあたたかさが同時に心の中を満たしていく。
よっこいしょ、と立ち上がったピエロはこちらを睨みつけてくるこどもの元まで歩いていき、ありがとな、といった。
「自分、俺の為に泣いてくれてたんやなー。嬉しいわあ、おおきにな」
「べっ、別にお前の為じゃ―――」
「自分のいってくれたこと、すっごい嬉しかったで。でも、俺はこれが仕事やから」
そう告げると、ロヴィーノはぐっと喉を鳴らして黙ってしまった。ロヴィーノのみどりの双眸が潤み、目の端に溜まっている涙をそっと人差し指で拭いながら、ピエロは続ける。
「大丈夫、だいじょうぶ。痛くも痒くもないから。こうやって、俺のこと想ってくれてるひとがおるんやもん。自分が笑ってくれたら」
な?と、笑いかけると、ロヴィーノはぶんぶん首を左右に振った。その動きによって、涙の粒が飛び散る。ボロボロと涙を流して、ロヴィーノは首を横に振る。
「お前の嘘が悲しいんだコノヤロー!」
「俺、嘘ついてないで?」
眉尻を下げてやんわりと否定を返すと、ロヴィーノは両手で顔を覆ってしまった。
*
あれから泣き止まないロヴィーノをなんとか落ち着かせ、フェリシアーノと共に家に送り届けた。
ピエロは与えられている自分のテントに戻ると、簡易ベッドへ身を投げ出した。
泣きじゃくるロヴィーノの言葉はどこまでもピエロの深い場所に沈めていた本音を言い当てていた。
本当なら、大玉を乗りこなして芸を披露して歓声と拍手を浴びたい。しかしこの小さなサーカスでは一ピエロがそんな脚光を浴びることは出来ない。所詮はピエロなのだ。これが猛獣使いなどであれば、また話は変わってくるのだろうけれど。
うつぶせていた顔を少しだけ横にずらし、はぁとため息を吐く。それと同時に、腹部へ鈍い痛みが響いて顔をしかめた。痛みの走った場所へ手を持っていこうとし、今度は右腕に痛みを感じた。
大玉から落ちるときは、受身を取れないためショーが終わった後は必ず打ち身や捻挫をしていた。今回は、腹と右手を怪我したようだ。
あとで治療せなー、と気の無い声でぼやきながら目を伏せた。
伏せた瞼の裏に、少年の泣き顔が見える。
ピエロはそのまま眠りについた。
翌日、テントを出ると、サーカス仲間に来客だと告げられた。
来客なんてできるほとこの地で交流をした覚えのないピエロは、首を傾げながら教えられた場所に向かい、そこにいた少年の姿に目をぱちくりさせた。
「どうしたん?」
「…別に。近くを通っただけだ」
「それでわざわざ俺に会いに来てくれたん?なんや、モテモテやなあ俺」
「ばっ、調子に乗るんじゃねー!ケ・バッレ!」
「ちょ、そんな言葉使ったらあかんで!」
「てめーに指図される筋合いはねえよっ」
それよりっ!ロヴィーノは顔を赤くしたまま、無理矢理話しを切り替えに入った。
「怪我、したんじゃねーのかよ」
「……」
「あんな落ちかたしたら、普通怪我するだろ」
「……自分、敏い子やんなあ」
「うるせー。ほら、これやる」
ずい、と突き出されたのは紙袋だった。きょとんとしていると、ロヴィーノが俯いてぼそぼそと、打ち身に効く薬…と、いった。そこで合点がいったピエロはへらっと笑って紙袋を受け取り礼を述べた。わしゃわしゃと頭を撫でると、鬱陶しそうに払いのけられてしまい、少しだけショックを受ける。だが、下から見上げてくる双眸が酷く真摯に自分を捉えていることに気付き、ピエロはどうしたん、と問い掛けた。
「お前、そのペイント取らないのか」
「うん?あぁ、なんかこっちの方が落ちつくねん」
「……なあ」
「ん?」
「お前の素顔、見せろよ。怪我したとき痛いって、辛いときは喚いて良いんじゃないのか?恥ずかしいことじゃないだろ。おとなとか、こどもとか、関係ない」
「……」
「別に上手く笑えなくたっていいじゃねーか。二度と嘘を吐けないようにさ」
大丈夫、だいじょうぶ。堪えたりすんな。泣くんなら俺も一緒に泣いてやる。ロヴィーノから告げられる言葉に、ピエロは一時呆然としたあと、くしゃりと表情を崩した。
あぁ、こんなこどもにすら自分の胸中はバレバレなのだろうか。
思わずしゃがみこんでしまったピエロの頭の上にふわりと柔らかな感触。驚いて顔を上げると、ロヴィーノがぎこちなく頭を撫でてくれていた。
「…ほんま、おおきにな」
言葉少なげに伝えれば、おう、とぶっきらぼうな声が返ってくる。
ピエロはロヴィーノを見て、小さく笑った。
大丈夫、大丈夫 君が見つけてくれた
忘れかけていた僕の顔
「大丈夫、だいじょうぶ」それはまるで魔法のようだ
「そういえば、お前、名前あんのかよ」
「俺?俺はアントーニョや。よろしくやでー、ロヴィーノ」