日曜午後、ささいなる野望
日曜午後、ささいなる野望
「にほ〜ん! 遊びに来たんだぞ!」
俺が引き戸を開ければ、日本はいつだってハイハイお待ちしておりましたよと言って、あたたかいお茶とお菓子を出してくれる。よくいらっしゃいましたねとは言わないものの、遠路はるばるやってきた俺を労ってくれる。ご飯だって作ってくれるし、大きな湯船にたっぷりお湯を張ったお風呂だって一番に使わせてくれる。夜は一緒にホラー映画だって観てくれるし、抱きつけばしょうがないですねえと言いながら俺に揺さぶられてくれる。
日本はやさしい。誰に対しても物腰穏やかではあるけれど、俺は彼のそれが本音と建て前の建前のほうであると知っている。誰にでもやさしいのは彼特有の建前だ。開国直後、もしかするとものすごく無理をしているのかもしれないと思ったこともあったが、つきあっていくうちに実はそうではないということがわかった。日本が誰にでもやさしいのは、周囲に気を遣い、波長を合わせていくのがこの国のやり方だからだ。外様に対してはもちろん礼儀正しく誠実だが、一定のラインを踏み越えた者に対してはさらに情が深い。日本は小柄でおっとりして見えるため侮られがちだが、世界中の誰よりも懐の広い男だと俺は思っている。
俺は、そんな日本が大好きだった。年上の包容力で、無条件に甘やかしてくれる。少しばかり小柄で俺と並べば身長差がないのが難といえばそうだったが、それとて俺がハイヒールを履かなければ少しばかり彼の方が高くなるのだから、その程度のことで難癖をつけるなんてナンセンスだ。そんなことじゃ彼の魅力は損なわれない。
黒曜石の瞳で微笑まれると、とても彼に大切にされているんだなと感じる。言葉で愛していると言ってくれない代わりに、彼は日々の些細なところで愛情を示してくる。とるに足らないことかもしれない。だが、恥ずかしがりで思いを言葉にするのが苦手なこの人が、そうたとえば縁側でぽちと居眠りしていて目が覚めると隣で俺の髪を梳いてくれていた時や、俺に着物を着付けてくれた時の表情を見れば、どんな鈍い人だってそうとわかる。彼は、俺がかわいくてたまらないのだ。
それも当然のことだ。だって俺は日本の恋人なんだから。世界で一番素敵な日本と、世界一かわいい俺が恋人同士だなんてまったく世界はうまくできていると思わないかい?
だが、世界で一番やさしいはずの日本が、世界で一番憎らしく思える時がある。
「いいですか。すぐ帰ってきますからゲームでもして大人しく待っててくださいね」
「む〜」
「そうおっしゃらずに。新しいマンガも本棚にありますし、コーラはいつもの場所にありますから」
それじゃあ、戸締まりだけはしっかりしてくださいねと言い残すと、日本はいそいそと出かけていった。
「つまんない、つまんないんだぞ、ぽち!」
畳の上をころころ寝転がると、ぽちがきゃうんと鳴いた。そうだろう。君もご主人がいなくてさみしいだろう。
出かけるなら俺もついていくんだぞ! という提案はあっさり却下された。何でも今日は、新作ゲームの発売日だそうだ。それが、プレイステーションやWiiでできるゲームなら、俺もデート気分でついていくことを許されただろう。日本は明言しなかったが、遠回しにひたすら俺を家においていこうとする様子から、なんとなく今回はエロゲーなんだなというのが理解できて、ますます面白くなくなった。日本とは、マンガやゲームなど、すごく気が合うし一緒にいて楽しい。つきあいだしたきっかけも、どちらかが恋に落ちて口説き落としたとかではなくて、一緒にいるうちにあまりに居心地がいいことに気がついた俺が、つきあおうよと持ちかけたのだった。日本に恋人がいないことは、長年のつきあいで知っていたし、このまま一緒にいるならそういう関係になってもいいかなと思ったからだ。日本は、これまたあっさりいいですよと、もしかするとこの人、俺がどこか観光につきあってくれよと言ったのと勘違いしたんじゃないだろうねと思うくらいあっさり返事をくれた。
そんな俺たちだったから、世間一般的なこうべたべたした男女のつきあいとは少し違っていた。先述の通り、好いたの惚れたの日本は言わないし、共通の話題は趣味か仕事の話がほとんどだった。一緒にいる時は、ゲームしたり、ああだこうだマンガや映画の批評をしたり、日本の原稿を手伝ったりしていた。いつだったか、趣味に理解のある恋人ってすばらしいですねと日本が漏らしたのを、俺はちゃんと記憶している。ついでに言うなら、かつて趣味に理解のない女の子とつきあったこともあるんだろうなというのも推測できてしまって、ほんのちょっぴりやきもちを焼いたことも。
