少年への献花
あの日、夕暮れの並木道を並んで歩いた少年の表情はどんなだっただろう。男は考える。
少年はいつも男への感情を隠そうとはしなかったから、そのうち深く探ることをやめてしまっていた。彼の表情は、声のトーンは、男に向けたまなざしはどうだった?いつの間にか意識する必要もないほど側にいたから、上手くその一瞬が切り出せない。
満開の桜並木を見てみたいです、と無邪気に笑った少年の、存在していたその景色は鮮やかによみがえるのに、肝心の少年の顔が周囲の色彩に埋もれて上手く思い出せない。
彼は一見とても地味で目立たない少年だ。
でも、その内側に内包する色彩はとても色鮮やかで、全ての色を兼ね備えているかのようにさえ思えた。男の世界はそれまで決してカラフルではなかったので、少年のいる風景の鮮やかさには、時折はっと目を奪われることがある。心を、揺さぶられる。意識を、奪われる。それは支配されるにも等しい感覚で、男の記憶の中に焼きついていった。
男は何度でも考えた。この少年のどこに、この華やかさが、この美しさが、この鮮やかさが秘められているのだろうと。
男の、モノクロだった世界は一気に色づき、そしてそれは、少年が塗り替えた色だった。男は少年に出会ってからずっと、少年を通して世界を見ていた。その万華鏡のような極彩色の世界に、見蕩れていた。
あの日、もしかして少年は緊張を孕んだ目で男を見なかったか。
珍しく先の約束などを取り付けようとした少年は、手のひらを握り締めていなかったか。
聞き返した男に、歯を食いしばるような表情を、見せなかったか。
あの日あの言葉に、素直に肯定を返していたら、何かが変わったのだろうか。少年は今、生きていただろうか。あの日、ただ笑顔で「いいよ」と返せたら。「楽しみにしてる」と伝えられていたら、あるいは。
あの日、あの日、あの日・・・二度と戻らない。
男は震える手で、床においていた布袋を手に取った。白っぽいそれも男のコートと同じようにずいぶん汚れている。それを棺の上にかざして袋をさかさまにすると、ぶわりと薄紅色の何かが当たりに舞った。
桜の花びらだ。
季節が過ぎたその花を、どこからかき集めてきたのか、布袋からばさばさと降らせて、男は懇願するように言う。
「ねえ、ほら、目を開けてよ。ちょっと頑張ったんだからさ。俺が誰かのためにこんなに頑張るなんて、滅多にないんだよ?貴重だよ?見てよ、今俺ぼろぼろなんだ。君のせいだよ帝人君、ねえ、」
ひらひらと花びらが少年に降って、やっぱりそこだけが、世界の中心のように色鮮やかに男に訴えかけて、だから男は、声を震わせる。
「目、開けろよ・・・っ」
何を馬鹿なことをしているんですかとでも、あきれたように言ってくれたらいいのに。絶望の淵でも願うことはそんなことばかり。
「花見、しようって、言ったじゃないか・・・!」
少年は男のすべての色だった。
鮮やかできらびやかな景色の全てに、少年がいた。思い出す全ての美しい記憶に、全ての愛しい風景に、全ての優しい光のなかに。
残された世界で、男は一人で息を吐く。
この先の世界を、美しいと思えることはもう、二度とない。