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食文化

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アメリカは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
それはうまそうだとか待ちきれないだとかそんな甘美な感情からくるものではなくて、もっと固い、そう、例えば恐怖だとか、そういう不愉快な感情からきているに違いなかった。

「さあ、どうぞ召し上がれ」

自分より遥か年上の友人がにこやかに言う。
アメリカの表情は強張っており、青い顔に冷や汗さえ浮かべていた。
イギリスが今の自分の顔を一目見ようものなら、天変地異の前触れだと騒ぎ始めるかもしれない。
アメリカは目の前に差し出された皿と向かいに座る友人の顔を見比べ、やっとのことで声を絞り出した。

「OH…これを食べろっていうのかい…?」

声の震えを隠せない。
友人―――日本はキョトンとした顔でアメリカを見返した。
ああ、参った。
ずいぶん昔に決別した兄の家ならともかく、まさかこの日本の家で、日本自ら腕を振るった料理で、こんなにも勇気の試されるものが出てくるとは誰が予想しただろうか。
…いや、そうでもないか。
あのワカメやコンブとかいう海藻や生の魚や肉や卵も、最初はだいぶ勇気が必要だった。

でもこれは次元が違うよ日本。

アメリカは日本に気付かれないようそっとため息をつく。

得体の知れない香辛料の臭い。
かろうじて野菜とわかる塊を泳がせるどろりとした茶色いヘドロのようなソース。
それが日本の大好きなゴハンの上にかけられていて、それはそれはグロテスクな見た目の、食べ物と呼ぶのもためらわれるような物体。
それが今アメリカの目の前にある。

ねえ日本、これひょっとしてスカトロってやつなのかい?
君、そんなおとなしそうな顔してそんな趣味があったのかい?
おお、神よ、オレは友人のそんな性癖なんて知りたくなかったんだぞ。
そしてその性癖を押し付けられたくもなかったんだぞ。

「アメリカさん、早く食べないと冷めてしまいますよ」

日本はまだ食事に手をつけていない。
それでいて、なにか期待のこもった瞳でアメリカを見つめている。
実のところ、アメリカはこの目に滅法弱い。
腕によりをかけた料理を人に振る舞うときの目。
おいしいの一言を、笑顔を期待する目。
この不思議に優しい目に見つめられてしまうとだめなのだ。
見た目がまずいからと突っぱねることなどできなくなってしまう。
育ての親であり兄でもあるイギリスの翡翠色の瞳がちらちらと浮かんでは消えた。

アメリカはなんとも情けない顔で、目の前の皿に向き直った。
それにしてもこれはひどい。
さすがのアメリカも、これはいきなり訪ねてきた自分への遠まわしな嫌がらせだろうかと疑いたくなってくる。
けれど日本の微笑みはどこまでも柔らかく、彼の善意は疑いようもない。

ああ、今わかったよ。
確かに地獄への道は善意の敷石でできてるね。

アメリカは深く息を吸い込み、スプーンを握った。
よく日本の家にやってきて夕飯を食べていくアメリカのために日本が用意した、アメリカ専用のスプーン。
逆さまに映りこむ顔は、ヒーローとはとても呼べない。
アメリカはぎゅっと眉を寄せてみたり口角を上げてみたりウィンクしてみたりして、スプーンの中の男をどうにかこうにかヒーローっぽくすることに成功した。

そうだ。オレはヒーロー。できないことなんかないんだぞ。

そうして目を閉じて、長く息を吐き出す。
アメリカの目が開く。
握ったスプーンを勢いよく皿に突っ込み、乗せられるだけ茶色いなにかを乗せ、一気に口まで運ぶ。
そのまま口を開いてスプーンを突っ込み、茶色いなにかを今、口に、入れた。


作品名:食文化 作家名:ピロリ