日本と俺は理想的な関係だったが、そんな理想の恋人であるはずの俺が唯一彼から疎外されてしまうのがエロゲーだった。別に平気なんだぞと言っても、彼は俯きがちに「いえ、それはさすがにちょっと……」と言って俺が一緒にプレイするのを頑なに拒み続ける。それどころか、ゲームそのものを部屋のどこかに隠して、俺には見せないようにしているのだからまったく徹底している。エロゲーだけではない。エッチな薄い本もまた、俺には絶対に見せてくれない。別に気にしないとかイギリスだってエッチな本山ほど持ってるよとか言ってみても、女の子が見るものじゃありませんと言って、絶対に譲らないのだ。カップルでAV観ることだってあるんだから、そこまで頑なにならなくてもいいのに、何か彼にはこだわりみたいなものがあるらしい。考えてみれば、彼は随分年上であることだし、そういうものの価値観に大きな差があってもおかしくはない。日本が俺に大和撫子たれと要求したことはないが、性的にあけっぴろげな女の子はあまり好きではないのだろうなということも容易に想像できる。あと、もしかすると自分の趣味嗜好を知られるのが恥ずかしいのかもしれない。あるいは日本の趣味を知ったら、俺がそういうプレイでも提案してくるとでも思っているのだろうか。確かに、その可能性は否定できない。日本が、たとえばメイド萌えなら元保護者のところからメイド服くらいは調達してくるし、ネコミミ萌えならフランスのところからもらってくる。痛いのは正直好きではないけれど、その程度なら俺だって理解があるつもりだし、むしろちょっとやってみてもいいと思っているくらいだ。
「もしかすると、三次元には興味ないのか……?」
二次元だからいい、というやつかもしれない。
彼とのセックスはいつもふつうだ。アブノーマルなプレイや体位を要求されることはおろか、ノーマルなセックスの頻度だってそう多くはない。男ってもっとこう、やりたい生き物じゃなかったっけ? と俺が思う程度には、日本は淡泊だったから、彼とセックスする時はたいてい俺が誘うことになる。女だからそうそうやりたいわけでもないが、俺だって彼といてむらっとくることはあるわけで、そういう時は決まって俺が狼になるわけだ。
「…………」
考えてみたら、ちょっとひどくないか。
「にほ〜ん! 遊びに来たんだぞ!」
俺が引き戸を開ければ、日本はいつだってハイハイお待ちしておりましたよと言って、あたたかいお茶とお菓子を出してくれる。よくいらっしゃいましたねとは言わないものの、遠路はるばるやってきた俺を労ってくれる。ご飯だって作ってくれるし、大きな湯船にたっぷりお湯を張ったお風呂だって一番に使わせてくれる。夜は一緒にホラー映画だって観てくれるし、抱きつけばしょうがないですねえと言いながら俺に揺さぶられてくれる。
日本はやさしい。誰に対しても物腰穏やかではあるけれど、俺は彼のそれが本音と建て前の建前のほうであると知っている。誰にでもやさしいのは彼特有の建前だ。開国直後、もしかするとものすごく無理をしているのかもしれないと思ったこともあったが、つきあっていくうちに実はそうではないということがわかった。日本が誰にでもやさしいのは、周囲に気を遣い、波長を合わせていくのがこの国のやり方だからだ。外様に対してはもちろん礼儀正しく誠実だが、一定のラインを踏み越えた者に対してはさらに情が深い。日本は小柄でおっとりして見えるため侮られがちだが、世界中の誰よりも懐の広い男だと俺は思っている。
俺は、そんな日本が大好きだった。年上の包容力で、無条件に甘やかしてくれる。少しばかり小柄で俺と並べば身長差がないのが難といえばそうだったが、それとて俺がハイヒールを履かなければ少しばかり彼の方が高くなるのだから、その程度のことで難癖をつけるなんてナンセンスだ。そんなことじゃ彼の魅力は損なわれない。
黒曜石の瞳で微笑まれると、とても彼に大切にされているんだなと感じる。言葉で愛していると言ってくれない代わりに、彼は日々の些細なところで愛情を示してくる。とるに足らないことかもしれない。だが、恥ずかしがりで思いを言葉にするのが苦手なこの人が、そうたとえば縁側でぽちと居眠りしていて目が覚めると隣で俺の髪を梳いてくれていた時や、俺に着物を着付けてくれた時の表情を見れば、どんな鈍い人だってそうとわかる。彼は、俺がかわいくてたまらないのだ。
それも当然のことだ。だって俺は日本の恋人なんだから。世界で一番素敵な日本と、世界一かわいい俺が恋人同士だなんてまったく世界はうまくできていると思わないかい?
だが、世界で一番やさしいはずの日本が、世界で一番憎らしく思える時がある。
「いいですか。すぐ帰ってきますからゲームでもして大人しく待っててくださいね」
「む〜」
「そうおっしゃらずに。新しいマンガも本棚にありますし、コーラはいつもの場所にありますから」
それじゃあ、戸締まりだけはしっかりしてくださいねと言い残すと、日本はいそいそと出かけていった。
「つまんない、つまんないんだぞ、ぽち!」
畳の上をころころ寝転がると、ぽちがきゃうんと鳴いた。そうだろう。君もご主人がいなくてさみしいだろう。
出かけるなら俺もついていくんだぞ! という提案はあっさり却下された。何でも今日は、新作ゲームの発売日だそうだ。それが、プレイステーションやWiiでできるゲームなら、俺もデート気分でついていくことを許されただろう。日本は明言しなかったが、遠回しにひたすら俺を家においていこうとする様子から、なんとなく今回はエロゲーなんだなというのが理解できて、ますます面白くなくなった。日本とは、マンガやゲームなど、すごく気が合うし一緒にいて楽しい。つきあいだしたきっかけも、どちらかが恋に落ちて口説き落としたとかではなくて、一緒にいるうちにあまりに居心地がいいことに気がついた俺が、つきあおうよと持ちかけたのだった。日本に恋人がいないことは、長年のつきあいで知っていたし、このまま一緒にいるならそういう関係になってもいいかなと思ったからだ。日本は、これまたあっさりいいですよと、もしかするとこの人、俺がどこか観光につきあってくれよと言ったのと勘違いしたんじゃないだろうねと思うくらいあっさり返事をくれた。
そんな俺たちだったから、世間一般的なこうべたべたした男女のつきあいとは少し違っていた。先述の通り、好いたの惚れたの日本は言わないし、共通の話題は趣味か仕事の話がほとんどだった。一緒にいる時は、ゲームしたり、ああだこうだマンガや映画の批評をしたり、日本の原稿を手伝ったりしていた。いつだったか、趣味に理解のある恋人ってすばらしいですねと日本が漏らしたのを、俺はちゃんと記憶している。ついでに言うなら、かつて趣味に理解のない女の子とつきあったこともあるんだろうなというのも推測できてしまって、ほんのちょっぴりやきもちを焼いたことも。
日本と俺は理想的な関係だったが、そんな理想の恋人であるはずの俺が唯一彼から疎外されてしまうのがエロゲーだった。別に平気なんだぞと言っても、彼は俯きがちに「いえ、それはさすがにちょっと……」と言って俺が一緒にプレイするのを頑なに拒み続ける。それどころか、ゲームそのものを部屋のどこかに隠して、俺には見せないようにしているのだからまったく徹底している。エロゲーだけではない。エッチな薄い本もまた、俺には絶対に見せてくれない。別に気にしないとかイギリスだってエッチな本山ほど持ってるよとか言ってみても、女の子が見るものじゃありませんと言って、絶対に譲らないのだ。カップルでAV観ることだってあるんだから、そこまで頑なにならなくてもいいのに、何か彼にはこだわりみたいなものがあるらしい。考えてみれば、彼は随分年上であることだし、そういうものの価値観に大きな差があってもおかしくはない。日本が俺に大和撫子たれと要求したことはないが、性的にあけっぴろげな女の子はあまり好きではないのだろうなということも容易に想像できる。あと、もしかすると自分の趣味嗜好を知られるのが恥ずかしいのかもしれない。あるいは日本の趣味を知ったら、俺がそういうプレイでも提案してくるとでも思っているのだろうか。確かに、その可能性は否定できない。日本が、たとえばメイド萌えなら元保護者のところからメイド服くらいは調達してくるし、ネコミミ萌えならフランスのところからもらってくる。痛いのは正直好きではないけれど、その程度なら俺だって理解があるつもりだし、むしろちょっとやってみてもいいと思っているくらいだ。
「もしかすると、三次元には興味ないのか……?」
二次元だからいい、というやつかもしれない。
彼とのセックスはいつもふつうだ。アブノーマルなプレイや体位を要求されることはおろか、ノーマルなセックスの頻度だってそう多くはない。男ってもっとこう、やりたい生き物じゃなかったっけ? と俺が思う程度には、日本は淡泊だったから、彼とセックスする時はたいてい俺が誘うことになる。女だからそうそうやりたいわけでもないが、俺だって彼といてむらっとくることはあるわけで、そういう時は決まって俺が狼になるわけだ。
「…………」
考えてみたら、ちょっとひどくないか。
作品名:日曜午後、ささいなる野望 作家名:あさめしのり